菊池
@kikuchi_8

6月7日

刑法の名誉棄損罪と侮辱罪は明治の讒謗律に由来。讒謗律は明治政府を批判する言論を弾圧する道具であった。歴史に徴すれば、侮辱罪の罰則強化が何を意味するかは言わずもがな。侮辱罪の罰則強化は「誹謗中傷対策」を掲げるが、讒謗律も「個人の名誉保護」を謳い明治の欧化主義者が推進したものだった。

讒謗律はジェレミー・ベンサムの功利主義を信奉する親英主義者の小野梓が主宰する「共存同衆」の建議に基いて制定されたとされる。近代国家に於ける「個人の名誉保護」の為の「進歩的法律」として制定された訳である。実際には政府批判を弾圧する道具となった。何事も名目通りに受け取るのは愚の極み。

名誉棄損罪と侮辱罪自体が「讒謗律」という後ろ暗いルーツを持っている。緊急事態条項で政府が全権を握れるようになれば、明治政府が井上毅を批判した末広鉄腸を牢屋にぶち込んだような事も可能になりかねない。全体主義と戦争が迫る非常に危険な時代になった。自覚せねば取り返しがつかない事になる。

法律は実体ではなく「運用」とセットの関係性の総体である。つまりは「運用」次第。法律の制定時に幾ら結構な名目を掲げていようと、運用にこそその「法律」の正体が現れる。どう運用するかは法執行機関とその背後者の胸三寸である。讒謗律に関しては制定時の最高権力者大久保利通の胸三寸だったろう。

警視庁は大久保の子分の川路利良が作った。川路が黒田清隆の夫人斬〇事件をもみ消したように、当時の警視庁は大久保利通を頂点とする薩摩閥の私兵的集団だったと言える。俗に警官を「マッポ=薩摩っぽ」という。薩摩閥=親英派。大久保の次男・牧野伸顕は親英派の巨頭。讒謗律推進者の小野梓も親英派。

法律は表向きの趣旨だけではなく、誰が・如何なる組織が運用するのかに注目すべき。明治の讒謗律の性質を見極めるには、小野梓ら欧化主義者が掲げた「個人の名誉保護」という名目ではなく当時の大久保を頂点とする権力機構・法執行機関の実態を分析する必要がある。裏権力走狗の支配は今も同じである。

侮辱罪の罰則強化についても然り。「誹謗中傷対策」を名目とするが、今の日本の権力構造を見ると、真の狙いが透けて見えてくる。CSISの手先を中心に各裏権力派閥の走狗が両建構造を成して各所を支配する今の日本で、権力者が「令和の讒謗律」をどのように運用したがっているかは火を見るよりも明らか。

法律を運用から切り離して独存視するのも実体論的錯視の一つと言える。形式と実質・本音と建前の別を吟味する事が重要である。結構な名目や美辞麗句を掲げる裏権力走狗の発言は「巧言令色鮮し仁」の典型と言える。額面通りに受け取るのは危ない。「誹謗中傷対策」も然り。悪党程法律を狡猾に利用する。


以下「国際秘密力研究」様より転載

https://kokuhiken.exblog.jp/32334614/

・名誉棄損罪と侮辱罪の原型は明治の言論弾圧法「讒謗律」。最近の言論統制強化は讒謗律復活の動きと見ると本質が分かる。讒謗律の復活を許すな!!

※〇古今東西「言論弾圧」は堂々と「言論弾圧」を掲げて為される事は無い。何かもっともらしい理由を拵えて行われる。例えば、明治時代に「讒謗律」というのがあった。讒謗律は小野梓という人物が主宰する「共存同衆」なる啓蒙主義的な思想団体の建言に基づく体裁で「個人の名誉保護」という名目で作られた。

〇「個人の名誉保護」を名目として作られた讒謗律は、実際には薩長藩閥政府への批判を封じ込める為に使われた。讒謗律は新聞紙条例とセットで言論弾圧の道具として機能した。実はこの讒謗律こそが日本の近代刑法の名誉棄損罪と侮辱罪の元になった。つまり、刑法の名誉棄損罪と侮辱罪は言論弾圧法が原型。

