2009年に、近い将来プランデミックが引き起こされ、ジェノサイドが起きると警告していたリマ・ライボウ医師のインタビューの核心部分。 pic.twitter.com/nyZ52EhhUi

— Transporter (@retopsnart) October 16, 2021

抜粋してキャプチャ



































@nodoka20151
ワクチンが人口削減だと言う主張の対して、「デマ」とか「陰謀論」とか言われることが多いけど、闇の権力者達はかなり前から増えすぎた人口を大幅に選らす方法を本気で考えていたのは残念ながら事実のようですね。

@GibsonHoneyroll
こういう恐ろしい計画を実行しようとしている支配層の邪悪さを知るにつけ我々は、接種者だ非接種者だ、マスクだ反マスクだと非難し反目し合っている場合ではないと痛切に思います。それは彼らが恐れる我々の団結から最も遠い状態であるだけでなく、むしろ彼らが最も望んでいる状態でもあります。




※ブログ主注:以下の記事は本旨を変えることはありませんが、原文を部分的に省略・改変するなど、いじらせてもらいます。


https://note.com/jinniishii/n/n7eb7c91c1230

・Q&A. なぜ多くの人が〇〇チンを入れてしまうのか?

日々予め幸せ

2021年8月22日

※どうして多くの人は〇〇チンを打つのが正しいと考えてしまうのでしょうか?打ってしまうのでしょうか?

〇〇チンの危険性は日々明らかになっているのに、メディアは日々、御用ドクターの「〇〇チンしかない」の繰り返しです。政治家も「若者に〇〇チン」の大合唱です。
反対の声は抹殺、全く聞こえません。
自民党から共産党まで、一致団結して〇〇チン。
あきれます。

これまで正しいこともそうでないことも意見は沢山あったと思うのに、コ○ナは変な話、一致団結してます。

どうしてでしょうか?


日本でのドクチン注入者が5割を超えました。世界でも3割を超えました。



それにつれて様々な死因で多くの人が死亡しています。厚労省の人口動態調査では5月以降、昨年に比べ1ヶ月に1万人以上死者が増えています。これは東日本大震災レベルです。

(追記:👇統計的にさらに解析してくださった方が!)

https://note.com/saturn_walker/n/n9d186410faf5

ドクチンの危険性を知り、打たない選択をしている方々は日々同調圧力に苦しめられているのが実情です。私をはじめドクチンの危険性を訴える人々の話を聞き、その逆効果性と危険性を知った人の中からでさえも打つ選択をする人々が出てきています。

今日は、どうしてそうなるのか?を解説したいと思います。


①支配されているから
 
『自由』という言葉があります。身体の自由、言論の自由、思想の自由、経済活動の自由...自由は日本国憲法で保証されています。
 
にも関わらず、人は自由ではありません。

『自由』とは『自らの理由』で行動できることです。

現実には誰もが様々な支配を受け「他者の理由」で行動を制限されています。

人はお金にも支配されています。
 
お金が儲かりそうなことには引きつけられ、お金を奪われる、収入を断たれるようなことは選択しにくくなります。
 
ドクチン会社のスポンサーはビル・○イツをはじめ世界最大のお金持ちたちです。その背後にはロスチャ〇ルドや中○共産党がいます。
 
そのお金の力は圧倒的です。政治家を支配し、メディアを支配し、企業も支配し、殺し屋も支配し、それらを恐れる人々も支配します。

さらに人は心理学的法則にも支配されています。
 
実は人間の脳は合理的に判断することはとても苦手です。誰しも常に『バイアス』に支配されています。
 
バイアスとは、先入観、思い込み、偏見のことです。

バイアスの例を挙げると


1 確証バイアス

いったん信じたことに合うことは「正しい」、信じたことから外れることは「ウソ」と思い込んでしまうことです。

最初にテレビで「〇〇チンは有効・安全」という情報を見て信じてしまうと、その後に「ドクチンは無効・危険」ということを示すどんな情報が入ってきても

「そんなわけない!」
「ウソだ!」
 
と考えてしまうのです。そして「〇〇チンは有効・安全」という信念に合致する情報ばかり集めてしまうことでさらに信念を強化していきます。

「ドクチンは危険」という信念にも確証バイアスは働きます。

自分が確証バイアスにはまっていないか確認するには、

自分の信念と反対の情報、どちらが現実とあっているか?
 
と確かめることです。

テレビなどの情報ではなく実際に、
自分の周りにコ○ナで苦しんだ人はいるでしょうか?
では〇〇チンで苦しんだ人は?
〇〇チンが始まってからコ○ナ禍は終息に向かっているでしょうか?それとも拡大しているでしょうか?


