昭和49年1月3日の真夜中、京都府警本部からの連絡で、東山区の松原警察署捜査1係、末次警部補はじめ10数人の警察官が出動した。厳寒の古都を尚更に震え上がらせた猟奇殺人事件の発端である。
現場は、東山区大和大路五条下ル高田町のアパート「大和荘」の地下13号室である。被害者は田中覚次24才、K大学の4回生で、大学では建築学を専攻していた。
末次警部補はじめ幾人かの係官は、初動班としてまず何よりも、現場保存を厳重に行わねばならなかったが、物見高い京都人らしい好奇心に溢れた群衆が、底冷えの真夜中を厭わず予想外に集まったまのには閉口した。ただ、現場が「大和荘」でも最も奥まった一室であることが幸いしていた。付近には、清水寺や豊国神社などの史跡が多く、清水焼の窯元が数多く点在している東山の傾斜地にあたっており、幹線道路である国道1号線が、「大和荘」の北側を、清水寺を左手に見ながら東山を貫く形で走り抜ける、いわゆる「五条バイパス」の辺りであった。
府警からの応援を得ての鑑識と同時に、末次警部補は既にアパートの住人への聞き込みを始めていた。発見者は、隣室の14号室に住む正田という予備校生だった。
「そら、びっくりしましたわ。何せ、あんな格好でしょ、何か、悪い夢でも見てるようで、ちょっとの間、ぼけーとしてましてん」
正田がそう云ったのも、全く無理からぬことで、現場の状況は凄惨を極めていた。手前の四畳半から点々と血痕が始まり、奥の六畳の血の海に繋がっている。被害者の田中覚次は、その六畳の木製のベッドの上に、うつ伏せになって倒れていた。ベッドの四方の脚からロープが伸ばされて、被害者のそれぞれの四肢を縛り上げており、全裸の臀部、正確に言えば肛門に刺身包丁が突き立てられている。そして、おかしなことには、被害者の躰の下に、しかも下半身にかけて大きめのビニールが敷かれており、その一端がベッドからはみ出して、多量の血液を緑色のカーペットの上へ導いていた。他に、浣腸用カテーテルや革製の鞭などが発見されたことから、嗜虐的性行為が高じての事故かとも思われたが、後の解剖所見で、被害者の致命傷は肛門よりもむしろ、男根切断によるものであり、その他にも、鼠蹊部、会陰部を中心に大腿部に至る、凡そ20カ所に及ぶ刺傷、或いは裂傷等が認められており、事故ではなく精神異常者による殺人か、或いはそれを装った正常人による殺害と見られた。さらに、死亡推定時刻は、3日午後11時と断定された。
「君は、ずっと部屋におったんやろ?」
ベテランの浅黒い顔をした小杉刑事が尋ねた。
「いや、今さっき、外から帰ってきたとこです」
正田は、寒さのためか、はたまたおぞましい殺害現場を目撃したからか、震える声で応答している。
「誰かに出会わへんかったか?」
「いえ、誰にも!」
「田中君とは親しかったんか?」
「はい、何せ隣同士やし」
「それで…どないして見つけたんや?」
「はい、ええと、外から戻ってきて、レコード借りよ思て、ドア叩いて声かけましてん」
「何時頃や?」
「11時過ぎやったと思います。上の部屋で、11時のニュースです、ゆうてNHKが聴こえてしばらくしてからですから」
「そうか!」
小杉刑事の目が一瞬、正田を刺すように鋭く光った。
新年早々、血なまぐさいお話で恐縮ですが、またぞろ刑事ものでスタートです。凛太郎の写真は、また撮り貯めましたら掲載します。それでは、今年もよろしくお願いします。