〇思い当たるフシが無いだろうか?最近は、やたらと名誉棄損罪の厳格適用や侮辱罪の厳罰化が叫ばれている。公権力を預かる政治家が自らへの批判を「誹謗中傷」として問題視するようにもなっている。要するに名誉棄損罪と侮辱罪の明治の讒謗律への先祖返り。言論弾圧者は常にもっともらしい名目を掲げる。

〇刑法の名誉棄損罪と侮辱罪の原型である讒謗律は明治政府への批判を弾圧する為の道具だった。名誉棄損罪と侮辱罪は運用次第では言論弾圧の具として機能し得るという事である。「誹謗中傷から個人を守る」という掛け声も讒謗律制定時の名目と酷似する。歴史に学ぶと今起きている現象の本質が見えてくる。

〇是非押さえておくべきは「日本の近代刑法の名誉棄損罪と侮辱罪は元々は言論弾圧法」という歴史的事実。しかも明治時代に「進歩的」と目されていたであろう欧化主義者が「建言」した事も。ネオリベも似非リベも欧化主義者の思想的末裔。最近の風潮は実にきな臭い。讒謗律への「先祖返り」を警戒すべき。

〇名誉棄損罪の厳格適用や侮辱罪の厳罰化の企みは讒謗律復活の動きと見ると分かり易いだろう。謂わば「令和版讒謗律」。「誹謗中傷」を名目に現代版の讒謗律復活を呼号しているのは主に自称リベラル勢。讒謗律制定の契機となった小野梓らの「共存同衆」の建言活動に相当する。明治から何も変わらぬ構図。

〇讒謗律は小野梓らの建言に応じる形で「個人の名誉保護」という名目の「進歩的」法律として制定された。だが、明治政府は政府批判を封じ込める為の道具として讒謗律を用いた。令和版讒謗律も「人権保護」を掲げる「進歩的」なものとして推進されているが、権力者がどんな使い方をするかは明白である。

〇小野梓は英米法が専門で、英国系の啓蒙主義者だったようである。小野梓の思想は分明ではないが、英国系である事と時代を考えると功利主義の可能性が高いと見る。功利主義とスペンサーの社会進化論を合わせた思想が明治の主流のイデオロギーだった。新自由主義の源流。明治以来の思想的呪縛は今も続く。

〇「進歩主義」の世界観に反して「進歩」してない。明治の主流イデオロギーは時代に合わせて装いは「変化」はしたが、「進歩」は全くしていない。社会進化論の根底にある弱肉強食の教義は不変である。これが裏権力(国際秘密力)の思想・教義の根幹にあるものだと見ている。惑沈騒動の根にもこれがある。

〇明治時代に讒謗律は新聞紙条例と合わせ新聞潰しに威力を発揮したが、今や「新聞」が讒謗律(名誉棄損罪と侮辱罪の先祖返り)の復活が「急務」などと主張している。堕落の極み。末広鉄腸は讒謗律で投獄された。当時の新聞は新興媒体なので今のネットに相当すると思う。今の新聞は裏権力広報でしかない。

〇明治のジャーナリスト・末広鉄腸は讒謗律を制定した井上毅らを「茶化した」かどで讒謗律と新聞紙条例に違反したという事で獄に投ぜられた。政治的言説や権力批判に多少の侮蔑表現は付き物。それを一切禁じれば実質的に言論の自由は無くなる。明治の讒謗律の標的は新聞、令和の讒謗律の標的はネット。

〇「法律」とは紙っぺらに書かれた只の箇条書きに非ず。重要なのは解釈と運用である。刑法の名誉棄損罪と侮辱罪が言論弾圧法である讒謗律を原型とする以上、運用次第では「讒謗律の復活」になり得る。たとえ「讒謗律」という法律名が無くても、解釈や運用の仕方次第で「讒謗律の復活」は可能なのである。

〇権力批判を封殺したい走狗政治屋、批判者を潰したい政治勢力、新興媒体のネットを潰したい既存メディアなど様々な思惑が絡み「讒謗律の復活」が目論まれている。一般人や権力に関わりの無い有名人への中傷は極力ツールの仕様等で防ぐようにすべき。讒謗律で言論圧迫すると物が言えぬ暗黒社会になる。

〇自称リベラルなどが戦前の日本の批判をするのは日本の悪口を言う事自体が目的であり、戦前の歴史を顧みて現代の問題を正そうという前向きの姿勢ではないのは明らかである。その姿勢があるならば、実質的な讒謗律復活を主張するはずがない。彼らは気に入らない言論者や批判者を潰したいだけなのである。

