・「知能や気質は、人種ごとに遺伝的な差異がある」 言ってはいけない残酷すぎる真実(橘玲の日々刻々 2016年5月20日)

※イギリスの科学ジャーナリスト、ニコラス・ウェイドの『人類のやっかいな遺産――遺伝子、人種、進化の歴史』(晶文社)は、これまでPC(political correctness/政治的正しさ)の観点から「言ってはいけない」とされてきた分野に大胆に切り込んだ問題作だ。ウェイドは本書でなにを主張したのか。膨大なエクスキューズを後回しにして結論だけをいおう。

「約5万年前にアフリカを出た現生人類は、ヨーロッパ、アジア、アメリカ、オーストラリアなど(比較的)孤立した環境のなかで独自の進化を続けてきた。この進化の影響は、肌や髪の毛、目の色だけでなく、知能や気質など内面にも及んでいる。これが、人種によって社会制度や経済発展の度合いが異なる理由だ」

 これがどれほど不穏な主張かは、「アフリカはなぜいつまでも発展しないのか」という問いを考えてみれば即座に了解できるだろう。だが「政治的」に許されないはずのこうした理論は、ゲノム解析技術の急速な進歩によって、現代の進化論になかで徐々に説得力を増してきている。

「人種にかかわらず人間の本性は同じ」は本当か?
「身体的な機能と同様に、ひとのこころも進化によってつくられてきた」と考える進化心理学は、その存在自体がリベラルの逆鱗に触れるものではあったが、それでも社会のなかでなんとか居場所を確保してきた。「進化のスピードを考えれば、ひとのこころは旧石器時代と変わらない」としたからだ。「現代人がさまざまな問題を抱えているのは、原始人のこころのままコンクリートジャングルに暮らしているためだ」というのはひとびとの心情に訴えるものがあったし、なによりも「人種にかかわらず人間の本性(ヒューマン・ユニヴァーサルズ)は同じ」というのは「政治的」な心地よさがあった。

 だが「科学」の立場からは、こうした前提がきわめて不安定なのはあきらかだ。白人、黒人、アジア系では外見が異なり、アフリカから分かれた5万年のあいだに独自の進化が起きたことは間違いない。だが人種ごとに身体的特徴を大きく変えたその進化は、なぜか気質的、精神的特徴にはいっさい手をつけなかった、というのだから。

「文化や社会は遺伝・進化の強い影響下に置かれている」という考えは、1970年代にアメリカの生物学者E.O.ウィルソンが大著『社会生物学』で示唆し、リベラル派からはげしい批判を浴びていた。当時、ウィルソンはこの仮説を証明するデータを提示できなかったが、「遺伝と文化が共進化する」という発想はきわめて斬新なものだった。

 その後、「社会生物学論争」という米アカデミズム内の激烈なイデオロギー闘争を経て、進化論の科学者とリベラル派のあいだでいちおうの妥協がはかられた。それが、「人間の本性に遺伝的な基盤があることは認めるが、そこに人種間のちがいはない」というPC的な主張になっていく。

 だがウェイドや、『一万年の進化爆発 文明が進化を加速した』(日経BP社)で同様の理論を展開するアメリカの人類学者グレゴリー・コクランとヘンリー・ハーペンディングは、「そんなのはデタラメだ」と一蹴する。たとえばウェイドは、次のようにいう。

「歴史は人類進化の枠組みの中で起こる。この2つの主題は別々に扱われ、まるで人類進化がいきなり止まってから、かなり時間が経って、歴史が始まったかのように論じられる。でも進化は急に止まれない。そんな都合のいい進化の休止が起こったなどという証拠はまったくない。ゲノムからの新しい知見はますます、進化と歴史が相互に絡み合っていることを示している」

 こうした主張に対する有力な“科学的”反論は、「異なる人種のあいだの遺伝的なちがいよりも、同じ人種のなかでの遺伝的なばらつきの方がはるかに大きい」というものだ。ヒトの遺伝的変異の85%は集団の内部で見られ、集団間の差異は15%にすぎない。したがって、集団(人種)の遺伝的なちがいをことさらに強調するのは科学的に意味がない、というわけだ。

 だがコクランとハーペンディングは、「イヌの遺伝的変異の分布を調べても、遺伝的なちがいの70%は品種内で、30%は品種間で見られる」と反論する。PC派の理屈が正しいのなら、「グレートデンとチワワのちがいを語ることは非科学的だ」という荒唐無稽な話になってしまうのだ。

 愛犬家なら誰でも知っているように、イヌの気質は品種によって大きく異なる。その一方で、すべてのイヌに共通する“ドッグ・ユニヴァーサルズ(イヌの本性)”があり、同じ品種でもさまざまな個性を持つ。

 著者たちによれば、人種のちがいもこれと同じだ。私たちはみな進化の過程でつくられてきた「人間の本性」を共有しつつ、それぞれに個性的だが、最近(数万年)の進化によって、人種ごとに異なる外見、異なる気質を持つようにもなったのだ。

 白人と黒人の知能の違いは、環境か、遺伝か?