2 多数派同調バイアス

「みんな」が言っていることは正しい、と思い込んでしまうことです。

「お医者さんも『みんな』〇〇チン打った方がいいっていってるじゃない!」

本来「皆」とは全員のことですが、人は自分の周りに多い方を「みんな」と考えてしまい、それと外れる人の存在は無かったことにしたがるのです。

子供が物をねだって

「〇〇買ってよ〜。みんなもってるも〜ん」
「『みんな』って誰?」
「〇〇ちゃんとか〇〇君とか」
「2人じゃない。みんなは持ってないでしょ?」
「え〜、『みんな』だよ〜」
 
という感じです。

ドクチンも

「〇〇チン打てよ〜。みんな打ってるよ〜」
 
と迫ってくることは常套手段です。
特に日本人はこの多数派同調バイアスが強いので、これは②で別にとりあげます。


3 正常性バイアス

自分の今までの常識から外れた異常なことには反応しない、さらには反応できなくなることです。

「テレビや政府が国民を騙してる?そんなわけない!」
「〇〇チン打った人は2年で死ぬ?そんなわけない!」
「地球人口削減が目的?そんなわけない!」
 
と思ってしまうことです。

一言で言えば「まさか」です。

「『まさか』うちに詐欺の電話が来るなんて思わなかった」
「『まさか』10mの津波が本当に来るなんて思わなかった」

警告を無視して被害に遭った人は大抵そう言います。

「『まさか』〇〇チンがそんなに危険なものだったなんて」

と多くの人が思う日はいつ来るでしょうか?

『まさか』と言う人を愚かと言うことは簡単ですが、これは人の脳の性質なのです。

異常事態や恐怖に際して、人が自ら判断し行動できなくなってしまう現象を『凍りつき症候群』と呼びます。
 
日々メディアで「コ○ナは怖い」「今日の感染者は何人」という情報を刷り込まれていると、人は恐怖によって判断力も行動力も失い、ただ支配されるだけになってしまいやすいのです。

だから、『まずはテレビを消すこと。感染源はテレビです。』


 

以上はほんの数例ですが、人間は決して『自由』ではなく、自分の意志以外の様々な要因に支配されていることはおわかりいただけたかと思います。

ではなぜ憲法は『自由』を保障しているのか?それは日本国憲法第12条に書いてあります。

自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。

重力や空気抵抗などの物理的障害に逆らって動くには、トレーニングという不断の努力が必要です。
 
お金の支配に抗うには、少なくとも支配者からお金をもらわなくても生きていけるだけの経済力が必要です。
 
様々なバイアスの支配にとらわれることなく事実を認識するには、情報力や思考力が必要です。

残念ながら、そうした不断の努力を続けて『ドクチンを打たない』選択をできる人はあまり多くないのが現実です。
 
支配の力は全ての人に及んでいます。
 
それでも不断の努力によって支配に抗う力をつけた人は、その範囲で『自由』であることができるのです。

例えば、普段から体を鍛えてきた人は津波が来た時にいち早く走って山に登ることができます。体力がない人は間に合わず波に飲まれてしまいやすくなります。
 
重力は全ての人を支配していますが、体力がその範囲で自由をもたらすのです。経済力・思考力にも同じことが言えます。

ドクチンを打ってしまう人が多い事実は、支配の力に抗い『自由』に動く力(体力・経済力・情報力・思考力)を持つ人が少ない現実を表しています。


②多数派に従うことで生き残ってきたから
 
日本人で特に強い多数派同調バイアス「みんなは正しい」思い込みについて、もう少し解説します。
 
バイアスは個人の性格ではなく、全ての人の脳にあらかじめ組み込まれた性質です。
 
どうして人間の脳はバイアスを持ったのでしょうか?

それはバイアスがあった方が生存に有利だったからと考えられます。

歴史上の様々な困難に際し、多数派に従う人の方が生き残りやすかったのです。

農村社会では有力者・多数派に従わない者は「村八分」にされることで生活が立ち行かなくなりました。
 
どちらかと言えば、日本なんてまだマシな方かもしれません。

何百年も続いたヨーロッパの魔女狩り。

ガリレオもかけられた異端審問、

近年では同じキリスト教徒同士でも宗派の違いでご近所さんと殺し合ったユーゴスラビア内戦など、

多数派から外れれば生存が不可能であった歴史は、世界中で枚挙にいとまがないのです。

私たちの多くはご先祖様が多数派に従ってきたからこそ、生まれてこれた可能性が高いのです。だから多数派に従いやすい遺伝子を持っているのです。

実は、これは人間だけではありません。

イワシの群れを見てみましょう。サメやカツオなどの中型の魚は、群れの中にいる個体より、群れから少し外れた個体を狙います。

ヌーの群れでは、群れから外れた個体がライオンなどの肉食獣の標的になりやすくなります。

大きな群れから外れることは、生存にとって致命的に不利である場合が多いのです。

今、ドクチンを打つことは権力者が強く推奨し、打つことが正義、打たないことは悪、という共同幻想が作られつつあります。  

マスクについては「着けるのが正義」という共同幻想がコ○ナ騒動が始まってから1年で半ば確立してしまったかのようです。そこに「マスクはウイルスを防がない」「呼吸やコミュニケーションを阻害する」「免疫力を低下させ肺炎の発症を増やす」といった科学的事実は関係ありません。

共同幻想は宗教の教義のようなものです。

マスク信者にはマスクしているかどうかだけが問題なのです。
 
そうなってしまうと、その教義に従わない者は悪、異端、悪魔として、どんな制裁を加えることも「正義」と考えてしまう人が増えます。
 
人はそうした「悪」に制裁を加えることに快感を覚えます。それをシャーデンフロイデと呼びます。

シャーデンフロイデもバイアス同様、進化の結果として人の脳に組み込まれた仕組みです。
 
ストレスが増えるほどにシャーデンフロイデは発動しやすくなります。社会的にストレスが高まるほど「いじめ」「ネット制裁」にのめり込む人が増えます。
 
その快感に囚われるとホテルマンは客をもてなすことよりマスクをさせることが自分の仕事と思い込み、その標的となることを恐れる母親は子どもと笑顔を交わすことよりマスクを着けることを優先してしまいます。

そうして多くの人が共同幻想に従う結果ますます共同幻想が強まり、それから外れる人は生きづらくなっていくのです。

ですから多数派同調バイアスはどんどん強まり、ドクチンを打つ人が増えていくのです。その流れが破綻するまで。

多数派が生き残ってきたんだから、多数派に従うのは正しいじゃないか?自分がいじめられたくなければ、いじめる側に回るのは当然でしょ?

