もともとオイラの在籍してる班は、操法自体そんなに一生懸命ではない班でしたが、それでも秋に行われる分団の大会(12班で競います)が間近に迫る8月のお盆過ぎ(遅すぎだろww)からは週に1~2回練習してました。
結果は言わずとも知れたもので、ビリにならない程度と言ったところでしょうか。
「ビリじゃなきゃいいんだ。」
そんなことを言う先輩がいました。
当時の当分団は、翌年夏に行われる市の大会には出場班が決まっている、いわゆる『回り当番制』だったので、ビリでは恥ずかしいが遮二無二やって優勝しても意味がない。
どこの班もそんな風潮があったのでしょう。
事実、オイラが初めて操法の選手となったのは、入団から4年目くらいだったかな。小型ポンプ操法の1番員でしたが、『だいたいの流れ』ができればビリにはならないから。という練習しかやんなかったもんね。
1時間の練習のあとはミーティング(内容はご想像通りw)。
当然だけど、上位に食い込むこともなければ最下位争いに加わることもない、万年係長クラスに落ち着いてました。
そんな1番員を3年経験し、「あー、やっと選手から解放される」と喜んでいたのも束の間、6年後に我が班が市の大会に出場する順番が迫っていたので、本大会は若い連中で臨むから選手選考をすると言う班長。
いや、選考とは名ばかりで、ついこの間まで1番員をやってたオイラは除外されると思いきや、問答無用に指揮者という役を与えられ(押し付けられ?)るし。
これにはさすがの青空青年も異議申し立てを致しましたが、選ばれた選手以外を見ると、前回(6年前)の本大会で選手だったとか、その前に選手だったとかばかり。
これは逃げらんねえわ (;´д`)トホホ
「やるなら優勝しかねえ」
分団が市の大会に出場するようになって数十年年、その中で準優勝が最上位だったので、血気盛んな若者たちは大胆にも優勝を目標に掲げたのでした。
(本大会までアト5年)
本大会に臨むには、まず秋の分団大会を制してからだ!
いくぞー!おー!
とはいえ、前述の通りこれまで班としてはビリにならない練習しかしてこなかったので、教えてくれる指導者の先輩も
「確か俺の時はこうだったよな。」
なんてあやふやな指導なのです。
こんな練習では勝負にならないと分かっていながら、どんな練習方法がいいのか分からないまま分団大会を迎えるのでした。
オイラは選手を3年経験しているとはいえ、番手が変わればこれまでの経験値なんか無いにも等しいし、他の若い選手にとってはこれが初めての大会です。
当然だけどみんなナーバスになっていて、昼飯なんか食えたもんじゃない。
なのにガツガツと飯食ってる先輩から
「俺達(年上)は(大会には)関係ねえし。(_´・з・`)」
なんて言葉まで引き出しちゃったよ。
何だよ。これからやろうとしてる俺らに喧嘩売ってんのか?
と、内部分裂どころか一触即発ですわ。
そんな雰囲気は競技にも反映されるようで、結果は見事なまでに惨敗。
気持ちいいくらい惨敗(笑)
12班のうち、下から数えた方が早い順位でした。
おまけに審査にあたった署員から
「あの指揮者は問題にならない(くらいダメだ)」
と他の選手が言われたって言うんだからね。
il||li _| ̄|● il||li ズウウウウウン…
敗因はオイラだったのか…
その夜、打ち上げの席で他の選手に聞いてみました。
オイラじゃ闘えないんじゃね?
ねえ、みんな。オイラが指揮者でいいのか?
傷心のオイラに帰ってきた言葉は…
つづく