〇「自称リベラルなどが戦前の日本の批判をするのは日本の悪口を言う事自体が目的」と書いたが、所謂ネット右翼が発生したのはこれに対する反動が大きいと見る。自虐史観と自尊史観の両建。いずれも偏りがあり、問題を客観的に捉えられない。「偏」に対する「正」とは只、事理(事実と道理)に則るのみ。

〇自虐史観とは日本人の自尊心を傷つけて正面から国を解体せんとする大東社系の思想ツールで、自尊史観は日本人の自尊心に付けこんで思考力を奪い内側から国を融解させんとする英国石屋系の思想ツールだと分析している。前者は分かり易い悪口が多いが、後者は一見日本を持ち上げるので気付かれにくい。

〇自尊史観は日本を持ち上げて日本人の自尊心を刺激しつつ体よくワンワールド化の駒にする手法に使われる。例えば、「日本は世界の中心である。日本が世界統一を主導しなければならない。」などと主張しワンワールド主義に洗脳したり、「日本主導のTPP」という文言で経済統合を推進する手口などがある。

〇「偏り」に対して「中道」は一理あるが、「中道」を「極端と極端の真ん中」という意味や「中道という主義=中道主義」と解すると、これまた偏る危険性がある。例えば、「長距離でも短距離でもない中距離の速さで走るのが常に正しい」とはならない。状況に応じて適正な方法を取る「適正」が大事と思う。

〇故に「偏」に対して「正」と書いた。だが、「正」とはあくまでも自分を省みる基準であり、自分の考え自体を「正」とするのは「独善」であり、「正」とは言えない。また、「正」という概念に執着すると、かえって「偏(偏り)」に陥ると思う。偏に対して正を立てるが、偏が消えると正もまた留まらない。

〇刑法の名誉棄損罪と侮辱罪は明治の言論弾圧法「讒謗律」が原型。侮辱罪の厳罰化は讒謗律復活の企みだと捉えると分かり易い。何を「侮辱」とするか明確な基準は無いので言論委縮効果を生じ言論弾圧の具になるのは必定。讒謗律復活を許すな!【「侮辱罪に懲役刑」厳罰化答申へ】https://nordot.app/818378391054303232

〇個人名を指摘しなくても多数の者に共通する類種的特質を指摘すれば、急所を抉る事が可能である。例えば、ネオリベの類種的特徴を「乱暴・無神経・傲慢・冷酷・ルサンチマンが強い・公私混同・利権屋・改革者気取りの悪党..」などと並べると色々な顔が思い浮かぶだろうが、決して名誉棄損にはならない。

〇讒謗律復活阻止は勿論の事、運用次第で讒謗律化が可能な名誉棄損罪や侮辱罪への対抗策も必要である。個人的には、個人名を挙げずに一般名や類種的特質を挙げるだけで急所を抉り、裏権力及びその走狗全体に打撃を加えるという追及方法を得意としている。類種的特質の指摘で敵全体への猛爆が可能である。

〇ネオリベの類種的特徴「乱暴・無神経・傲慢・冷酷・ルサンチマンが強い・公私混同・利権屋・改革者気取りの悪党・「前進か・後退か」など二分法を多用する・人の話を聞かない独裁者・権力を握らせるとパワハラをやらかすタイプ・冷笑ばかりする・弱いものいじめをしながら強者に立ち向かうフリをする」

〇かかる類種的特質を聞けば、それぞれ「ああ、あいつね」という顔が1人や2人は思い浮かぶだろうが、別に特定の誰かの事を言っている訳ではないので名誉棄損ではない。お笑い芸に「あるあるネタ」というジャンルがあるが、それと似てない事もない。要するに「ネオリベあるある」を言っているに過ぎない。

〇記事の内容を読んでいない事が明白な的外れな“非難”。根本的に矛先がズレている。ネトサポ的な工作員会社は個人のネット言論とは異質である。世論誘導工作を行う組織は権力と結びついており、この記事で言う「言論弾圧」の対象ではなく、むしろ言論封殺の担い手と捉える。

