番手が違っても選手としての経験があったし、他の選手に於いては1~3番員全員が選手1年生だったから敗因はオイラじゃねえだろう。
なんて思っていたところに審査にあたった署員からのまさかのダメ出し。
それもピンポイントでオイラに向けて。
そらもう筆舌に尽くし難いショックです。
室伏の投げたハンマーが脳天を直撃したような、ゴッチ式パイルドライバーを喰らったようなショックです。

それ痛いって Σ( ;ω;)イタッ!
それでも気を取り直して打ち上げの席で他の選手に聞いてみたんだ。
オイラじゃ闘えないんじゃね?
ねえ、みんな。オイラが指揮者でいいのか?
正直なところ、完膚なきまでに打ちのめされていたので、慰めの言葉なんかも期待した訳です。
ところが傷心のオイラに帰ってきた言葉は…
「ん~、やりたくないって言うなら止めない。そう思ってる人とは一緒に闘えないから。」
…
…
聞いた瞬間は悔しいやら恥ずかしいやら。複雑な感情が入り乱れていたのだけど、一番感情の中で大きなウエイトを占めたのが『甘かった』というもの。
いや、慰めの言葉を期待したことが甘かったんじゃなくて、最初に「やるなら優勝を狙う」と言って決起したのに、たった一度のダメ出しで弱気になった自分が甘かった。
むしろ選手の中で最年長のくせに、後輩にそう言わせた自分が腹立たしかったのね。
分かった。やっぱり指揮者は青空じゃなきゃ。青空の指揮、号令じゃなきゃ(俺達は)動けないって言わせてみせるから。
俺にやらせてくれ。
そう宣言したのです。
例年、秋に行われる分団大会に向けての練習は早い班で7月あたりから始め、先の記事にも書いたようにビリじゃなけりゃいいという班は8月の盆明けから始めるのが多かったのです。
でも基本もなっちゃいない我々だから、それじゃあ遅すぎるだろうと4月から練習を始めました。
が、練習をやればやるほど上の者(操法否定の先輩)との距離が離れていくばかりで、自分たちが延ばしたホースを自分たちで巻くなんて事も‥
まあ、それはそれで仕方ないよね。
(本大会までアト4年)
去年の同じ轍を踏まないようやる事はやってきた(つもり)
あとは本番でアガラないで練習通りできるかだな。
結果…3位
微妙。。。
前述の通り、当分団は『回り当番制』で本大会に出場するシステムの為、大抵その年の7月の本大会に出場した班が9月の分団大会で優勝するのが通例でした。
その年も例に漏れず優勝チームは本大会出場チームで、僅差の2位が毎年優勝争いをしながら本大会出場班に敗れている隣の班。
その『2強』に迫ったのだから十分な結果と言いたいところだけどね。
でも
「俺達はもっとできる。絶対優勝してやる。」
とその結果に全然満足なんかしないんだ。
あれ?
消防って、操法って面白いんじゃない?
そんな風に思い始めたチーム結成から3年目は激動の一年となるのでした。
つづく