『クワタを聴け!』によればこの曲の感想は「万策尽き果てた」感が全面を覆っていると書かれていたがこれには笑ってしまった。
意表をつかれたというか思いもよらない感想だったからだ。
また「手詰まり」という言葉もあったが実際どうなんだろうか。
真実は桑田のみぞ知るだが私の見方はいま少し違う。

桑田が一番ビートルズから影響を受けた点は作曲方法ではなくアルバム収録のジャンル配置並びに楽曲のバリエーションではないかと勝手に思っている。
ビートルズ解散後、ジョージのソロ・アルバムの批評に「線の細い彼の声だけで1枚のアルバムを聴くのはどうか」というような評価が載っていたが私も同感で、そのジレンマとマンネリを防ぐための方策が結果として「桑田の音楽にはジャンルがない」などと言われる所以ではないかと思う。
故にここでマヒナ・サウンドが出たのもそれなりの考えがあってのことじゃないかと。
もし手詰まり感があったとするならば作曲への手詰まりと言うよりは「いまはハワイアンしか思い浮かばなかった」みたいなところでは。
それに『クワタを聴け!』によれば採点もかなり辛口だがサザン・ファンの中ではこの曲の評価はもう少し好意的ではないだろうか。
私の子供時代、おそらく全国的に流行っていた古典的なぞなぞがある。
「目が三つ、足が六本、手が一本、これなんだ?」
答えは丹下左膳が馬に乗っているところで隻眼とは片目のことだが丹下左膳は隻眼、片腕だからである。
大感謝祭ライブのマンピーの時に使われた時代劇の映像を仔細に調べてみたが以下のことが言える。

まず衣装だが黒襟白紋付で背中に南無妙法蓮華経の斜め文字。
これは殆んど丹下左膳と同じ衣装でつまり白の着流しに襟だけ黒に染め上げ所々南無妙~のような文字を入れておどろおどろしい雰囲気を醸し出す。
左膳の家紋は本来、六角形の丸型に漢数字の二だがマンピーではただの『七』にする。
後に左膳は家紋を髑髏(どくろ)に変えているが、勿論『七』が意味するところは『エロティカ・セブン』からだろう。

ところでこの浪人は頭巾を被っているが、日清戦争時の外務大臣は陸奥宗光だがこの人は確か紀州藩の出身で幕末には陸奥陽之助と名乗っていたが坂本龍馬の海援隊に属し龍馬が暗殺された後に新撰組への襲撃など行なったがこの当時の写真が残っている。
その衣装が鞍馬天狗と全く同じ。
鞍馬天狗や陸奥が被っているのは所謂、宗十郎頭巾という衣装で歌舞伎役者の初代沢村宗十郎が考案したとか。
つまり映像の浪人は左膳と天狗を掛け合わしたものかと。
ピストルは当時は確か短筒とか言ったが浪人が短筒を持っているところも鞍馬天狗風だ。
モデルはおそらく昭和初期の大スター大河内傳次郎ではないだろうか!


印象主義的な和音!
勿論、私にも解りません。

しかしこの曲は判りました。
ハガキ紹介だけで曲が掛かりませんでした。
でもサッチモが歌っているのは聴いたことがありません。
私の好きなドリス・ディで聴いて下さい。

映像はリタ・ヘイワースとグレン・フォードです。
くれぐれもドリス・ディではありませんので宜しく。

人間、30数年前ぐらいのことはなかなか忘れないものである。
ましてや思い出のキャンパスもそのままに昔と変わらぬ姿を今に留めれば想い出は尚リアルに鮮明だろう。
原坊は涙こそ見せずにいたがその心中如何ばかりであろうか。

「この階段を上がってこの教室で初めて桑田に会った!」
「曲が出来たといって屋上のこの辺りで弾いて聴かせてくれた」
「練習した場所に今もそのままにピアノが!」

思い出は褪せずいつまでも熱く心に秘め
過ぎ去った月日も帰らず
仲間の顔を思い出の中に探る青学だっただろうか。

少し切なくなるよな30分だった。



日本のロックの創始者が桑田だとは言わないが、その中興の祖であることは間違いないだろう。
桑田以前の音楽、例えばGS時代の音楽などはまだロックなどと言えるような代物ではなくJ・ポップの黎明期で多くの名曲を輩出したとはいえ欧米の現状とは隔絶の感があった。

職業と同じように音楽嗜好にも体質があり必然的に桑田は欧米化路線に向かわざるを得なかったのだろう。
相対的に桑田のロック・サウンドとは全体を擬似英語で囲みサビの部分はしっかり英語で固めるという手法で日本人にとって耳障りの良い英単語を、それこそ適材適所のように配置する。
それはもう名人芸の域でクワタ・マジックと言ってもよい。

戦後すべての物が欧米化の道を進む中、日本のロック史上初めて出たマジシャンだったと言ってもいい。
真のマジシャンの芸が魔法なのかトリックなのか判然としないように、その曖昧模糊の中、間隙を縫うようにして和洋折衷ロックを見事完成させたのが桑田で、これはもう一代限りの芸で他には伝授できない。
洋楽を長く聴き慣れた者でさえも桑田の術中に嵌まる欧米ロックと見紛うほどの完成度である。

例えばこの「Soul Bomber~」のサビや歌唱法など聴いていると欧米人が日本語ロックを歌っているのかと錯覚するぐらいだ。
桑田よりも歌の上手い人は沢山いるだろうが、この玄人芸のような音楽センスはちょっと余人を持って代え難い。
下積み時代がないサザンと言われるが桑田にとっては沢山の音楽を聴くことが下積みの努力だったような気さえする。