「#Dappi

名誉毀損と司法が認めたという事で情報開示を認めた。

名誉毀損に当たるのがデマを流していたという立法事実。

反論があればどうぞ。

#国会中継 を見ている者からすれば法人とはあまりにも悪質かつ、それこそ言論弾圧と付け加える。

寝言は寝て言え。https://twitter.com/kikuchi_8/status/1447050665973350400」

〇これだから自称リベラルは実に愚劣だと思うのである。「自陣営以外の、意見が異なる者は全てネトウヨ」という思い込みの下、パターン化された条件反射的テンプレ反応しかできない。最近話題になったネトサポ工作員会社の事は何も言及してないのに、その事だと思い込んで噛みついてくるとは粗忽過ぎる。

〇両建システムに飼いならされるとパターン化したテンプレート的思考しか出来なくなる。視点が特定の「敵」の像に固定される。自称リベラルなら「敵は全てネット右翼」と思い込む。国内の両建構造だと統一協会系右派と大東社系左派の両建がある。所謂ネット右翼は前者に、自称リベラルは後者に分類される。

〇名誉棄損罪や侮辱罪で政敵を追い込む事に愉悦している者は、自分にもその矛先が向き得るという想像力は無いようである。工作員会社ではなく、一個人が国会議員から訴えられる事態も想定される。これは一般人にとって相当な脅威である。権力や影響力を持つ者は訴訟という手段に抑制的であるべきである。

〇自称保守は何故か「権力の一員」という前提で政府の権力強化に賛同するが、強化された権力が自分にも矛先を向ける可能性は無視している。自称リベラルは侮辱罪の厳罰化等で政敵や批判者を追い込めると愉悦を感じているようだが、自分に矛先が向く事態は想定していないようだ。都合の良い連中ばかり。

〇右も左も権力者目線だ。自称リベラルは「反権力」ぶって実は権力が大好きある。権力や暴力で敵を追い込む事でドーパミンが出て快楽を感じるタイプが多いと見る。それは仏蘭西革命の時代から変わらぬ大東社系の傾向である。彼らは敵を破滅させる事に狂喜する。だが、自分に矛先が向くとは想像しない。

〇大東社系左翼の凄惨な内ゲバの歴史とは、一時は権力を握って狂喜乱舞した者が次の日には断頭台の露と消えるが如き事の繰り返しである。ネット時代の今も同じ。「敵」の個人情報をばら撒いて狂喜していた輩が次には己が同じ目に遭って表舞台から去る、などという事がよくある。人を呪わば穴二つである。

〇発生の当初から大東社系はブレーキの利かない暴力性を持っている。今は法治国家の建前があるので、仏蘭西革命時のようなあからさまな暴力は振えない。その代わりに資金と組織力に物を言わせた「訴訟」や集団示威で敵を追い詰める。自称リベラルは平和や人権を騙るが、実際には非常に暴力的なのである。

〇自称リベラルと言えば、相手の書いている事の趣旨をよく理解もせずに、文字面だけを見て思い込みでいきなり殴りかかるような真似をしてくる。例えば、話した事もない他人に対していきなり「寝言は寝て言え」などという暴言を放つ輩は決して「平和的」ではあるまい。自称リベラルには、粗暴な輩が多い。

〇自らを正義と思い込んでいる者程徹底した暴力を振るう。「正」は「邪」に対するものだが、「邪」が止めば「正」も長く留まるべきではない。邪を止めんが為に強いて正を立てるが、邪が止めばいつまでも「正」をがなり立てるべきではない。そういった柔軟な正邪観が東洋文化にあるが、似非リベには無い。

〇「自らを正義と思い込んでいる者程徹底した暴力を振るう」のは十字軍的発想と言える。大東社系思想も西洋の基督教文明から出たものである。自称リベラルは「ヘイター」というレッテルを貼り付けた相手に対しては何をしてもよいと思っているような所がある。十字軍・異端審問・魔女狩りと同じ発想だ。

〇「正義」は中毒性がある。慎重かつ適切に扱わないと「悪」そのものになる。「正義」と「悪」をそれぞれ実体視する二元論は西洋猶太基督教文明の特徴の一つだが、明治以後は日本人の思考にも影響を及ぼしている。個人的には前述の影響を相対化する為に、日本や東洋の伝統的学問を知るように努めている。

