🎞️字幕:フェミニストや社会学者が好んで使う「有害な男らしさ(toxic masculinity)」というフレーズ。
— 🇺🇸Blah💬 (@yousayblah) December 7, 2021
ラディカルサヨクの天敵とも言われる、カナダの心理学者ジョーダン・ピーターソンが感情をあらわに語る、有名な一幕。 pic.twitter.com/Nevpsuoprg
https://twitter.com/tarafuku10/status/1026088227667623936
tarafuku10
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ジョーダン・ピーターソンの「危険な人々が子供たちを教えている」を自分なりに訳してみた。ラジカル左翼(新マルクス主義者)にハイジャックされた大学教育に警鐘を鳴らす動画。ここではピーターソンは欧米の大学について語っているが、多くの論点は日本にも当てはまる。
https://youtube.com/watch?v=LquIQisaZFU
※あなたは今、気付かないうちに危険な人々に資金を提供している。西洋の至るところで、彼らは憤怒に満ちたイデオロギーを若者たちに刷りこもうとしている。彼らは西洋文明を腐敗しており抑圧的で「家父長的」だと考えており、それを弱体化させることを人生のミッションにしている。

もしあなたが納税者か、一般教養を学ぶお子さんの学費を払っているのなら、このニヒリスト集団を支持していることになる。すべての真実は主観的なもので、男女差はすべて社会的に構築され、第三世界の全ての問題の唯一の原因は西洋の帝国主義だと主張するイデオロギー信奉者を支援していることになる。

彼らはポストモダニストで、「進歩的」なアクティビズムをあなたの近くの大学で押し進める。彼らは、大学に来た講演者を暴力的に締め出す暴徒、人工的なジェンダー代名詞の使用を法に組み込む言語警察、ほとんどまたは全く存在しない差別を狂ったように取り締まることで生計を立てる学生部長を生み出す

彼らの思想は、60年代/70年代に西洋の大学に定着したものだ。当時の急進的左派思想の信奉者たちの今日の姿が大学教授だ。私たちは今、教育に関する負債を抱え込んでいる。子供たちは批判的に思考し、明確に書き、正確に話す方法ではなく、指導教官の破壊的なアジェンダを手本にする方法を学ぶ。

今ではシェイクスピアに触れずに英語の学位を取得することが可能になった。(彼らにとって)シェイクスピアは「抑圧的社会」に根ざす作品を書いた、死んだ白人の男の1人にすぎないのだ。

さて、ポストモダニストを理解して反論するには、彼らの思考の方向性を明確に識別する必要がある。
第一に、「多様性(ダイバーシティ)」、「公平性(イクイティ)」、「包摂(インクルージョン)」という、彼らが新しく創り出した、祝福されない三位一体だ。

(彼らの言う)「多様性」は、意見ではなく、人種、民族、性的同一性によって定義される。
「公平性」は、かつてのように機会の平等という素晴らしい目的を指すのではなく、結果の平等を指す。
「包摂」は、この見当違いの平等(結果の平等)を実現するため、アイデンティティに基づき数を割り当てることを指す。
西洋のすべての古典的な権利は、こうした新しい価値よりも低いものと見なされる。たとえば、民主主義の重要な柱である言論の自由について考えてみよう。

ポストモダニストは、善意の人々が意見を交換して合意に達することを信じない。彼らの世界は、アイデンティティに基づくグループが力を求めて戦いを繰り広げるホッブズ的な悪夢だ。彼らは、反対意見を間違っていると見なすだけではない。彼らが転覆を目指す抑圧的システムの一部だと見なすのだ。


そして、反対意見を封じ込め、制限することが、道徳的な義務だと考えている。

第2に、自由意思に基づく自由貿易がすべての人に恩恵をもたらすという思想、すなわち自由市場の否定である。資本主義により、何億もの人々が、歴史上で初めて、衣食住や移動に困らなくなり、娯楽や旅行を楽しめるようにすらなったのだが、彼らはそれを認めようとしない。

米国で(そしてその他の国々でも)貧困に分類される人々は、基本的ニーズを満たすことができるようになっている。ところが、最近まで大学の急進派に人気が高かったベネズエラでは、かつては繁栄していたにもかかわらず、今では中産階級がトイレットペーパーを手に入れるために行列を作っている。

第3に、アイデンティティ・ポリティクスである。ポストモダニストは個人を信じない。個人は、人種、性別、性的指向の事例の1つにすぎない。また、あなたは犠牲者か抑圧者のどちらかである。前者が悪いことをすることはないし、後者が良いことをすることはない。

こうした犠牲者の発想は、権力行使の正当化以外のなにものでもなく、グループ対グループの衝突を生み出す。
こうしたすべての概念は、19世紀ドイツ人哲学者のカール・マルクスにルーツを持つ。彼は、世界はブルジョア(貪欲な富める者)対プロレタリアート(絶望した貧者)の巨大な階級闘争の場だと考えた。ソ連、中国、ベトナム、カンボジアなど彼の思想が実践された場所では、経済は破綻し、何千万人もが殺された

私たちは、こうした残忍な観念が拡散するのを防ぐため、何十年にもわたる冷戦を戦った。しかし、彼らはアイデンティティ・ポリティクスに姿を変えて戻ってきたのだ。ポストモダン・新マルクス主義という腐敗した思想にふさわしい場所は、歴史のゴミ箱の中である。

ところが私たちは、西洋の中心的な価値を何世代にもわたって伝えていくべき機関(大学)において、(新マルクス主義の)継続を支援してしまっている。私たちが止めなければ、ポストモダニズムは、既にアメリカや西洋の大学に対して行ったことを、アメリカや西洋の社会に対しても行うだろう。

(了)