峻一が、その匂い立つような若く美しい肢体を、闇を切り裂くサーチライトの光の中に映し出され、一瞬のうちに空中高く散華させたのは、1月20日・東京芝公園4号地の戦闘に於いてであった。
 破竹の勢いで侵攻する革命軍はさらに東進を続け、じりじりと後退する政府軍を尻目に、次々と精鋭部隊を前面に立てて攻撃してきた。小田原から横浜、そして川崎。殊に戦闘の激しかった川崎では、コンビナートに砲火が及び、突然の大音響と閃光と共に京浜工業地帯の中枢が火の海となり、一瞬のうちに灰燼に帰した。
 剛田や峻一たちは、仕方なく、多摩川を渡って後ずさりせざるを得なかった。革命軍は、蟻の行列の如く、網の目のように首都に侵入したきた。羽田は瞬く間に彼らの手に落ちた。相模原基地の兵士たちが、彼らに合流したという噂が流れた。駐留米軍は、東京湾沖のミッドウェーをはじめとする第七艦隊に収容され、指を銜えて見ているだけだった。しかし、一方、米本土から陸続と巨大艦隊が日本へ向かっているという明るい情報も入った。
 だがしかし、革命軍は今や、品川・世田谷・杉並・練馬の線上まで押し寄せていた。埼玉や練馬の駐屯地では隊内反乱が起こり、首都への増援部隊は望むべくもなかった。そんな中で、芝公園4号地に陣を敷いていた剛田らの目前に、国電浜松町から大門へと革命軍の先鋒がその姿を現わしたのである。戦車の上に赤旗を靡かせ、拡声器からインターナショナルを響かせて彼らは迫ってくる。剛田らの対戦車小隊は特科連隊に護衛されるような型だったので心強くはあった。しかし、革命軍の先鋒はマット(64式対戦車誘導弾)を搭載した最新の無反動砲や、ロケット弾発射筒を備えた車両も参加している。剛田は既に命運尽きたと思った。しかし、傍らで緊張に顔面を蒼白にしている美しい峻一だけは、何とか生き延びさせてやりたいと思った。剛田は、峻一を後方へ連れていって逃げるよう説得した。しかし、予想した通り峻一は拒否した。剛田と一緒に死ぬと云う。見つめる澄んだ瞳と、そのいじらしい決意に、剛田は熱く込み上げるものを感じた。

凛太郎の写真 その9です。次回でこの小説は終わります。
$凛冽の汗