〇「三論玄義」は様々な考えや思想に対する態度を「有所得」と「無所得」に分類する。有所得とは概念的な対象を立てて実体視・絶対視し執着する態度。無所得は概念的な対象に執着しない態度。有所得を「魔の眷属」とする。歴史上「神」や「正義」の名で為された悪魔的所業のメカニズムの説明になり得る。

〇神仏であれ悪魔であれ正義であれ概念的な対象を実体視して固執する立場は「有所得」であり「魔の眷属」とする捉え方は、西洋には無い発想である。神と悪魔の二元相対観が西洋文明の根本だからである。この世界観では「神」や「正義」の名で行われる悪行蛮行は分析し難い。自称人権平和論者の暴力然り。

〇「人権」や「平和」を語る(騙る)大東社系左派の暴力は、歴史上無数に行われてきた「神」や「正義」の名による悪魔的所業と同質である。宗教的装いをしていないだけで機制は同じである。その仕組みの分析として「概念的対象を実体視して固執する事(=有所得)」というのは中々言い当てていると思う。

〇無神論又は無神論的傾向を持つ大東社系思想も西洋の有神論と同様に実体論である。例えば「神」ではなく「理性」や「物質」という実体を立てているからである。大東社系勢力が十字軍的な行動をするのは、思想・行動の根本の機制が十字軍と同じであるからに他ならない。概念的対象に執着するとそうなる。


https://twitter.com/kikuchi_8/status/1443349072874590209


(了)



https://kokuhiken.exblog.jp/32199410/

〇ほんの一言二言晒すだけで一般人を社会的に抹殺出来るような影響力のある有名人やメディアが「匿名」批判をよくするが、これは「正規軍」が「ゲリラ」に対して持つ苛立ちや恐怖心に似ていると思う。「匿名」は弱者が強者に立ち向かう武器である。少数が大軍に野戦で正面からぶつかっても勝ち目はない。

〇緊急事態条項とは一見関係ない話に見えるが、実はさにあらず。「名前を晒して堂々と主張せよ」は一見正論に見えるが、これを強者が弱者に向かって言う場合はゲリラに「野戦で殲滅してやるぞ」と言っている訳である。「匿名」という武器を奪えば、言論弾圧がより容易になる。外堀を埋めている訳である。

〇裏権力は弱者が強者と戦える「匿名」という武器を心底恐れている。匿名批判はその表れ。ゲリラの恐怖に怯えて発狂した正規軍兵士の話を何かで見た記憶がある。顔も名前も出している有名人は全方位的両建批判をすると命に関わる。だから、有名人は「反FTA親SDGs」などというパターンが殆どなのである。

〇芸能人らに対する誹謗中傷問題は仕様で解決出来ると考えている。仕様で罵詈雑言が本人に届かないようにする。個人的には芸能人をスピンの生贄にして集団リンチする野蛮な風潮は苦々しく思っていたが、かといって「匿名」一般を否定するのは別の話である。匿名は弱者が権力批判するには欠かせない武器。

〇ネット言論を封殺する他の方法として「訴訟」のハードルが下げられてきた。裁判というのは金持ち程有利である。金持ちは趣味感覚で訴訟が出来るが、弱者ほど経済的精神的負担が重くのしかかる。「訴訟で解決しろ」は一見公平に見えて、実際には金持ちほど有利なネオリベ的社会設計の一部なのである。

〇新自由主義者(ネオリベ)が掲げる標語に「事前調整型社会から事後救済型社会へ」というのがある。「事後救済」とは「裁判」である。事前の規制で社会を調整するのではなく、トラブルが起きたら訴訟で解決しろという事である。訴訟は強者程負担が軽く、弱者程負担が重い。弱肉強食型社会設計である。

〇「事後救済型社会」というネオリベ化の進行で言論の自由が脅かされている。そろそろ「スラップ」について真剣に考えるべき時だろう。「SLAPP」とは「strategic lawsuit against public participation」の略。「市民参加を排除するための戦略的訴訟」と和訳される。言論封殺の手段としての訴訟を指す。

〇米国の加州には「反スラップ法」がある由。被告側が「スラップだ」と主張し、それが認められると提訴が棄却され、訴訟費用は原告側が負担する事になるそうである。我が国にもスラップの法規制が必要だと考える。さもないと資金が潤沢で何人もの弁護士を付けられる社会的強者に不当に有利な社会になる。

