父の新居はマンスリーマンションで、家具は最初から備え付けであった。布団をレンタル(8000円/回)しただけで、家具は問題なく揃った。

父の家は
ホテルなんかにあるような備え付けの小さい冷蔵庫
外置きでダメになりかけの洗濯機
実家にいるときから使っていた折り畳みのベッド
コードが断線しかけている炊飯器
電子レンジなんてない

など、節約家の父らしく、古いものを大切に使っていた。

それが一気に何もかも綺麗な場所に移る。
マンスリーマンション、素晴らしいです!
その分、お高いけどね💦
光熱費込みで月15~20万円くらい。


さて、退院。
実は医師に相談して、こういう訳でこの日以降の退院なら、父が遠い家じゃなくて近くの新居に帰れる。その日以降に退院となるとありがたい。
という話をしておいたためか、退院はナカノさんと引っ越しした二日後となった。

今回は様子見ながら抗がん剤点滴をして、大丈夫そうだったので退院となった。
入院中、本人は元気そうだった。退院しておにぎりを食べたとき、

「こんなに美味しく食べれたの久しぶりだ」

と言っていた。
どうやら病院食が不味いという意味ではなく、体調が良くなって食べ物が美味しく感じられたようだった。
癌と診断される前、なんとなく調子が悪くてご飯が美味しく感じられなかったとのこと。
そんなに体調悪かったんだね。
知らなかったよ…
なんか、ついさっき、急に父が空に行った気がした。
一周忌もまだだし、初盆もまだ。
霊感なんか欠片もないけど、なんかふと、そんなイメージがわいた。
お酒飲んでたせいかもしれないけど、あっちで、もう辛さとか来るしさとかから解放されてるといいなぁ


さて、引っ越しのこと。

とりあえず、1~2週間過ごせるくらいの荷物をまとめた。
その荷物で1~2週間やりくりしてもらってる間に、本格的な荷物の運びだしをするという段取りだった(そのくらい、時間がなかった)

あ、自分で書いていて思ったんだけど、感情抜きに淡々としている感が否めない。
実際、当時は「しなくちゃいけないこと」が多すぎて、感情なんて二の次だった気がする。
父を不安にさせないように父の前では明るく、その他は新しい仕事場に慣れるために集中して、残りはしなくちゃいけないことに全力だったから、感情とか言ってる場合じゃなかった。

もっと余裕があれば色々考えられたかもしれないけれど、その時は精一杯やってたんだよ…


荷造りをしながら、昔の職場で仲の良かった人(以下、ナカノさん(仮名))に連絡した。
父がこう言うわけで引っ越したい。で、まず少量の荷物を運びたいんだけど、車を出してもらえないだろうか?
と。

ナカノさんは快く引き受けてくれて、荷物の選別やら運び出しやら、色々見ながら手伝ってくれた。

こういうとき、一人じゃないんだなーってようやく思えて、なんか安心した記憶がある。一回り上の気のいいおじさんで、一緒に仕事してたときも色々愚痴を聞いてくれたし、何よりナカノさん自身、お父様を癌で亡くされていたので、色々共感してもらえた。
それが、本当に救いだった。

引っ越しの荷運び中、父の家から新居までの通りに、父が入院している病院があったから寄ってくれた。
ナカノさんは車で待機して、ゆっくりしておいでと言ってくれた。父の病気がわかってから、初めて気持ちに余裕をもって父と会えた気がする。
ナカノさん、本当にありがとう。

そうして、新居に荷物を持ち込むことができたとです。

前回の記事で、抗がん剤治療初めてから3日目に異変が起きたようなことを書いたけど、

実際3日目だったかどうか、覚えてない。

大体そのくらい。ってことで口笛

ここに書いてあることは「事実を基にして、私の記憶力を想像力で埋めた半フィクション」位に見てもらえたほうがいいかもしれない滝汗

 

点滴の抗がん剤の名前は忘れました。飲み薬はTS-1でした。

当時の父の記録を見ればわかると思うんだけど、それはまだできない。父が書いた文字とか、まだ見れない。

当時、「一番効く」と言われた大腸がん用の点滴でした。

 

点滴から数日後、父から連絡あり。

高熱が出て病院に連絡したら、すぐに来てくださいと言われ、病院に行ったところ入院となった。

 

確かに抗がん剤治療中の注意事項として、「38.5度以上の高熱が出たらすぐに連絡を」とあった。

仕事を早退して慌てて病院に行くと、高熱の割には本人元気そう。

でも、血液検査の結果、マーカーの値だったか肝臓の数値だったかが点滴前に比べて非常に悪くなっていることが分かった(これも当日わかったのか、後日わかったのか覚えてない…あせる

昔から風邪ひいたり熱出したりすると非常に辛そうにして寝込んでしまっていた父なのに、なんでか元気だった。病院にいるから安心してたのかな…?

 

病院側から入院の準備をしてきてくださいと言われたのか、髭剃りや着替えなど日用品を持ってきてくれていたので、私が父の家に行っていろいろ持ってくる必要がなかったのはありがたかった。

 

それからしばらく放射線治療を受けて、なんかの(覚えてないわーガーン)点滴を受けて、しばらく経って退院できたけど、もう点滴が使えないんじゃないか?とか、飲み薬も使えなくなるんじゃないか?といった不安があった。でも、一時的に数値が悪くなったとしても、抗がん剤治療は続けられるといわれ、安心した(この後、抗がん剤で熱が高くなることはなかった)。だって、抗がん剤治療して1~2年といわれたんだもん。治療できなくなったらどうなるの?って。

 

ここ で書いた通り、父の引っ越しの準備は進めていた。

いつ退院ができるかわからないけれど、引っ越し先の準備だけはしておかなくては。

 

引っ越しについても長くなるので、次回に書きます!!