箱根の決戦は政府軍側のさんざんな敗走に終わった。政府軍側が近代兵器を備えた巨万の軍団であれば、革命軍もまた、西日本一帯の元自衛隊を赤衛軍へそのまま移入した優秀な戦闘能力を保持していた。彼らには、革命を目指す高い理想と情念に裏打ちされた戦闘意欲があったのだ。また、その後、首都ゲリラはいよいよ熾烈を極め、箱根決戦へ差し向けられた師団は、全くの背水の陣であった。しかも、赤衛軍は、当初の情報どおり凡そ1〇ケ師団に相当する膨大な兵力で雪崩のように押し寄せてきた。剛田らが如何に足掻こうとも防ぎきれるものではなかった。
 1月17日午後8時、箱根は打ち破られ、剛田は連隊からはぐれて一人山中へ逃げのびた。主戦場となった大涌谷ー姥子ー芦ノ湖ラインから東の方向へ逃げた剛田は、小田急の線路沿いに堂ヶ島までひた走り、そこから明星ヶ岳に向かって林の中を東進した。
 広葉樹の疎林の中を塔ノ峰方向へ継走しつつある時だった。峠の手前に、朽ち果てた丸木小屋が立っているのが目に入った。外観は朽ちて古くなっているが、小さな窓からオレンジ色の灯りが洩れている。剛田は、慎重な足取りでその窓に近づいた。彼は疲れきっていた。それに、左腕に貫通弾を受けている。早く傷の手当てをしたかった。そっと覗き見た部屋の中では、暖かそうなマントルピースの前で、老人が椅子に座って居眠りをしている。部屋の向こう側のもう一つの窓の下では、中学生ぐらいの少年が、一心に机に向かって勉強しているようだった。弛緩した空気の中で、彼らは平穏を貪っている。すぐ近くで日本の運命を決する戦闘があり、自分は傷つき疲れ果てているのに。そう思った途端、剛田はむらむらと腹立たしい思いに駆られて、表へ廻って激しく戸を叩いた。
「誰ですか?…」
透き通った少年らしい声が、戸の内側で戸惑ったように訊ねた。
「自衛隊の兵士です。すぐ近くで戦闘があって、傷ついている。手当てをしたいのだ。開けてくれ!」
剛田は横柄にそう云って、戸の開くのを待った。
 やがて、掛け金をガチャガチャやる音がして、重そうな板戸が内側に開けられた。剛田は一瞬目を瞠った。目の前に立っているのは、少女だと見紛うばかりの秀麗な美少年だった。

$凛冽の汗