〇「匿名」の保護とスラップに対する法規制。緊急事態条項創設の企みなど全体主義化が進行し、言論の自由が増々脅かされてている現状に於いて、この二つは是非とも必要になる要素だと考える。米国のモノマネばかりしたがる連中は、政治活動をした宗教団体の免税特権剥奪と反スラップ法だけは無視する。

〇「誹謗中傷」と「正当な批判」を峻別する事はそれ程簡単ではない。権力に不都合な言説を全て「誹謗中傷」呼ばわりする事も出来る。芸能人らを追っかけ回し散々「誹謗中傷」してきたメディアが「誹謗中傷」問題を語るのは「ブーメラン」という以上にネット言論統制を正当化する意図に発したものだろう。

〇兵法によると、兵には「正兵」と「奇兵」があり。「正兵」で戦っても勝てるのは十分な戦力がある場合に限られる。劣勢の場合は「奇兵」戦術を取るのが上策と言えよう。圧倒的な資金力であらゆる媒体、組織、有力者を傘下に置く裏権力に、一般庶民が立ち向かう為の有効な武器の一つが「匿名」である。

〇情報が拡散し、匿名の追及者が無数に増える。どこの誰が発言しているのかも分からない。情報だけが拡散していく。これは確かに裏権力にとっては恐怖だろう。その怯え、恐怖、苛立ちがメディアを通じた「匿名批判」となって表れていると見る。芸能人を生贄にした野蛮なスピンに乗ると増々口実を与える。

〇“コロナ禍”工作は皮肉にも「本物」と「偽物」を物の見事に炙り出している。日頃「自由」「人権」を叫んできた連中の殆どが本音では「(自分以外の)言論の自由など要らない」と考えている事が露呈した。異論者を集団で通報する、訴訟で脅すなど。この上緊急事態条項が出来たら完全に収容所国家になる。

〇特に大東社系左翼・似非リべラル勢の偽善と独善と暴力には反〇が出る思いがする。似非リベラル勢は「人権」「自由」を叫んできたが、彼らの本音は「自陣営以外の言論の自由など要らない」「集団で圧力をかけて異論者を徹底的に潰したい」「ロックダウンをやって締め付けを強化しろ」「全員惑沈打て」。

〇大東社系左翼の特徴の一つは、気に入らない言論に対して、集団で通報したり、訴訟をちらつかせて脅すなどして言論の自由を奪おうとする事である。とにかく批判者を徹底的に潰したいという独善的なドグマによる暴力衝動が感じられる。他にも特徴があった。常軌を逸した暴言を吐いても凍結されない事だ。

〇個人的に遭遇した例だが、某大東社系左翼は、ここで書くのもはばかられるような暴言を連発しても凍結されなかった。虚言(デマ工作)・セクハラ(女性の人権を侵害する発言)・暴言(暴力的=バイオレンスな発言)の「トリプル」をやっても凍結されない。明らかに「保護」されているとしか思えない。

〇「言論の自由」は収容所国家であるか否かの最重要メルクマール(指標・目印)である。自由に物が言えるからこそ、政治の過ちや社会の不正を正す事も出来る。逆に自由に物が言えなければ収容所国家化する他ない。この最も重要な「言論の自由」を最も軽視しているのが日頃「自由」を叫ぶ連中という皮肉。

〇最近の言論の自由を脅かす諸々の策動。〇著作権法違反の非親告罪化〇発信者特定手続きの簡易化〇メディアの「匿名」批判キャンペーン〇気に入らない言論を潰す為の集団通報〇訴訟による脅しやSLAPP〇SNS企業による言論統制(特定言説の締め出し・凍結)...そして極め付けが緊急事態条項の創設の企み。

〇言論の自由の否定の口実によく使われるのが「芸能人への誹謗中傷」「炎上」である。少し観察すれば分かるが、芸能人の炎上騒ぎは大抵はメディアの報道がきっかけになっている。メディアが醜聞や失言等を報じ、ネット民が反応する形。炎上とは要するに芸能人を生贄にする野蛮なリンチ=スピン報道の事。

〇「炎上」という名のスピン報道は、重要問題から目を逸らせるし、ネット言論の封殺の口実に使えるしで、裏権力走狗にとってはまさに「一石二鳥」である。肝心な問題から目を逸らせるスピン報道を止めたら芸能人の炎上案件など減っていく。それをネット言論封殺の口実にするなど、お門違いも甚だしい。

