何故、あんなふうにしたのか、思い出すと、今でもぼくは恥ずかしくなってしまう。でも、覚えがあったんだ、ぼくには。
 以前、お父さまと京都へ旅行した時、醍醐寺三宝院というお寺で、ぼくは凄い絵巻物を見てしまったんだ。幽山先生って言う著名な学者と交流のあったお父さまが、先生から貰った紹介状を示してやっと閲覧を許されるほど大事な、門外不出の秘宝らしい。「稚児之草子絵巻」って言うんだけど、淡い彩色で稚児と僧侶の(ぼくはいやらしいなって思っちゃったけど)交合の手順が、綿々と描かれてあるんだ。お父さまは、ぼくを引き据えるように傍ら近くに坐らせて、こう云われた。
ー女は魔性のものぞ、清司。男子の矜恃を貪り食らって骨抜きにしてしまう鬼婆だ。色香に誑かされるでない、溺れるでないぞ。このようにせよとは云わぬ。が、愛するなら勇敢なる男子を、兄者を愛せ。やがて、おまえが雄々しく羽撃く時のための貯えを、兄者はしたたかに隠し持っておる。それをぬすむのだ。事を成そうとする男子は、そのようにして成長するのだ。
お父さまも、妖しい秘図を前に酔っておられたのだろう。言葉つきが、侍みたいに変てこだった。ぼくはだけど、多少偏向教育じみた匂いを嗅いだように思う。それがあったから、李兄さんに、あんなふうな仕草をしてしまったと思うんだ。
 でも、それどころじゃない。大変なことになってしまった。李兄さんが、在郷軍人会の人たちに引っ張られていったんだ。あの会長の娘が、告げ口したに違いない。やっぱり、お父さまのおっしゃる通り、女とは醜い動物だ。あんなへちゃむくれの顔でぼくを慕うなんて…いけない、こういうのも差別なんだきっと。でも構わない。あの娘は、心まで醜い女なんだから、いくら罵っても、きっとお父さまも許してくださる。だって、そのお父さまにまで禍が及びそうなんだもの。あろうことか、娘の親爺は、お父さまが共産党員だというデマを流し始めたのだ。
 お父さまはご機嫌が悪い。
ー卑劣な!
と吐き棄てるようにおっしゃって、李朝白磁を桐箱に仕舞い始められた。
ー清司、京都の幽山先生のもとへ行くぞっ!
て慌ただしく身の回りのものを片付け始めておられる。噂通り、お父さまは赤なのだろうか。それでなくては、こんなに慌ただしく旅立ちの用意をなさる筈がないけれど。仕方がない。ぼくも、学用品を袋に詰めたりしなきゃ。
 でも、李兄さんのことが気に掛かる。きっと酷い目にあってるんだろうな。噂じゃ、長崎から憲兵までやって来たって言うし。拷問なんかされてはいないだろうか。あの逞しい李兄さんの綺麗な体に、傷なんか付けないでおくれよ。酷いよ。勝手だよ。自分らが無理矢理に引っ張って来といて、何かあると、すぐ、李兄さんたち朝鮮の人のせいにするんだから。日本人なんて獣だ。ハイエナだ。
 李兄さん、きっと無事でいておくれよ。でないと、ぼくだって生きてやしないよ。どうか、どうか、ぼくの為に生きててください。ぼくらは京都へ行ってしまいますが。