「今のおまえの話聴いとったら、何か、皆、白石が悪いように云うとるが、わしらも良うは知らんけど、ああいう闘争の世界へ足踏み入れた人間が、そう、おまえにべたべたする訳にはいかんかったやろ。しかも、白石は、なるべく人目に触れんように行動せんならん裏の組織の人間やった。恐らく白石は、おまえに済まんと思いながらも、おまえを避けざるを得んかったんやろ。何せ、奴らは、血で血を洗う抗争に明け暮れとるからな、おまえに迷惑がかかると思たんやろ…。しかも白石には、おまえと違て大義ちゅうもんがあったしな。何も知らんかったおまえが、雄二の不実を憎む気持ちも分からんではない。しかし、おまえが、ほんまに憎むべきやったんは、人を見る目を歪にしてしもたおまえの荒んだ生活や。おまえの悍ましい性そのものや」
「もう、もういいんです。分かりました」
敬次の涙声が橘の話を遮った。膝に置いた両の掌を堅く握りしめながら、じっと一点を凝視している。そして、項垂れたままの格好で、徐に、両腕を橘の方へ差し出した。無表情で二人のやりとりを眺めていた田川刑事が、手錠を取ろうと尻へ手をやって中腰になった。橘警部補はしかし、それを押しとどめて立ち上がり、敬次の肩を叩いた。
「行こか! 用意せえ! 下で待っとるからな!」
まだ顔を上げず、微動だにしない敬次を残して、彼等は階下へ降りた。
 敬次が腹を空かして待っているだろうと、芳江は早めに仕事を片付けて帰途についた。途中の商店街で、すきやきにしようとたっぶり上肉を買い込んだ。給料日からまだそんなに経っていなかったし、敬次の喜ぶ顔が見たくてはりこんだつもりだった。両手いっぱいに野菜などを抱きかかえて家に戻ってきた。玄関の三和土に男物の短靴が二足並んでいるのを見て、怪訝に思った。階段から二階を仰ぎ見た。そこで芳江は、敬次と警部補の話を聴いてしまった。頭のてっぺんから脚の先まで、太い棒切れを挿し込まれたように、そこに動けなくなった。信じ難いことだった。二階へ駆け上がり、敬次の肩を揺すって、今聴いた話が皆出鱈目だと云わせたい衝動に駆られた。何かの間違いだと懸命に打ち消そうとした。しかし、敬次の涙まじりの声が、微かな希望を無残に打ち砕いた。買い込んできた肉や野菜が、足下に散乱している。しばらくして、人の降りてくるらしい跫音に、ハッと我に返って台所へ跳び込んだ。

凛太郎、九州行写真です。
$凛冽の汗