 ここまでなら多くの日本人は「当たり前の話だ」と思うかもしれないが、欧米(とりわけアメリカ)では、こうした主張は重大な含意を持つ。白人と黒人の知能の差をめぐる深刻な政治的対立に直結するからだ。

 このきわめてセンシティブな問題については近著『言ってはいけない』(新潮新書)で概略を説明したが、ここではウェイドの文章をそのまま抜粋しよう。

「IQ論争の両陣営は、遺伝派と環境派と考えてよい。どちらもアメリカでIQ試験をすると、ヨーロッパ系アメリカ人が100となり(これは定義でそうなる――彼らのIQ試験の得点は100に正規化される)、アジア系アメリカ人は105、アフリカ系アメリカ人は85から90となる。アフリカ系アメリカ人はヨーロッパ系の得点より目に見えて低い(15点、あるいは1標準偏差分だ、と遺伝派は指摘する。いやたった10点だ、と環境派は言う)。ここまではどちらも合意する。論争は、ヨーロッパ系とアフリカ系の得点差の解釈で生じる。遺伝派は、得点差の半分は環境要因によるもので、半分は遺伝によるものだと主張する。ときにはこの比率が、環境2割、遺伝8割とされることもある。環境派は、この差のすべてが環境的な疎外要因によるもので、それが解消されればこの差は最終的になくなると主張する」

 この論争は、じつは科学的にはほぼ決着がついている。一卵性双生児や二卵性双生児の比較から遺伝の影響を調べる行動遺伝学では、認知能力のうちIQに相当する一般知能の77%、論理的推論能力の68%が遺伝によって説明でき、環境の影響が大きいのは(親が子どもに言葉を教える)言語性知能(遺伝率14%)だけだとわかっているのだ(安藤寿康『遺伝マインド』有斐閣)。

 白人と黒人の知能の格差(ウェイドがいうようにこれは“事実”で、リベラル派にも異論はない)が異なる進化の結果だということになると、黒人の経済的苦境は過去の奴隷制や人種差別のせいではなく、黒人など少数民族に経済的・社会的援助を行なうアファーマティブアクション(積極的差別是正措置)の根拠もなくなってしまう。これがアメリカ社会にとってどれほどの衝撃かはいうまでもないだろう。

 それだけではなく、現代の進化論の不穏な主張はさらに「やっかいな」問題を引き起こす。『人類のやっかいな遺産』でウェイドは、「人種と進化の理論」をグローバルに拡張するのだ。

「人種ごとに遺伝的な差異があり、それが知能や気質にも影響している」

 世界には、経済的に発展し政治的にも安定している国(主に欧米諸国)もあれば、経済的に貧しく政治的混乱がつづいている国(主にアフリカや中東諸国)もある。なぜこのようなちがいが生まれたかは、これまで歴史的経緯によって説明されてきた。アフリカは奴隷貿易と帝国主義列強の分割・植民地化によって搾取され、社会の基盤を徹底的に破壊されたために苦しんでいるのだ、というように。

 だがPC的に居心地のいいこの解釈は、1980年代からアジアの経済成長が始まり、2000年以降、それが加速して中国が世界2位の経済大国になるに至って大きく揺らぎはじめた。

「4匹の龍」と呼ばれたアジアの新興国のうち韓国と台湾は日本の旧植民地、香港とシンガポールはイギリスの旧植民地で、中国はアフリカ同様、欧米列強と日本による侵略に苦しんだ。東南アジアでも、イスラームを国教とするマレーシアや、世界最大のムスリム人口を抱えるインドネシア、アメリカとの戦争で国土が荒廃したベトナム、ポルポトの大虐殺という現代史の悲劇を経験したカンボジアが次々と経済発展にテイクオフし、軍事独裁国家の“秘境”ミャンマーまでが民主化を達成し、いまや空前の不動産バブルに湧いている。

 アフリカにもボツワナのように政治的・経済的に安定した国はあるものの、この20年のアジアの変貌と比べればその差は目もくらむほど大きい。だとしたら、アジアとアフリカを分かつものはなんなのか?

 この問いに対してジャレド・ダイアモンドは世界的ベストセラーとなった『銃・病原菌・鉄』(草思社文庫)で、「横に長いユーラシア大陸と、縦に長いアフリカ大陸、南北アメリカ大陸の地理的なちがい」というエレガントな説を提示した。農業は人類史を画する革命だが、このイノベーションは同程度の緯度の地域にしか広まらない。アフリカ南部でもヨーロッパと同じ農業を営む条件は揃っているが、知識や技術はサハラ砂漠や熱帯のジャングルを越えることができなかったのだ。

 だがウェイドは、これはものごとの半分しか説明していない批判する。

 大陸ごとに知識・技術の伝播のちがいが生じるのはそのとおりだが、これは地形が人の移動を制限するからだ。ダイヤモンドは「人種などというものは存在しない」と断言するが、皮肉なことに、彼の理論は「孤立した集団が異なる進化を遂げた」という現代の進化論を補強しているのだ。

 アメリカの歴史学者ニーアル・ファーガソンは『文明: 西洋が覇権をとれた6つの真因』(勁草書房)などで、東洋の専制政治に対して西洋は分散化した政治生活とオープンな社会を生み出し、そこから所有権や法の支配、科学や医学の進歩など数々のイノベーションが生まれたと説く。