だからドクチンも打った方がいいでしょ?

そうでしょうか?
 
面白いことに、必ずしも多数派が生き残るとは限りません。

○✖️クイズなど、大人数での2択クイズを思い出してください。

大勢の回答者が、○のマスか✖️のマスに別れて移動するクイズです。簡単な問題では、多数が正解するので多数派に従うことで正解しやすくなります。しかし難しい問題や引っ掛け問題では、むしろ多数派が間違えて一度に消えることが多くなります。

生物界でもそうです。

イワシが中型の魚に狙われた時は、確かに群れの中にいる方が食べられにくい。しかし巨大なクジラのように群れを丸呑みするような捕食者が相手の時は、群れの中央にいる個体ほど逃げることができずに飲み込まれてしまうしかなくなります。

イワシの群れは大量に発生するプランクトンを食べて数を増やし、クジラが待ち構える海域を泳いで大量に食べられて数を減らします。(旧ソ連のゴルバチョフ書記長は日本人はイワシの群れと言ったそうですが、今、鯨(クジラ)ならぬ鯨(ゲイ)ツの口に集団で飛び込もうとしているのかもしれません)

東日本大震災の津波で多くの大人たちは「今まで津波が来たことはないから」「みんな大丈夫だと言ってるから」というバイアスで判断して多数犠牲となりました。
 
バイアスに囚われず津波のリスクを学んだ子供たちが大人たちを説得して避難させ、生き残りました。

今回、このコ○ナ戦争はとても難しい引っ掛け問題です。
 
そしてどんな人も経験の範囲では対応できない未曾有の事態です。

これまでのご先祖様たちは科学的に考えるより多数派に従うことで私たち子孫に命を繋いでくれました。
 
例えるなら○✖️クイズで多数派に従うことでここまで残ってきたようなものです。
 
どうも、今回はそう簡単にはいかないようです。

そして多数派の多くが脱落すれば、生き残ったそれまでの少数派が次の多数派になります。


https://note.com/jinniishii/n/n622c2f889098

・虐殺論〜虐殺の条件・その止め方

日々予め幸せ

2021年9月22日

※ドクチンやマスクのウソには、もう多くの人が気づいてきたように思います。

しかしそのウソが間違いや過失、あるいは小銭を儲けるためのズルなのか?それとも意図的に人を殺そうとしてやっていることなのか?

そこはまだ判断できずにいる人が多いのではないでしょうか。
 
人の歴史は戦争と虐殺の歴史とも言えます。
古今東西、ヒトはヒトを殺してきました。
ヒトの天敵は菌でもウイルスでもありません。ヒトです。
菌やウイルスは虐殺の道具に過ぎません。
それは今に始まったことではないのです。
 
ヨーロッパ人がアメリカ大陸を侵略した時、天然痘で死んだ人の毛布をネイティブ・アメリカンに贈ったそうです。


コロンブスの新大陸発見とともに天然痘も流入スペイン人の新大陸侵略によってインカ帝国もアステカ帝国も滅亡したが、スペイン人と
www.higashi-news.com
 

今、史上最大の虐殺が進行中です。
 
感染症の恐怖を煽って〇〇チンを贈る(売る)というやり方で。

これが虐殺だと多くの人はまだ気づいていません。
そしてこれから述べるように、それこそが虐殺の特徴なのです。

虐殺と戦争の違いは何か?
無抵抗の相手を一方的に殺すのが虐殺。
抵抗する相手と戦って殺すか殺されるのが戦争です。

虐殺が起こるには条件があります。
 
1995年のボスニア内戦においてイスラム系住民に対してユーゴスラビア連邦軍が行なった虐殺を例に説明します。


虐殺の条件①油断(正常性バイアス)
 
虐殺は相手が油断しているところを一方的に攻撃することで成立します。そこにまず必要なのは虐殺される側の存在です。

虐殺の主体は虐殺する側でしょ⁈

悪いのは虐殺「する側」、虐殺「される側」は被害者であって悪くない。

そう考えたくなるのは常識的です。しかし虐殺を防ぐ・止める・終わらせることを目的にした場合、最も役に立たないのが、実は虐殺「する側」を責める発想です。

虐殺が終わった後で虐殺した側が裁かれることはあります。ボスニアの虐殺でも結果的にはそうなりました。しかし殺された人はかえってきません。
 
裁判や刑罰は起こってしまったことの解釈を後付けするだけ。止めることはできないのです。(潜在的な抑止力にはなり得ますが)