〇「日本人は自由・人権が分かってない」としたり顔で語って(騙って)きた欧化主義者程それが身になってなかった事が露呈した。彼らの言う「自由」とは、あくまでフリーメイソン的な「観念」「イデオロギー」としての「自由」である。裏権力及び走狗は「自由」を掲げて民衆に「不自由」を押し付ける。

〇厳格な位階制を設ける閉鎖的な秘密結社が言う「自由」とは、観念としての「自由」である。これは「不自由」を押し付ける為の格好の道具である。例えばネオコンは「自由」を掲げて侵略する。「日本人は自由が分かってない」と言う場合の「自由」はこれ。似非リベらが言う自由とはフリーメイソンの教義。

〇本当に大事なのは、「自由」なる観念ではなく、実際に「自由に物が言える」という事実・現実としての「自由な状態」である。「自由」なる観念に執着すると、かえって「事実状態としての自由」を失う。只の観念・言葉を実体視して執着しドグマ化すると「事実状態としての自由」を失う。似非リべはそれ。

〇真に言論の自由を守るには、フリーメイソン的な「自由」観念への徹底批判が必須である。言論の自由を封殺してくるのは、ほぼ例外なく石屋的な観念としての「自由」を盲信している連中だからである。ネオコンは「自由」を掲げて侵略するし、似非リベラルは「自由」「人権」を掲げて言論封殺に狂奔する。

〇「巧言令色鮮し仁」は「自由」にも当てはまる。日頃から「自由」「人権」と連呼してきた連中ほど「(自分以外の)自由」を毛ほども重んじていない事が露呈した。「異論者を締め出せ」「ロックダウンをしろ」「全員に惑沈を打て」等々。フリーメイソンの思想的エピゴーネン共の横暴を許してはならない。

〇「本当に大事なのは、「自由」なる観念ではなく、実際に「自由に物が言える」という事実・現実としての「自由な状態」」「事実状態としての自由」と書いたが、これについて具体的に説明しておくべきであろう。権力や暴力、社会的圧力などによって脅かされる事無く発言する権利が保障される事である。

〇制度や社会環境など諸々の関係性によって実質的に保障されない限り「言論の自由」は只の観念に過ぎない。似非リベラルをはじめ、フリーメイソン的な教義・観念としての「自由」を叫ぶ連中ほど実質として「言論の自由」を守る諸関係の破壊に狂奔する。集団通報(現代版密告)やSLAPPなどが典型である。

〇矜持のある「反体制活動家」ならば「密告」など恥ずかしくて出来ないのではあるまいか。美学とか矜持とか、そういうものが欠片もないようである。「反権力」を気取る連中の多くが本当は「権力が大好き」。抑々大東社とは仏蘭西の権力者の集まりなのであるから、その思想的末端分子が同類なのは当然か。

〇「実質として「言論の自由」を守る諸関係の破壊」と書いたが、これを一気に実現するのが緊急事態条項である。言論の自由を保障する憲法を停止すれば、言論の自由が保障されなくなるのは当然である。憲法が停止すれば政府には「人権を保障する義務」がなくなる。言論の自由は厳しく制限されるだろう。

〇「言論の自由」を軽く扱う者が多過ぎると感じる。戦後の「民主主義教育」とやらも底が見えたと言えよう。言論の自由さえ保障されていれば、他の問題は言論のプロセスで正す事も出来るが、言論の自由を一旦手放すと、この過程自体が機能しなくなる。そうなれば、全体主義化・収容所国家化するほかない。

〇諸関係によって成り立つ「言論の自由」は何も近代立憲主義を待って初めて生じた訳ではない。「言論の自由」なる「概念」は近代立憲主義以来のものでも、実質的状態としての「言論の自由」は、近代以前では基督教が支配する西洋より東洋の方にあった。中村元氏はそういう評価をしているが、同感である。

〇容易に権力者の言論封殺に賛同するなど言論の自由を軽んじる者が多いのは、我が事として身になっていないからだろう。明治以来の欧化主義の流儀で観念として受容するだけなのである。言論の自由や自治の精神は、伝統的な思想や文化・固有の歴史と関連付けなければ決して血肉化する事はないと考える。