 アメリカの経済学者ダロン・アセモグルとジェイムズ.A.ロビンソンも『国家はなぜ衰退するのか』(早川書房)で、「経済発展できるかどうかは制度によって決まる」と述べている。

 韓国と北朝鮮は人種的には同一で、文化や歴史もほとんど変わらないが、いまや一方は先進国の仲間入りをし、もう一方は世界の最貧国だ。なぜこのような大きな差がついたかは、歴史的な偶然(民族分断の悲劇)によって異なる制度を持つようになったことからしか説明できない――これもまたきわめて説得力のある論理だ。だが問題は、こうしたケース(旧西ドイツと旧東ドイツも同じ)を地球全体にそのまま拡張できるのか、ということにある。

 ウェイドは、政治的成熟や経済発展に制度が重要だとしても、朝鮮半島のように異なる制度に分かれた経緯が明快に説明できるのは稀有なケースで、ほとんどの場合、なぜある国が経済発展に有利な制度を持ち、別の国が不利な制度を持つようになったかはわからないままだと批判する。

「西洋はたまたま産業革命を達成し、中国はたまたま停滞し、アフリカはたまたま取り残された」というだけでは、なんの説明にもなっていない。だが遺伝と文化が共進化すると考えるなら、ヨーロッパ、アジア、アフリカで異なる文明や社会が生まれた理由を、より根源的に解き明かすことができるだろう。

「人種ごとに遺伝的な差異があり、それが知能や気質にも影響している」という現代の進化論の知見を拡張していくなら、ここまでは論理的必然だ。同様の主張を婉曲に述べる論者はこれまでもいたから、ウェイドの“功績”はPC的な制約を乗り越えて、「人種と進化」をはじめて堂々と口にしたことにあるのだろう。

 人種による進化の度合いの違いは、「農業の開始」

 なぜ人種によって進化の度合いが異なるのか。これにはさまざまな要素があるが、そのなかでも決定的に重要なのは約1万年前の農業の開始だ。これについてはコクランとハーペンディングの『一万年の進化爆発』が詳しいので、それに即して現代の進化論の主張を見てみよう。

 農業の開始は現生人類の生存環境に劇的な変化をもたらした。ある程度裏づけのある推測によれば、10万年前の世界人口は、アフリカの現生人類とユーラシアの旧人類(ネアンデルタール人など)を合わせて50万ほどしかいなかった。現生人類がユーラシア大陸に拡散した1万2000年前(氷河期の終わり)でも、その数は600万人程度だった。だが農業という技術イノベーションでカロリー生産量が急激に高まったことで、紀元前1万年から西暦1年までのあいだに世界人口は100倍まで増加したのだ(推定値は40~170倍)。

 農業が現生人類に与えた最大の変化は、食糧を求めて少人数で広大な大陸を移動する狩猟採集生活から、土地にしばりつけられた人口密度の高い集団生活に移行したことだ。これによって人類は感染症の危険にさらされることになって免疫機能を発達させ、炭水化物を大量摂取しても糖尿病になりにくい体質へと“進化”した。

 狩猟採集生活をしていたり、農業を始めてから歴史の浅い新大陸(アメリカやオーストラリア)の原住民がヨーロッパ人との接触で天然痘などに感染して甚大な被害を受けたことや、大量の炭水化物を経験したことのない彼らが糖尿病にかかりやすいことはここから説明できる。また穀物を発酵させてつくる酒も農業革命以降の発明で、耐性のない新大陸の原住民のあいだでアルコール依存症が深刻な問題になっている。

 だがそれ以外でも、「農業による集団生活」というまったく新しい環境は、人類に対してさまざまな自然淘汰の圧力を加えた。

 狩猟採集生活では獲得した獲物はその場で食べるか、仲間と平等に分けるしかなかったが、貯蔵できる穀物は「所有」の概念を生み出し、自分の財産を管理するための数学的能力や、紛争を解決するための言語的能力が重視されるようになった。

 その一方で、狩猟採集社会では有用だった勇敢さや獰猛さといった気質が人口過密な集住社会(ムラ社会)では嫌われるようになった。牧畜業では気性の荒い牛は仲間を傷つけるので真っ先に排除される。それと同様に、農耕によってはじめて登場した共同体の支配者(権力者)は自分に歯向かう攻撃的な人間を容赦なく処分しただろうし、また農村社会においても、攻撃的な個人はムラの平和を乱す迷惑者として村八分にされたり、ムラから追い出されたりしただろう。農耕社会では、温厚な気性が選択的に優遇されたのだ。

 旧ソ連の遺伝学者ドミトリ・ベリャエフは1950年代に、古代人が野生動物をどのように家畜化したかを知るために、(人間にはなつかない)ギンギツネのなかからおとなしい個体を選んで育ててみた。すると驚くべきことに、わずか8世代で人間が近くにいても平気なギンギツネが生まれた。実験開始からたった40年、30世代から35世代ほどの交配で、キツネたちはイヌなみにおとなしく従順になり、毛皮に白い斑点ができ耳が垂れた。

 キツネの品種改良を人間に当てはめるのは突飛に思えるが、じつはDRD4(ドーパミン受容体D4)遺伝子の7R(7リピート)対立遺伝子で興味深い事象がわかっている。この遺伝子は注意欠陥障害(ADHD)に関係し、落ち着きのない衝動的な振る舞いや注意散漫などを引き起こす。欧米をはじめ世界各地でこの遺伝子の遺伝的多型がかなりの頻度で見られるが、東アジアではまったくといっていいほど存在していない。

