生い立ち授業 | 黒部の不定期日報

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今のこと、昔のこと。

不定期日報とかいいながら、もうすぐ1ヶ月が経とうとしていて月報になりそう。

 

読み返して気づいたけど、前回の記事1/9の時点でもうお腹が痛かったのだなと。

 

この後1/17から血便が始まり、それは毎日のように続き、つい昨日大腸の内視鏡検査を受けてきた。

 

結果は、、なーんも無し。

 

ポリープも潰瘍も無いし、痔でもない。じゃあ一体この血はどこから来るのよ。

 

元来私は何かあるとすぐに胃腸に来る。

 

両親の経営する会社が倒産するとき、元舅の自殺未遂を私のせいにされたとき、離婚するとき、大きなストレスを抱えると下血するようになっているのだ。しょうがない。毎回言われる「過敏性腸症候群」。気休めの整腸剤をもらって、「ストレス溜めずに、適度な運動を」と言われるだけ。

 

さて、今回のストレス。前回の記事で書いた会社のことはもとより、あの後娘が持ち帰った学校の宿題が一番の大きな原因。

 

生い立ち授業。

 

小学2年生の生活科で「自分はっけん」と題し、いかに自分が愛されて生まれてきたかを確認しようとかなんとかそういう気持ちの悪い単元。

 

生まれたときから現在までのエピソードを親から子供に宛てて手紙をしたためるというもの。期限は10日間。

 

悩んだ。

 

すげぇ悩んだ。

 

ごめんね、愛して産んでないんだよな。

 

生みたくないという私に「生まないなら離婚」という元夫。

 

大の病院嫌いの元夫は検診になんか1回もついてきたことも、送ってくれたことも無く、胎盤早期剥離で腹痛に苦しんだときも一緒に家にいたのに私は自分で救急車を呼んだ。彼は乗ってもこなかった。生まれるときも同じである。

 

産んだら彼は家事育児放棄、不倫。私は産後5か月で娘を預けてマンションのローンのために再就職活動からの転職。就職できても子育てはひとり、家事もひとり、収入は私の方が上。1歳になってすぐ「自由になりたい」と言われて離婚。

 

生みたくなかった子が私の手元に残り、失いたくなかった夫が私の元を去った。

 

それからは実家に戻って両親の手厚いサポートもあってなんとか今日まで生きてこれている。

 

ほっこりエピソードなんか思い出せない。思い出せないんじゃなくて無いのかもしれない。

いつだって必死だ。小ダム子に知らせるようなことなんかない。むしろ墓場まで持っていくエピソードしか無い。

 

でもここで「なんてひどい単元だ」って叫んだって宿題は無くならないし、教科書も今日明日では変わらない。この宿題からは逃げられない。

 

適当に当たり障りない薄っぺらいことを書こうと思うも手に着かない。せっかく今を生きているのに忘れたい過去を思い出させるのか。教科書の例文のように「生まれてきてくれてありがとう」なんてそんな歯の浮くような、思ってもいない嘘は書けない。書こうと思うたびに辛かった日々が甦って涙で断念。そんな毎日はとても長かった。

 

もうこの2日で書くしかない。そうなった時、会社を早退し長くお世話になっている精神科の先生や友人の助けを借りて、なんとか私らしい手紙を書くことができた。先生は泣いてくれた。涙で濡れた眼鏡を拭きながら心に響くアドバイスをくれた。

 

生まれてくれてありがとうとは言えない。(←これは書いてはいない)

でも、貴女じゃなかったらきっと母親できてないわ。おりこうさん。いつもありがとね。と、そんな感じのことを書いて締めくくった。

 

宿題の締め切りから3日後、小ダム子は8歳の誕生日を迎えた。

先生、友達、同僚、両親、みんなのおかげで初めて「あぁ、、誕生日か。そっか。おめでとう」って言える誕生日になった。

 

不妊治療してる人から見たら生みたくないなんて贅沢で我がままだと言われるかもしれない。でも、こっちにはこっちの事情があるんだ。代われるなら代わって欲しい。それができないんだから黙ってていただきたい。虐待も放棄もせず、なんとか8歳までやってきてるんだ、十分に償っていると思っている。

 

この「生い立ち授業」というやつ。私のような者にも大きなダメージを与えるんだけれども、里親や、施設から通う子供たちには本当に難題。家族の形が多様化してきているのに、教科書が追い付いてないんだよな。生活科や道徳の授業ならばなおさら「人には聞いていいことと悪いことがある」ってのを教えてやって欲しい。

 

 

宿題を乗り越えて10日が経とうとしている。腹はまだシクシクと痛む。