〇実質的状態としての言論の自由は春秋戦国時代の諸子百家や六師外道・六派哲学などと呼ばれた古代印度の哲学諸派など東亜の歴史に見られるが、我が国に於いても江戸時代の学者思想家の間で活発な論争が行なわれていた事を想起する。自治の精神は我が国中世の「惣」や「一揆」に於いて色濃く見出される。

〇山城国一揆では農民と国人が連合し合議制に基く自治体制を8年間維持した。こういった国史上の事例と関連付けて考察すると、本当に身になるのではないかと思う。欧化主義だとかえって近代主義特有のシステマティックな組織原理と目的合理主義に陥り、個を圧殺する全体主義に走る可能性が高いと考える。

〇国民投票法の改定は緊急事態条項の創設を主目的とする改憲に直結する。緊急事態条項は憲法を停止させ、政府が独裁的権限を持つ条項である。憲法が定める政府の人権保障義務は無くなり、全体主義化=NWO化するのは必定。国民の多くがもっと関心を持たないと非常に危ない!!https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210609/k10013076151000.html



・米国務省「韓国政府、言論に対して嫌がらせや脅し」(朝鮮日報 2022年4月14日)

※米国務省が12日(現地時間)に公表した「2021年国別人権報告書」で「韓国政府は名誉毀損法などを利用し、公共の討論を制約している」と指摘した。さらに大庄洞開発特恵疑惑、チョ・グク元法務部長官の妻・鄭慶心(チョン・ギョンシム)氏による娘の入試不正に対する有罪宣告などを韓国における腐敗事例として取り上げた。国務省は毎年全世界198カ国で発生している人権・腐敗関連の事例を収集し、これを整理した報告書を発行している。

人権報告書は韓国における重大な人権問題として「表現の自由の制限」を取り上げた。報告書は「政府と公人が公共の討論を制約し、私人と言論の表現に嫌がらせをしたり、脅したり、検閲したりするために名誉毀損法を利用した」と指摘した。報告書はこれ以外の人権・腐敗関連の事案については人権団体や言論報道に出てきた意見を紹介したが、この部分では「(私人・言論による表現を)嫌がらせをして脅している」として直接的な表現で批判的な意見を出した。さらに文在寅大統領が自分を非難するビラを配布した30代の若者を侮辱罪で告訴し、後にこれを取り下げた事件や、故・朴元淳(パク・ウォンスン)元ソウル市長の遺族が朴元市長のセクハラ容疑関連に関する書き込みをネットに掲載した市民を名誉毀損で告発した事件、韓東勲(ハン・ドンフン)検事長に関する虚偽を主張した容疑で柳時敏(ユ・シミン)元保健福祉部長官が名誉毀損罪で起訴された事件などをその事例として取り上げた。

懲罰的損害賠償を巡っては同じく問題となった言論仲裁法改正案も大きな論争になっていると伝えた。報告書は「与党はうそや捏造が判明した報道の被害者がメディアやオンライン仲介業者に懲罰的損害賠償を求められるとする論争的改正案を成立させようとしている」「メディアはこの法律について『自由に活動する言論の能力をさらに制約する』との理由で反対している」と説明した。

対北ビラ禁止法問題については「一部の人権団体が『政府は北朝鮮に焦点を合わせた特定NGO(非政府組織)の活動を制限する』と言った」と伝えた。米国務省は昨年の報告書でもこの問題を取り上げ、「表現の自由が制限される恐れがある」として懸念を示していた。

米国務省は北朝鮮の人権問題を取り扱った別の報告書では「重大な人権問題」として「政府による不法かつ恣意(しい)的な殺害」「政府による強制的失踪」「政府当局による拷問および残酷かつ非人間的で侮辱的な待遇や処罰」などを取り上げた。

報告書はさらに北朝鮮に抑留されている韓国人の事例を今回初めて紹介した。報告書は「恣意的な拘禁」の項目で「6人の韓国人(キム・ジョンウク、キム・グクキ、チェ・ジュンギル、キム・ウォンホ、コ・ヒョンチョル、ハム・ジンウ)が北朝鮮に抑留されている」とした上で「彼らの一部は8年にわたり拘禁されている」と指摘した。米国務省のリサ・ピーターソン次官補代行(民主主義・人権・労働担当)は12日に行われたブリーフィングで「北朝鮮は全世界で最も抑圧的な権威主義国家の一つだ」と批判した。