 中国では、7R対立遺伝子に由来する対立遺伝子がかなり一般的なのに、ADHDを引き起こす7R対立遺伝子だけがきわめて稀だ。自然状態でこのようなことが起こるとは考えられないから、中国社会では7R対立遺伝子を持つ者は、人為的に徹底して排除された可能性がある。

 コクランとハーペンディングは、農業がもたらした異常な環境に直面した人類は、それに適応できるよう自分で自分を「品種改良」したのだと述べる。現代の進化論が提示する仮説では、「現代人は“家畜化”されたヒト」なのだ。

「現代人は”家畜化”されたヒト」

 農業によってもたらされた“1万年の進化爆発”を私たちはどのように考えればいいのだだろうか。ここには2つの観点がある。

 ひとつはウェイドが『人類のやっかいな遺産』で示唆するように、「工業社会や知識社会では、農業を経験した人種とそうでない人種の間には適応度にちがいがある」というものだ。サハラ砂漠以南のアフリカでも農業が行なわれていたが、規模は小さく歴史も短いためじゅうぶんに“進化”することができなかった。

 それに対してユーラシア大陸で1万年にわたって農業を行なってきたコケイジャン(白人)やアジア人は、ムラ社会の習慣をそのまま学校・軍隊・工場などに持ち込むことで容易に適応することができた。これがたんなる文化のちがいだったら、アフリカ人やオーストラリアのアボリジニもすぐに真似できるはずだ。なぜ上手くいかないかというと、文化や習慣の背後に遺伝的・進化論的基礎があるからだ――という話になる。

 これはきわめて危うい論理だが、視点を変えればちがう景色が見えてくる。

 先に述べたように、現代社会において経済的な成功を手にしたのは自らを“家畜化”した人種だ。これを逆にいえば、アフリカ人やアボリジニは「家畜化されていない」ということになる。白人をチワワ、アジア人をダックスフントとするならば、彼らはオオカミなのだ。

 チワワやダックスフントがオオカミより優れているとはいえないように、“家畜化という進化”を経た人種を家畜化されていない人種よりも優秀だとする根拠はない。進化論は科学であって、人種の優劣を論じるイデオロギーではない。

 だが、この“新しい科学”をアフリカのひとたちが素直に受け入れるのはきわめて難しいだろう。欧米諸国はアフリカに巨額の援助(ウェイドによれば過去50年間に2.3兆ドル)を投入してきたが、それでもアフリカの生活水準が改善しないのは過去の植民地支配のせいではなく、遺伝的・進化論的な理由だというのだから。責任ある立場のひとがこれを口にすれば、アメリカにおけるアファーマティブアクションをめぐる論争(というか罵り合い)を何倍、何十倍にも拡大する騒ぎを引き起こすことは間違いない。

 フランスのアフリカ植民地支配では、フランス語を話しフランス式の高等教育を受けたアフリカ人はエヴォリュエ(進化した者)と呼ばれた。ヨーロッパによるアフリカの植民地化は、「進化の程度の低い原住民を訓育して幸福にする」というパターナリズム(温情主義)によって正当化されてきた。人種と進化についての科学は、この人種的偏見に科学的な根拠があったとの政治的主張を生み出しかねない。これが、(アカデミズムを含む)ほとんどのひとが人種と進化の関係を否定するばかりか、その話題に触れることすらも拒絶する理由だろう。

 しかしそれでも、今後DNAの解析が急速に進むにつれて、人種による気質や性格のちがいに遺伝的な基盤があることを誰も否定できなくなるとウェイドはいう。そしてこれは、おそらく正しいのだろう。

 だがこれは、現代の進化論が人種差別的な科学だということではない。科学的な知見が人種差別につながらないような社会をわたしたちが築いていかなくてはならない、ということなのだ。


・今、ホモ・サピエンスのアフリカ起源説など 人類史の常識が次々と覆されている(橘玲の世界投資見聞録 2018年10月19日)

※30億ドル(約3300億円)の予算をかけたヒトゲノム計画が完了してわずか十数年で、全ゲノム解析のテクノロジーは驚くべき進歩をとげ、いまでは誰でもわずか数万円で自分のDNAを調べられるようになった。

 さらに近年、遺跡などから発掘された遺骨からDNAを解析する技術が急速に進歩し、歴史時代はもちろん、サピエンスが他の人類と分岐する以前の古代人の骨の欠片からDNAを読み取ることもできるようになった。この「古代DNA革命」によって、従来の遺跡調査からはわからなかった人類の移動や交雑の様子が明らかになり、古代史・歴史の常識が次々と覆されている。

 デイヴィッド・ライク『交雑する人類 古代DNAが解き明かす新サピエンス史』(NHK出版)は、サピエンスとネアンデルタール人の交雑を証明したマックス・プランク進化人類学研究所のスヴァンテ・ペーボとともに、この「古代DNA革命」を牽引する現役の遺伝学者が学問の最先端を一般向けに紹介した刺激的な本だ。