そしてあらゆることに通じるのが、自分が変えられるのは自分だけだということです。
 
あなたが虐殺する人なら別です。ぜひあなたが変わって虐殺をやめてください。
 
しかしあなたが虐殺しない人なら、あなたが当事者として虐殺を防ぐためにはあなたが虐殺されない人になるしかありません。
 
 
ボスニア内戦で虐殺された都市の市長は、既に街がユーゴスラビア連邦軍の戦車で囲まれているのに「この街で攻撃が始まるとは考えられない」と言っていました。

虐殺をたまたま生き残った男性が「殺されるに違いない」と言うと隣の男は「そんなはずはない」と答えたそうです。数秒後に殺されました。


人の脳には正常性バイアスという機能が備わっていて、自分の常識から外れたことや気に入らないことは思考停止してスルーしやすいようにできています。

今ドクチンやマスクや感染対策が逆効果だという話をしても、多くの人が「そんなはずはない」と考えてしまうのはまさにこの正常性バイアスです。
 
正常性バイアスに囚われていると、津波にもオレオレ詐欺にもドクチンにもコロッとやられてしまいます。


東日本大震災・西日本豪雨「正常性バイアス」なぜ人は逃げないのか? - 人が死なない防災ブログ
災害が迫ると様々な情報が出ます。 大雨警報 避難勧告 津波警報… このような情報を聞いたとき、あなたはどうしますか?過去に
www.bosai311.com
 

平和な生活に慣れていると、平和が当たり前に感じてしまいます。

いわゆる平和ボケです。

平和を好む人、戦いを嫌う人ほど、戦争に対して思考停止しがちです。そんな悪い人なんていないと思いたがります。

実はその平和が当たり前という思い込みこそが、虐殺の土台なのです。


虐殺の条件②抵抗力の排除
 
いくら油断している相手でも、抵抗されれば虐殺はできません(戦いになります)。だからもし相手が気付いても抵抗できないように、虐殺する側はまず抵抗力そのものを奪ってしまおうとします。
 
ボスニア内戦でユーゴスラビア連邦軍がイスラム系住民を包囲した時、まず武器を全て手放すように説得しました。

そして後ろ手に縛り、目隠しして、トラックやバスに乗せて連れ去り、一切抵抗できなくした上で虐殺したのです。

抵抗力を奪う段階では、まだなるべく平和的に装います。最もらしい理屈をつけて「武器を手放した方が得だよ」と思わせるところがポイントです。

宮沢賢治の『注文の多い料理店』でも「料理店」はまず猟銃を置かせ、金属を外させます。その後で少しづつ「料理」を仕上げるのです。

「マスクくらい着けたっていいじゃない」
 
そう言ってマスクをする人は、抵抗力を奪われていることに気付いていません。

人の最大の抵抗力は、思考力と、人と人とがつながる力です。

マスクをすると体が取り込める酸素が18%減ります。

人間のエネルギーは基本的に酸素で燃焼することによって得られるので、酸素が18%減ると言うことは、脳も身体も使えるエネルギーが18%減るということです。それだけ抵抗する体力も思考力も減るのです。

笑顔を交わすことや会話すること、新しい人と出会い顔見知りになることも大きな抵抗力になります。マスクは出会いやつながりを奪います。

人と人がつながることは経済力にもつながります。経済力も重要な抵抗力になります。
今回の虐殺で「する側」は、マスクと自粛でまずそれを奪ったのです。
 
「分割して統治せよ」はローマ帝国以来の植民地支配の鉄則です。まず国際渡航を制限して、各国の人の交流と情報を分断します。そして人の顔をマスクで覆わせ、集会を制限することで人々を分断します。
 
さらにマスク派・ノーマスク派、〇〇チン派・反〇〇チン派などで国内を分断させてお互いに争わせます。
 
「する側」からすれば、全て抵抗力を奪う手段です。


虐殺の条件③恐怖と誘惑
 
虐殺が成立するためには、最後の最後まで抵抗させないことが重要です。相手が最も抵抗しないのは「する側」を自分の「味方」さらには「保護者」だと思い込んでいる場合です。

ボスニア内戦では、ユーゴスラビア連邦軍はイスラム系住民を「安全区域に送り届ける」と誘惑してトラックやバスに乗せ、そのまま虐殺しました。
 
イスラム系住民は恐怖に怯えつつ、自らトラックやバスに乗り込み、そして殺されました。

今、世界中の多くの人々がコ○ナの恐怖を煽られ、自ら進んで〇〇チンを打たれています。それが自分や家族を守ってくれるのだと信じて。


虐殺の条件④大義名分と同調圧力
 
これは虐殺する側が他人を虐殺に参加させるための条件です。自分1人で虐殺する場合は必要ありません。
 
他人を虐殺に参加させるためには、大義名分が必要です。

ユーゴスラビア連邦軍のムラジッチ将軍(終身刑)は虐殺作戦に臨んで「セルビア人がイスラム教徒に対しオスマン帝国時代からの恨みをはらすべき時が来たのだ」と言っています。

本人もユーゴスラビアもイスラム教徒に何の恨みもないくせに、遠い歴史から大義名分を引っ張り出してきたのです。
 
虐殺を実行した兵士たちは、後に戦争犯罪を裁く法廷に立たされ、大義名分を与えられ、それが「正しい」ことだと思わされたと同時に、異論を唱えれば自分が「される側」に回される恐怖(同調圧力)を感じていたことを証言しています。

後から考えれば「馬鹿なことをした」とわかることでも、その時は「正しい」ことをしていて、他に選択肢はなかったと感じるのです。

これは今、「高齢者を守るため」という大義名分(実は殺している)のもとに、多くの人が「感染対策」に従い、マスクを着け、子どもにもドクチンを打たせ、従わない人を反〇〇チン派などとレッテル貼りして迫害しているのと同じ仕組みです。
 
