「氷やな!」
と念を押すような云い方で橘警部補は口を開いた。その声は勝ち誇ったような横柄な物言いだったが、瞳の奥に悲しげな光があった。
「真冬の夜中やから、そう早いことは溶けんと見込んで、持ち込んだプロパンボンベの栓に詰め込んだ。おまえがフロインドで飲んでる頃に、シューシューと吹き出しよった。もう、おまえは安全圏におったわけや。しかし、自殺に偽装せないかんのに、何で被害者の体内に、その、ナニを残すようなことしたんか、それに何でうまいこと牧田が、そのすぐあとに襲撃しよったか、それが未だに分からん。ただ、あの汽車の中で逢うた云う会社員な、あの人の証言の中に、おまえの体からライムのような化粧品の匂いがしたいうのがあるんや。それで決まりや。わしが、ホトケの肛門に付着しとったクリームから嗅いだ匂いも、そういう匂いやった。と云うても、年寄のわしにはライムの香りがどういうもんか分からんが、ここにおる田川君が実物のクリームで教えてくれて、それで分かった云う訳や」
 橘が促す迄もなく、敬次はぽつりぽつりと話し始めた。ありきたりな方法ではあったが、他に偽装殺人の手段が思い浮かばなかったこと。雄二への想いが憎悪に変わり、やがて殺意にまで増幅したこと。そして、当夜、自分が雄二を殺害する際、その体を凌辱しないという保証が自分自身できかねたこと。そのための時間稼ぎのつもりで、同じ大学で偶然に知遇を得た過激派の牧田に、ニセの情報を小出しにしながら徐々に雄二を、彼等の敵側の幹部に仕立て上げたこと。さらに、闘争での挫折感から雄二が自殺を考えているらしいとも、捏造して示唆したこと。そして、事件当夜、やはり自制できなかった自分を悔やみながらも、勉と旅館へ入る前に牧田に連絡を取り、雄二がガス自殺を計っていることを急報して、彼等の襲撃を促したことなどを語り、内ゲバに明け暮れている牧田らの感性から、恐らく、プロパンボンベを片付け、瀕死の雄二をメッタ打ちにしたであろうことを確信したとも云った。何故なら牧田らにとって雄二は、いや、彼等に敵対する☓☓派でありさえすれば誰であっても、憎みて余りある仇敵であり、自殺などという安楽死で、のうのうと自分勝手に死ぬことなど許せないことであり、自分たちの手で殲滅し尽くしてこそ、彼等の云う「政治的評価」が惹き出せるのだ、ということをも研究していたと付け加えた。
 下半身裸体の雄二の有り様には、牧田も面食らっただろうし、警察が来ればすぐその理由も分かってしまうと思いながら、無様な裸体を衆目に晒して、さらに自らの雄二への憎悪を徹底させ、雄二への己の想いを吹っ切ろうとしたのであり、仕方なかったと云った。そして、新聞に書き立てられることを予知して、自殺の証拠を片付け、飽くまで自分たちの襲撃として政治的評価を引き出そうとするであろう、活動家学生の特性を、自分ではうまく利用したつもりだと云った。指紋も残していなければ、精液から確実な血液型も出ない。アリバイ造りも上手くやれた。やはり、あの最後の凌辱が、予定していた破滅を引き出したんですねと、敬次は項垂れた。
「あほんだら!」
急に橘が怒鳴った。先程からの悲しげな瞳の輝きが、怒気を孕んだそれに変わっている。
「おまえは、ほんまに知らんかったんか」
と橘は云った。警部補は何を云おうというのか。敬次は、怒鳴られた驚きからまだ醒めやらぬ目をして、橘の話に耳を傾けた。
「予定していた破滅か何か知らんが、おまえは、それで自殺でもしたらええやろが、それではホトケが浮かばれんわ。わしらも、初めのうちは白石がただの学生やと思とった。しかし、よう調べてみると奴が☓☓派、つまり牧田らに敵対しとるセクトやな、それのかなりの幹部や云うことが分かったんや。しかも、表には出よらん裏組織の構成員やったんや。高校の終り頃から関わり始めとった様子や」
敬次の驚きは衝撃に近かった。
「そんな、そんな」
と繰り返しながら、縋るような目で橘をみつめた。

凛太郎九州行写真、残り二枚か三枚です。
$凛冽の汗