 ここではそのなかから興味深い知見をいくつか紹介したい。とはいえ、その前に用語について若干断っておく必要がある。

 日常的に「人類」と「ヒト」を区別することはないが、人類学では両者は異なる意味で使われる。「ヒト」は現生人類(ホモ・サピエンス)のことで、「人類」はヒト族のみならず化石人類(アウストラロピクテス属など)を含むより広義の分類だ(専門用語ではホモ属=ホミニンhomininという)。ここでは、ユヴァル・ノア・ハラリに倣って現生人類を「サピエンス」とし、ネアンデルタール人やデニソワ人など絶滅した古代人を含むホモ属の集合を「人類」とする。

 本書でいう「交雑」とは、人類のなかの異なる集団(サピエンスとネアンデルタール人)や、サピエンスのなかの異なる集団(アフリカ系とヨーロッパ系)のDNAが混じりあうことだ。これは一般に「混血」とされるが、血が混じり合うわけではないから、科学的には明らかに誤っている。そのため「交配」が使われたりしたが、これはもともと品種改良のことで優生学的な含みがあるため、消去法で「交雑」に落ち着いたのだろう。

 そうはいっても、「交雑」には「純血種をかけあわせたら雑種になる」というニュアンスがあり、「彼らは混血だ」というのと、「彼らは交雑だ」というのではどちらがPC(政治的に正しい)かというやっかいな問題は避けられないだろう。しかし私に代案があるわけでもなく、将来、よりPCな用語が定着するまで、本稿でもサピエンス内の集団の性的交わりを含め「交雑」とする。

 これまで何度か書いたが、「原住民」と「先住民」では漢語として明確なちがいがある。「原住民」は「かつて住んでいて、現在も生活している集団」で、「先住民」は「かつて住んでいて、現在は絶滅している集団」のことだ。日本では「原住民」が一部で差別語と見なされているが、ここでは漢語本来に意味にのっとり、「アメリカ原住民」「オーストラリア原住民」として「(絶滅した)先住民」と区別する。

全ゲノム解析によりホモ・サピエンスのアフリカ起源説が揺らいできた

 進化の歴史のなかでは、ホモ・サピエンス(現生人類)にはさまざまな祖先や同類がいた。ラミダス猿人やホモ・ハビルス、北京原人やネアンデルタール人などの化石人類を含めた人類(ホモ族)は、700万~600万年前にアフリカのどこかでチンパンジーとの共通祖先から分かれた。

 これについては大きな異論はない(あまりに遠い過去で証明のしようがない)が、その後の人類の歴史については、多地域進化説とアフリカ起源説が対立した。

 多地域進化説では、180万年ほど前にユーラシアに拡散したホモ・エレクトス(原人)が各地で進化し、アフリカ、ヨーロッパ、アジアの異なる地域で並行的にサピエンスに進化したとする。それに対してアフリカ起源説では、サピエンスの祖先はアフリカで誕生し、その後、ユーラリア大陸に広がっていった。

 1980年代後半、遺伝学者が多様な民族のミトコンドリアDNAを解析して母系を辿り、すべてのサンプルがアフリカにいた1人の女性から分岐していることを明らかにした。これがミトコンドリア・イブで、約16万年(±4万年)に生存したとされる。この発見によってアフリカ起源説に軍配が上がったのだが、これはサピエンスが10~20万年前のアフリカで誕生したということではない。

 ライクによれば、この誤解はミトコンドリアのDNAしか解析できなかった技術的な制約によるもので、全ゲノム解析によると、ネアンデルタール人の系統とサピエンスの系統が分岐したのは約77万~55万年前へと大きく遡る。サピエンスの起源は、従来の説より50万年も古くなったのだ。

 そうなると、(最長)77万年前からミトコンドリア・イブがいた16万年前までの約60万年が空白になる。これまでの通説では、その間もサピエンスはずっとアフリカで暮らしていたということになるだろう。

 ところがその後、サピエンスの解剖学的特徴をもつ最古の化石が発見され、その年代が約33万~30万年前とされたことで、従来のアフリカ起源説は大きく動揺することになる。“最古のサピエンス”はジェベル・イルード遺跡で見つかったのだが、その場所は北アフリカのモロッコだったのだ(正確には石器や頭蓋の破片が発見されたのは1960年代で、近年の再鑑定で約30万年前のものと評価された)。

 アフリカ起源説では、サピエンスはサハラ以南のアフリカのサバンナで誕生し、約5万年前に東アフリカの大地溝帯から紅海を渡って「出アフリカ」を果たしたとされていた。だが30万年前に北アフリカにサピエンスが暮らしていたとなると、この通説は覆されてしまうのだ。

遺伝学的には「アフリカ系統」と「ユーラシア系統」がある

 遺伝学的には、サピエンスは「アフリカ系統」と「ユーラシア系統」の大きく2つの系統に分かれる。ユーラシア系統は5万年ほど前にアフリカを出て世界じゅうに広がっていき、アフリカ系統はそのまま元の大陸に残った。

 この2つの系統は、ネアンデルタール人のDNAを保有しているかどうかで明確に分かれる。ネアンデルタール人はユーラシアにしかいなかったため、アフリカにいるサピエンスとは交雑せず、そのためアフリカ系統の現代人にネアンデルタール人のDNAの痕跡はない。