おかしいと思っている人も、自分が迫害される側に回るのが怖くてなかなか言い出せません。

しかし「する側」は最初から参加させた人々も後で殺すつもりです。参考動画の冒頭で、連邦軍兵士は6人を虐殺するのにまず4人を殺し、残る2人は4人の遺体の片付けをさせてから殺しました。

ナチスはアウシュビッツなどユダヤ人の強制収容所で、ユダヤ人収容者の中にも階級をつくり他のユダヤ人を監視させていたそうです。ここでも「分割して統治せよ」の原則が使われています。
 
今、おしゃれな二重マスクをしている人やすでにドクチンを接種済みの人には、まだ打っていない人に対して優越感を感じている人もいることでしょう。

実際は同じ虐殺「される側」なのに、「する側」に優遇されると優越感を感じて従ってしまう。これも悲しい人間の脳の習性です。

中華人民共和国の基礎を築いた毛沢東は自分に協力してくれた人や同じ中国共産党のメンバーを、利用し尽くした上で次々と殺して行きました。(今の中国の最高指導者習近平の父親も迫害され16年拘束され、習近平本人も4度監獄に入れられながらなんとか生き延びました)

そうして虐殺される側に虐殺させることは、最も効率のよい虐殺方法と言え、「する側」の常套手段なのです。


虐殺の止め方
 
さて、ここからが本題です。虐殺が行われる条件がわかれば、虐殺を止める方法、終わらせる方法がわかります。


虐殺の止め方①生物と歴史に学ぶ
 
油断せず、いつでも抵抗できる体勢を整えている相手を虐殺はできません。無理にしようとすれば、少なくとも戦争になります。あるいは未然に逃亡・回避できます。

ヒトの天敵はヒト、これは実はヒトに限ったことではありません。

生物は他に天敵がいる場合は協力して天敵と闘います。
天敵がいない生物種は必ず自分の種同士で闘います。
ライオン、ヒグマ、コモドドラゴン…強い動物ほど、同種同士の戦いは激しくなります。

なぜなら生物とは動的平衡であれば、強い種が増え続けてしまっては生態系のバランスが保てないからです。

敵がいないなら、自分たちで減らす仕組みが必要になるのです。

ですから、ヒトに飢饉(ききん)や宇宙人などの外敵が現れない限り、ヒト同士が殺し合うのはある意味必然だと言えます。

それを嘆いたり否定したりするのではなく、生物学的に自然なことと捉え、油断なく人と付き合うことで虐殺のみならず多くの犯罪を避けることができます。

もしあなたがヒグマなら、別のヒグマが近づいてきたら決して油断しないでしょう。


イタリアを旅行する時は、周りにたくさんスリがいると思って事前に準備することで被害を減らせます。

ピンクレディは「男は狼なのよ、気をつけなさい」と歌っています。

そんないつも油断せず気を張っていたら疲れちゃう?その通りです。

だから「あなたが望むなら私何をされてもいいわ」と思える相手にだけは油断してもいいでしょう。


しかしどこかの製薬会社や大富豪に虐殺される意味などあるでしょうか?
 
最初は小銭をもらったとしても、結局は虐殺されるのに従いますか?

「そんなはずはない」と思いたいのは先に述べたように正常性バイアスです。

正常性バイアスから脱却するには、自分の常識を広げることです。

津波が自分が住む所まで来た歴史を知っていれば、バイアスに囚われずに避難することができます。

自分が生まれ育ってきた日本が一昨年まで平和だったとしても、秦の始皇帝からルワンダやユーゴスラビアまで、歴史を学べばヒトは虐殺する生き物であることが「正常」なこととして理解できるようになります。


虐殺の止め方②抵抗手段の確保
 
抵抗できないから虐殺されるのですから、抵抗手段を確保しておけば虐殺は防げます。

抵抗手段とは軍事力や武力に限ったことではありません。

よく誤解されているのは、日本の「平和主義」についてです。

日本国憲法第9条は「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と言っていますが、これは日本国民は虐殺されてもかまいません、と言う意味ではもちろんありません。

この条文はもちろん日本の抵抗力を奪うために作られたのですが、実は憲法9条は今現在行われている21世紀の戦争を見越した先進的な条文だったとも言えます。

「国権の発動たらない戦争」「武力を行使しない戦争」「国際紛争を解決する手段でない戦争」は憲法9条も否定していないのです。

屁理屈ではありません。

そして今、製薬会社やWHOが中心となって(国権の発動たらず)、ドクチンやマスクを使って(武力を行使せず)、表向きは感染対策、実は人口削減の手段として(国際紛争を解決する手段でなく)、抵抗の意志さえ持てなくされた世界中の人々を虐殺しているのです。

ドクチン戦争は、憲法9条に抵触せずに戦略を立て遂行できます。やろうと思えば日本にだって、WHOやメディアを操り、各国政府に息のかかった人間を送り込んでドクチン戦争を仕掛けることは憲法的には可能だったのです。
 