 従来の説では、ネアンデルタール人の遺跡がヨーロッパで多く発見されたため、出アフリカ後に北に向かったサピエンスが交雑したとされていた。だが現代人のDNAを解析すると、非アフリカ系(ユーラシア系)はゲノムの1.5~2.1%ほどがネアンデルタール人に由来するが、東アジア系(私たち)の割合はヨーロッパ系より若干高いことが明らかになったのだ。

 その後も、単純な「出アフリカ説」では説明の難しい人類学上の重要な発見が相次いだ。

 2008年、ロシア・アルタイ地方のデ二ソワ地方の洞窟で、約4万1000年前に住んでいたとされるヒト族の骨の断片が見つかった。サピエンスともネアンデルタール人とも異なるこの人類は「デニソワ人」と名づけられたが、DNA解析でニューギニアやメラネシアでデニソワ人との交雑が行なわれたいたことがわかった。――ライクは、これをシベリア(北方)のデニソワ人とは別系統としてアウストラロ(南方)デニソワ人と呼んでいる。

 さらに、アフリカ系と非アフリカ系のDNAを比較すると、ネアンデルタール人、デニソワ人とは別系統のDNAをもつ集団がいたと考えないと整合性がとれないこともわかった。

 ライクはこの幻の古代人を「超旧人類」と名づけ、サピエンス、ネアンデルタール人、デ二ソワ人の共通祖先(約77万~55万年前)よりもさらに古い140万~90万年前に分岐したと推定した。超旧人類はデニソワ人と交雑し、その後、絶滅したと考えられる。

 約5万年前にサピエンスが「出アフリカ」を遂げたとき、ユーラシアにはすくなくともネアンデルタール人とデニソワ人(アウストラロ・デニソワ人)という人類がおり、サピエンスは彼らと各地で遭遇した。交雑というのは性交によって子どもをつくることで、動物の交配(品種改良)を見ればわかるように、きわめて近い血統でなければこうしたことは起こらない。

 分類学では、子をつくらなくなった時点で別の「種」になったとみなす。ということは、サピエンス、ネアンデルタール人、デニソワ人は(あるいは超旧人類も)「同種」ということだ。ネアンデルタール人とデニソワ人は同じユーラシアに住み、47万~38万年前に分岐したとされるから「同種」なのもわかるが、それより前の77万~55万年前に分岐し、地理的に隔絶したアフリカ大陸で(最長)70万年も独自の進化をとげてきたはずのサピエンスがとつぜんユーラシアに現われ、彼らと交雑できるのだろうか。

 ここでライクは、きわめて大胆な説を唱える。サピエンスもユーラシアで誕生したというのだ。

サピエンスはなぜ他の人類を絶滅させるまでになったのか
 従来の人類学では、人類はアフリカで誕生し、約180万年前にホモ・エレクトス(原人)がユーラシア大陸に進出した後も、ネアンデルタール人の祖先やサピエンスなど、さまざまな人類がアフリカで誕生しては繰り返し「出アフリカ」したことになっている。だがなぜ、新しい人類はアフリカでしか生まれないのか? ユーラシア大陸にも180万年前から多くの人類が暮らしていたのだから、そこで進化したと考えることもできるのではないか。

 ライクは古代人のDNA解析にもとづいて、ユーラシアに進出したホモ・エレクトスから超旧人類が分岐し、さらにサピエンス、ネアンデルタール人、デニソワ人と分岐していったのではないかと考える。デニソワ人は東ユーラシアから南ユーラシアに広がり、ネアンデルタール人はヨーロッパを中心に西ユーラシアに分布した。だとしたら、サピエンスはどこにいたのか。

 ライクの説によると、サピエンスは脆弱な人類で、ネアンデルタール人に圧迫されて中東の一部に押し込められていた。その後、ネアンデルタール人がさらに中東まで進出したことで、約30万年前には北アフリカや東アフリカまで撤退せざるを得なくなった。これが、モロッコでサピエンスの痕跡が発見された理由だ。

 ところが5万年ほど前に、そのサピエンスが「出アフリカ」を敢行し、こんどはネアンデルタール人やデニソワ人などを「絶滅」させながらユーラシアじゅうに広がっていく。このときネアンデルタール人は中東におり、サピエンスと交雑した。このように考えると、アフリカ系にネアンデルタール人のDNAがなく、東アジア系がヨーロッパ系と同程度にネアンデルタール人と交雑していることが説明できる。ネアンデルタール人の遺跡がヨーロッパで多数見つかるのは、サピエンスと遭遇したのち、彼らがユーラシア大陸の西の端に追い詰められていったからだろう。

 中東でネアンデルタール人と交雑したサピエンスの一部は東に向かい、北ユーラシアでデニソワ人と、南ユーラシアでアウストラロ・デニソワ人と遭遇して交雑した。その後、彼らはベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸へ、海を越えてオーストラリア大陸へ、そして千島列島から北海道、本州へと渡り縄文人の先祖になった。