現実には日本政府は全く超限戦に備えられず、ここまでほぼ抵抗できていないのは、憲法9条のせいではなく、逆に憲法9条を活かせなかったからだと言えます。

抵抗手段とは、第一に抵抗する意志です。むざむざ殺されない、相手の言うままにならない、従わない意志です。
 
それを持つことができれば、虐殺を止めることの半分はできたようなものです。
抵抗する意志さえあれば、少なくとも虐殺ではなく戦争になれるからです。

事実上、全く相手にならずブチ殺されたとしても、虐殺されたのと戦って戦死したのでは全く意味が違います。

日本は大東亜戦争に敗れ300万人が殺されましたが、日本という国は残りました。それまで白人と戦わず支配されていた多くのアジア諸国も独立しました。

ニュージーランドのマオリ族はイギリス人と戦いました。
30年以上の反乱(というか侵略に対する防衛戦争)を闘い、敗れて植民地となりながらもワイタンギ条約を結んで一定の権利を確保しました。

一方、平和主義だったチャタム諸島のモリオリ人はマオリ族に虐殺されほぼ絶滅しました。

抵抗したから殺されないわけではありません。紀元前146年カルタゴはポエニ戦争の後ローマに跡形もなく滅ぼされ虐殺されました。

ただそれもカルタゴはローマに人質と全ての武器と防具を引き渡した後でした。


今、世界中の多くの国々で、多くの人々が立ち上がっています。

オーストラリアでは外出も許さない独裁政府の武装した警官隊に人々が立ち向かっています。

メルボルンは、3000人の警察官を動員して都市を封鎖した。

しかしながら、自由に向かって進んでいる民衆の動きを止めることなどは到底できなかった。


民衆の力は日増しに大きくなっている。独裁政権の牙城の一角が崩壊するのも時間の問題だ。 https://t.co/DokGp904Db pic.twitter.com/eS2xAOUevC

— You (@You3_JP) September 18, 2021

 
フランスでは〇〇チンパスポートに抵抗する運動がもう10週間も続いています。


【動画あり】日本のメディアが伝えない不都合な真実:世界に広がる反ワクチンの大規模デモ/フランス:200万人がデモ参加。パリだけで60万人が参加:パリではデモ者を、警棒で殴り/オランダ、イスラエル、トルコでも大規模でも


パリで行われた「ワクチンパス」反対のデモは、今日、非常に暴力的なものになった。パリ - ワイルドなデモを前に、警察のトラッ
totalnewsjp.com


カナダでは3万3千人の医師たちがワクチン拒否を表明しました。


カナダの33000人の医師と人員は毒ジャブを拒否します。
私たちにできることは、これらのビデオを積極的にシェアする事です。
私たちはビッグメディアのリソースを持っていないので、もっとがんばってシェアをしなければなりません。#ワクチンパスポートに反対します pic.twitter.com/2Nn7gkJLCj

— ルナモナ@好奇心魂 (@mjauemi) September 21, 2021

 
タンザニア・ハイチ・ブルンジでは大統領が殺されましたが、その意志は国民たちに伝わったのでしょう、ドクチンの接種は進んでいません。



私たちにはまだ、マスクを外す手があります。外出する足があります。ドクチンを断る意志があります。お互いに向ける笑顔があります。まだ打たれていない子ども達がいます。
 
抵抗する力はまだ残っているのです。


虐殺の止め方③死ぬ覚悟と生きる覚悟
 
虐殺する側は「殺すぞ」という恐怖と「従った方が得だよ」という誘惑を使って抵抗する意志を奪っていきます。
 
いわゆる「アメとムチ」です。

平和ボケした脳では、ほとんどの人がこれに従ってしまいます。
 
平和ボケするほど人の脳は功利主義的、合理主義的、利己主義的になっていくからです。得する方がいい、目先の利益に飛びつかないのはバカ、自分さえ良ければいい、そういう考えが通用するのは、平和だからです。
 
国や民族ごと滅ぼされそうになっている時に、今いくら儲かったとか、自分だけ得すればいい、と考える人は「分割して統治」からの虐殺を考えている人にとって都合のいいカモにすぎません。

逆説的ですが、虐殺を止めるには死ぬ覚悟と生きる覚悟が必要です。

たとえ殺されても従わない。自分が死んでも家族や国や何かもっと大切なものを守りぬく。そのために命を使うのが、自分が生きるということ。

そういう覚悟があってはじめて、虐殺「する側」がつきつける恐怖と誘惑に勝つことができるのです。

ボスニアで包囲されたイスラム系住民の中には、助け合って逃亡した人々もいました。逃げることも立派な抵抗です。1万人が逃げて、逃げ延びたのは4000人ほどだったそうです。

それでも逃げなければ全員虐殺されたことを思えば、大きな成果です。1万人で逃げたからこそ4000人が助かったのです。6000人の死はただ虐殺されたのとは違います。


今、日本人は50%以上がドクチンを打たれてしまいました。ファイザー元副社長のイェードン博士の「打たれた人の平均余命は2年、長くて3年」という証言が真実なら、少なくとも半数の人々はすでに虐殺されたことになります。(世界人口の30%23億人以上がこれから2〜3年で死亡することになることなど、正常性バイアスを知ってもなお到底信じられないでしょう。)

それでも助け合って残りの35%を救うことができれば、もしかしたら子孫を繋ぎ、国を保てる可能性はまだ残されているかもしれません。
 
それには、死ぬ覚悟と生きる覚悟が必要なのです。


虐殺の止め方④生命の大義
 
ドクチン戦争は「する側」によって長年にわたって計画され準備されてきた地球人口削減計画です。

ジョージア・ガイドストーン - Wikipedia
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その大義名分は主に3つ、感染対策(人命優先)、地球環境保護(自虐思想)、優生思想(選民思想)です。