 ところで、ネアンデルタール人に圧迫されて逃げまどっていた脆弱なサピエンスは、なぜ5万年前には、他の人類を絶滅させるまでになったか。これについては遺伝学者のライクはなにも述べていないが、ひとつの仮説として、アフリカに逃げ延びた30万年前から「出アフリカ」の5万年前までのあいだに、共同で狩りをするのに必要な高度なコミュニケーション能力を進化させたことが考えられる。これによってサピエンスは、マンモスなどの大型動物だけでなく、ネアンデルタール人やデニソワ人など他の人類を容赦なく狩り、男を皆殺しにし女を犯して交雑していったのかもしれない。


※ブログ主追記:この記事は2018年の知見に基づくものであり、Wikipediaの「ネアンデルタール人」によると、次のようにある。

「それまでアフリカ人のDNAにはネアンデルタール人の遺伝子は含まれていないとされてきたが、アフリカ人のDNAにもネアンデルタール人の痕跡がわずかに残っているとする研究論文が2020年1月30日刊行の学術誌に掲載された。

発表した米プリンストン大学の研究者らは新たな計算手法に基づき、アフリカの現生人類もネアンデルタール人のDNAをわずかに保有しているとの結論を導き出した。

これで地球上のすべての地域の現生人類からネアンデルタール人のDNAが見つかったこととなり、アフリカを起源とする現生人類が世界の他地域へ一方的に伝播していったとする従来の学説に疑問符が付く可能性が出てきた。」


馬を手にしたヤムナヤの遊牧民がヨーロッパに移動した

 ライクは『交雑する人類』で、DNA分析からヨーロッパ、南アジア、東アジア、アメリカ原住民、オーストラリア原住民、アフリカなどでどのようにサピエンスが移動し、交雑していったのかを説明している。ここではそのなかで、ヨーロッパとインドについて紹介しよう。

 1万年前、中東の肥沃な三日月地帯で農耕が始まると、新たなテクノロジーを手にしたひとびとは農耕可能な土地を求めて東西に移住していった。しかしなかには農耕に適さない森林地帯や草原地帯(ステップ)もあり、そこには依然として狩猟採集民がいた。農耕民と狩猟採集民は、時に交易し、時に殺し合いながら暮らしていた。そうした集団のなかには、今日、DNAにしか痕跡を残さない者もおり、ライクはそれを「ゴースト集団」と呼ぶ。

 遺伝学的には、8000年前頃の西ユーラシアの狩猟採集民は青い目に濃い色の肌、黒っぽい髪という、いまでは珍しい組み合わせの風貌だったと推定されている。ヨーロッパの最初の農耕民のほとんどは、肌の色は明るかったが髪は暗い色で茶色の目をしていた。典型的なヨーロッパ人の金髪をもたらした変異の最古の例として知られているのは、シベリア東部のバイカル湖地帯でみつかった1万7000年前の古代北ユーラシア人(ゴースト集団)だ。

 ヨーロッパの東には中央ヨーロッパから中国へと約8000キロにわたって延びる広大なステップ地帯があったが、5000年ほど前にそこで馬と車輪というイノベーションが起きた。この最初の遊牧民の文化を「ヤムナヤ」と呼ぶ。

 馬という高速移動手段を手にしたヤムナヤの遊牧民は、新たな土地を求めて移動を繰り返した。このうち西に向かった遊牧民が現在のヨーロッパ人の祖先だ。

 ここでライクが強調するのは、遊牧民がヨーロッパの農耕民と交雑したわけではないということだ。DNA解析によれば、彼らは定住民とほぼかんぜんに置き換わってしまったのだ。

 遊牧民が定住民の村を襲ったのだとすれば、男を殺して女を犯して交雑が起きるはずだ。その痕跡がないということは、遊牧民がやってきたときには定住民はいなかった、ということになる。そんなことがあるのだろうか。

 ここでの大胆な仮説は病原菌だ。ペストはもとはステップ地帯の風土病とされているが、遊牧民が移住とともにこの病原菌を運んできたとしたら、免疫のない定住民はたちまち死に絶えてしまったはずだ。こうして交雑なしに集団が入れ替わったのではないだろうか。

 15世紀にヨーロッパ人はアメリカ大陸を「発見」し、銃だけでなく病原菌によってアメリカ原住民は甚大な被害を受けた。興味深いことに、それとまったく同じことが5000年前のヨーロッパでも起き、「原ヨーロッパ人」は絶滅していたかもしれないのだ。

西ヨーロッパ人と北インドのアーリア、イラン人は同じ起源を持つ同祖集団
 馬と車輪を手にしたステップの遊牧民のうち、ヨーロッパ系とは別の集団は南へと向かい、現在のイランや北インドに移住した。彼らはその後「アーリア」と呼ばれるようになる。

 独立後のインドでは、「インド人とは何者か?」が大きな問題になってきた。

 ひとつの有力な説は、ヴェーダ神話にあるように、北からやってきたアーリアがドラヴィダ系の原住民を征服したというもの。この歴史観によると、バラモンなどの高位カーストは侵略者の末裔で、低位カーストや不可触民は征服された原住民の子孫ということになる。

 だがこれが事実だとすると、インドはアメリカの黒人問題と同様の深刻な人種問題を抱えることになり、国が分裂してしまう。そこでヒンドゥー原理主義者などは、アーリアももとからインドに住んでおり、神話にあるような集団同士の争いはあったかもしれないが、それは外部世界からの侵略ではないと主張するようになった。