しかし初めに言っておきますが、これは3つともウソっぱちです。

感染対策(人命優先)は、最も表向きの大義名分です。

ユーゴスラビア内戦は独立を主張したクロアチア・スロベニア・ボスニアなどに住むセルビア人の命を守るという大義名分で行われ、他民族が虐殺されました。(報復にセルビア人も虐殺されました)人命優先という一見当然な大義名分を掲げて、他のあらゆること(抵抗手段)を奪い、しまいには命も奪うのです。

今、世界は全く恐るるに足らないウイルスに恐怖を煽るマスコミ報道と、高齢者を守るためという心にもない大義名分で、「する側」は感染対策が「正しい」「最優先に守らねばならぬこと」と「される側」にすり込みました。
 
そして、ドクチンを打たせ、今年5月の日本だけで1万人以上の人が虐殺されたのです。


地球環境保護(自虐思想)は、多くの人の心に数十年以上にわたって刷り込まれてきた大義名分です。地球環境が危ない。地球温暖化で世界が滅ぶ。人類が地球を汚したからだ。人類は地球にとって悪だ。人口を減らさなければならない。どうせなら人類は滅んだ方がいいかも。
 
そう刷り込むことで、「する側」は人々に人口が減ることが必要であるかのような錯覚を抱かせ、自尊心を奪いました。
 
戦後日本を支配するには「日本は悪い国だから負けた」。
 
白人が有色人種を支配するには「有色人種は劣った人種だから白人の保護管理が必要だ」。
 
奴隷を支配するには「(前世で)悪いことをしたから奴隷の身分に生まれた」。
 
と自虐思想を植え付けたことと同じ手口です。

この手口は西洋の基本思想である一神教に基づいています。

旧約聖書はアダムとイブに神との約束を破らせて原罪を背負わせます。新約聖書はイエスを殺すことで原罪を背負わせます。
 
これらの経典で育てられた人々にとって生まれながらに「罪深き自分」は幼少期から刷り込まれてた自虐思想なのです。

誇りを失った人は抵抗する意志を失くします。
 
いじめられっ子は往々にして「自分がダメだから」いじめられるのだと思い込まされ、抵抗する意志を持てません。
 
人類は地球環境を汚す悪と考えている人々は、ドクチンがどんなに有害でも抵抗する意志を持てないでしょう。だって人口が減るのは地球にとって良いことなのだから。

思い出してください。コ○ナ・ドクチン戦争が始まる少し前、なぜかスウェーデンの少女が国会で人類を罵倒し、最大のCO2排出国である中国は全く批判することなく日本を非難したことを。


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優生思想(選民思想)は「人類は悪だが、自分だけは特別な人間だから救われる」という大義名分です。
 
神に選ばれた・金がある・頭がいい、そんな自分は特別で、異教徒の・貧乏な・バカな奴らの命や財産を奪ってもいいんだ、という考え方になります。

選民思想と自虐思想は表裏一体です。
 
罪深く、もともと悪である自分だからこそ、何か他の人よりも優れた理由、他の人とは違って自分だけが救われる理由を探すのです。

そして自分の罪を他の人になすりつけるように他の人を攻撃することには、快感が伴います。普段さいなまれている劣等感や罪悪感が、他人を攻撃している時だけ軽くなるのです。

これは溺れる人が周りの人にしがみつき、よじ登って相手を沈めることで自分は一瞬だけ浮かんで息がつけるようなものです。
 
ただその相手が沈んでしまえばまた溺れるので、あわてて次々と別の相手にしがみついていきます。
 
自分が泳げる人は、誰かを沈めて浮こうとする必要がありません。
 
選民思想に裏打ちされた虐殺は「民族浄化」と呼ばれます。最も汚い行為であるにもかかわらず「きれいにする」かのような言葉が使われるのは、「する側」が「きれい」で「される側」は「汚れ」だと思いたいからです。

マスクは簡単に優生思想を体感するツールとなりました。マスクしている俺は偉いから、マスクしてない悪い奴を攻撃していい。その時だけ自分は優位に立てる。そんな快感に酔いしれているマスクチンピラが時々います。

子どもにも「ちゃんとマスクして偉いね、良い子だね」などと教え込みます。
 
逆に言えば「マスクしてない素顔のお前は偉くない」「素顔のお前は悪い子だ」と教えているのです。

人命優先・自虐思想・優生思想の3つの大義名分は古来、一神教の宗教が人々を支配しコントロールするために用いられてきました。

信じる者は救われる、天国で永遠の命を授かる。逆に言えば信じない者は救われず、地獄で永遠に苦しめられるという脅しです。

はじめは「感染対策」を信じる者はコ○ナにかからないと言い、信じない者はなんの症状もなくても周りの人に感染させるバイキン扱いにするのと同じです。

ところがいざ信じてみると、全ての人は原罪を持って生まれる邪悪な存在だと言われ、常に悔い改めて神に許しを乞い続けねばなりません。
 
どんなに感染対策してもドクチンを打ってもマスクは外せず、自由はどんどん制限され、何度もドクチンを打たされ続けます。それでもかかった人は「気の緩み」(=信心が足りない)と非難されるのです。

それでも「正しい」神を信じ洗礼を受けた自分は選民であり、そうでない異教徒は魔女だから攻撃していい、いや攻撃しなくてはならない。改宗か剣か。これは聖戦なのだと言われ、鬱憤を晴らすように異教徒に何でもやります。
 
マスクしてドクチンを2回打った自分は偉い。してない悪い奴らは攻撃して、打たせて自分が苦しんだ副反応を味わせるか、さもなくばドクチンパスポートで生活できなくしてやる、と言うのと同じです。

いわゆるキリストの生誕から西暦で数えられる西洋の歴史は、一神教がこれらの大義名分を使って虐殺しながら世界を支配してきた過程とも言えます。

ただしこれは西洋の白人社会の特徴であり、決して人類普遍の真理ではありません。


日本神話では、人に原罪はありません。

原罪がありませんから、日本人は無駄な自虐思想や罪悪感に苦しむ必要はありませんでした。
 
それは優生思想にしがみつく必要もなかったということです。
 
仏教が南無阿弥陀仏を唱えれば誰でも救われると説いた一向宗(浄土真宗)に代表されるようなとてもフラットな形に進化したのも、そんな日本だったからと思われます。

今でも日本人は世界の中では最も国や人種によって人を差別しない民族の一つではないかと思います。(向こうから敵対してくる国や人は別です)

日本人にとって地球環境とはともに生きるものであり、神々そのものであり、ご先祖であり子孫であり、自分もその一部でした。

環境を、保護する?

なんとおこがましい発想でしょう。人類は地球環境の主人であり管理者であり保護者、そう思っているからこそ出る言葉です。そんな奢った考えは日本人はしてきませんでした。
 
自然の恵み、神々の恵みを、ありがたくいただいてきたのです。
 
だからこそ仰々しく環境保護なんて言わなくても、御先祖の皆様は子々孫々まで恵みが途絶えないように糞尿まで循環させる社会をつくってきたのです。


一神教社会の大義名分は全て人を支配するために用いてきた建て前であり、偽りです。

西洋列強諸国は、
 
人命優先を唱えながら、虐殺と戦争を繰り返してきました。
環境保護(自虐思想)を唱えながら、環境を最も破壊してきました。
優生思想(選民思想)に至っては、もはや憐れとしか言えません。自分たちが作った自虐思想に溺れもがいているのですから。


ボスニア紛争を含むユーゴスラビア紛争を主導し虐殺の主犯とされた元ユーゴスラビア大統領ミロシェビッチ(獄死)は、父は家族を棄て、母も伯父も自殺した家庭の子でした。そして一神教よりさらに憎悪に満ちた共産主義に傾倒していきました。

スロボダン・ミロシェヴィッチ - Wikipedia
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一神教から、唯一神のタガを外したのが共産主義です。共産主義は嫉妬と憎しみを中心的感情とし、虐殺を繰り返すように運命づけられた思想です。今このドクチン虐殺も、共産主義が「する側」の中心にいます。

歴史上最も多くの人を虐殺した人物とされる毛沢東とスターリンは、いずれも幼少期に父親の暴力に苦しめられたそうです。

 
今この虐殺を主導している人々にも、憐むべき過去があるでしょう。もちろん、だからといって虐殺させていいわけではありません。ただ「虐殺する側」にいるのは、彼らが強くて正しいからではない、というだけのことです。

日本人が持つ感覚は決して日本人特有のものではなく、人類だけでもなく、あらゆる生物が普遍的に持つものだろうと私は考えています。
 
一神教の洗脳支配が邪魔してそれを感じにくくしているだけで、人は本来他の生物と同様に、命を繋いで生きる覚悟と死ぬ覚悟を持ち、自虐思想も優生思想も必要ないのです。

 
ボスニア紛争では、ボスニアの多民族国家を支持する市民が立ち上がり、ボスニアに住むセルビア人も参加して、戦争に反対し、首都サラエボに侵攻してきたセルビア人勢力であるユーゴスラビア連邦軍に立ち向かいました。

そこには民族も宗教も、もちろん金銭的利害などはるかに超えた意志があったはずです。

生きることはもっとシンプルかつ多様なのです。
 
どの唯一神でもなく、唯物論でもなく、皆が生きようとしている。すべてに命がある。すべてに心があり神が宿っている。

(言うなれば『皆心論』『皆神論』です)

そんな目の前の明確な事実に、一神教や共産主義の色眼鏡を外して見れば誰もが気づくはずです。

生きよう。命を繋ごう。そうする人々にとって「虐殺する側」は間違いなく共通の敵です。
 
共通の敵がいる時、人は協力して闘えます。

そこには偽りの大義名分ではなく、生命の大義そのものがあるのです。
だから私たちはともに「虐殺する側」と闘えます。
そう決意して立ち上がれば、少なくとも虐殺されることはありません。戦って死んだなら戦死です。もちろん戦って生き残れたなら、それが最高です。

戦争反対?もう始まっているのです。現在進行形で侵略されているのです。
この期に及んでは虐殺されるか、戦うかのどちらかなのです。
 
いずれにしても、このまま息苦しいマスクで顔を隠させられたまま黙ってドクチンを打たされ続けて死んでいくより、微力でも戦って死ぬ方がずっといい生き方であり、死に方ではないでしょうか?


※日々予め幸せ

いしいじんぺい 予幸医学を提唱する医師。トライアスリート。PHC(プラスの健康コンサルティング)主催