 現代インド人のDNA解析は、この論争に決着をつけた。

 インド人のDNAを調べると、アーリアに由来する北インド系と、インド亜大陸の内部に隔離されていた南インド系にはっきり分かれ、バラモンなど高位カーストは北インド系で、低位カーストや不可触民は南インド系だ。インダス文明が滅び『リグ・ヴェーダ』が編纂された4000年~3000年前に大規模な交雑があり、Y染色体(父系)とミトコンドリア染色体(母系)の解析から、北インド系の少数の男が南インド系の多くの女と子をつくっていることもわかった。

 近年のヒンドゥー原理主義は、カーストが現在のような差別的な制度になったのはイギリスの植民地政策(分断して統治せよ)の罪で、古代インドではカーストはゆるやかな職業共同体で極端な族内婚は行なわれていなかったとも主張している。この仮説もDNA解析で検証されたが、それによると、ヴァイシャ(商人/庶民)階級では、2000~3000年のあいだ族内婚を厳格に守って、自分たちのグループに他のグループの遺伝子を一切受け入れていないことが示された。ジャーティと呼ばれるカースト内の職業集団にもはっきりした遺伝的なちがいがあり、インドは多数の小さな集団で構成された「多人種国家」であることが明らかになった。

 西ヨーロッパ人と北インドのアーリア、イラン人は同じステップ地方の遊牧民「ヤムナヤ」に起源をもつ同祖集団で、だからこそ同系統のインド=ヨーロッパ語を話す。それに加えてライクは、バラモンによって何千年も保持されてきた宗教もヤムナヤ由来で、ヨーロッパ文化の基層にはヒンドゥー(インド)的なものがあることを示唆している。

ゲノム解析では「アフリカ人」「ヨーロッパ人」「東アジア人」「オセアニア原住民」「アメリカ原住民」はグループ分けできる

 最後に人種問題との関係についてライクの見解を紹介しておきたい。

 ここまでの説明でわかるように、DNA解析は歴史を再現するきわめて強力な手段だ。それがサピエンスとネアンデルタール人の交雑であれば科学的な興味で済むだろうが、現代人の異なる集団の交雑を検証する場合、北インド人と南インド人のケースでみたように、きわめてセンシティブな領域に踏み込むことになる。一歩まちがえば「人種主義(レイシズム)」として批判されかねないのだ。

 ライクはリベラルな遺伝学者で、この重い問いに誠実にこたえようとする。その一方で、科学者として耳触りのいい「きれいごと」でお茶を濁すこともできない。

 リベラル(左派)の知識人は、「人種は社会的な構築物だ」とか、「人種などというものはない」と好んでいいたがる。だが2002年、遺伝学者のグループがゲノム解析によって世界中の集団サンプルを分析し、それが一般的な人種カテゴリー、すなわち「アフリカ人」「ヨーロッパ人」「東アジア人」「オセアニア原住民」「アメリカ原住民」と強い関係のあるクラスターにグループ分けできることを立証した。これはもちろん、「人種によってひとを区別(差別)できる」ということではないが、人種(遺伝人類学では「系統」という用語が使われる)のちがいに遺伝的な根拠があることをもはや否定することはできない。

 このことは、もっとも論争の的となる人種と知能の問題でも同じだ。

 ヨーロッパ人系統の40万人以上のゲノムをさまざまな病気との関連で調査した結果から、遺伝学者のグループが就学年数に関する情報だけを抽出した。その後、家庭の経済状況などのさまざまなちがいを調整したうえで、ゲノム解析によって、就学年数の少ない個人より多い個人の方に圧倒的によく見られる74の遺伝的変異が特定された。

 これも遺伝によって頭のよさ(就学年数の長さ)が決まっているということではないが、「遺伝学には就学年数を予測する力があり、それはけっして些細なものではない」とライクはいう。予測値がもっとも高いほうから5%のひとが12年の教育機関を完了する見込みは96%なのに対して、もっとも低いほうから5%のひとは37%なのだ。

 こうした(リベラル派にとって)不都合な研究結果を紹介したうえで、ライクは、「実質的な差異の可能性を否定する人々が、弁明の余地のない立場に自らを追い込んでいる」のではないかと危惧する。私なりに翻案すれば、「扉の陰にいるのは黒いネコであるべきだし、黒いネコに間違いないし、いっさい異論は許さない」と頑強に主張しているときに、白いネコが出てきたらいったいどうなるのか、ということだ。「そうした立場は、科学の猛攻撃に遭えばひとたまりもないだろう」とライクはいう。

 これは「古代DNA革命」の第一線の研究者として、新しいテクノロジーのとてつもないパワーを知り尽くしている者だけがいうことができるきわめて重い発言だ。門外漢の私はこれについて論評する立場にないので、最後にライクの警告を引用しておきたい。

「認知や行動の特性の大半については、まだ説得力のある研究ができるだけの試料数が得られていないが、研究のためのテクノロジーはある。好むと好まざるとにかかわらず、世界のどこかで、質のよい研究が実施される日が来るだろうし、いったん実施されれば、発見される遺伝学的なつながりを否定することはできないだろう。そうした研究が発表されたとき、わたしたちは正面から向き合い、責任を持って対処しなければならない。きっと驚くような結果も含まれているだろう」