芳江は、出勤の用意を終えて、出かける前に日めくりを捲っておこうと思い立ち、一旦手に提げた弁当の包みを上り框に置いた。2月3日日曜と印刷された薄い紙片を、びりびりと千切り取った。今年になって何度目かの日曜出勤である。感慨じみたものが胸をよぎった。
 新潟県北魚沼郡小出町の町外れにあるセメント工場へ、町中の古ぼけた借家から芳江は毎朝出勤していく。一人息子の敬次が大学に入学し、京都で下宿するようになって家を出てから、それほど長くは経っていなかったが、やはり40歳に手が届きそうになる年では、女一人の淋しさが募った。
 踵の低い通勤用に履き古した靴を揃えて三和土へ降りた途端、勢いよく玄関の戸が開いた。折からの朝日の逆光線を受けてそこに立ったのは、その、京都に居る筈の息子だった。未だ休みでもない筈なのにと怪訝に思いながらも芳江は笑顔になった。嬉々として敬次を迎え入れた。
「どうしたん? まだ休みじゃないだろうに!」
「うん、すぐ春休みだし、もう大した講義もないんだ」
敬次の声は明るかった。去年の春買ってやったばかりの黒い旅行鞄から、土産だと云って宇治茶の缶を出して芳江の前に置いた。
「母ちゃん、電話して休む云うとこうか!」
「いいって、夕方まで待ってるから、会社行ってこいよ!」
そう云って顔を上げた敬次は、どことなく窶れたようで翳りがあった。明るく装っているようでも、何とはなしに疲れきったような様子が気にかかった。そう云えば眼の回りがげっそりと落ち窪んで、黒味を帯びているようにも見える。一人暮らしで、碌に喰うものも喰ってないんだろうと、芳江は息子を不憫に想った。
 結局、芳江は、工場の主任に電話をして休ませてもらい、掘り炬燵を挟んで息子と向かい合った。去年の夏休みには戻ったが、この冬休みには帰っていない敬次だったから、半年ぶりの親子の団欒だった。
 敬次がまだ小学生の時に、父親の宏治は死んでいた。石灰岩を採掘する鉱夫だった父は、発破による事故にあって即死した。会社側の雀の涙ほどの見舞金や労災保険よりも、同僚や労組がカンパして集めてくれた援助の方が多かった。ただ、会社はその後、小学生の息子を抱えて途方に暮れている芳江を見るに見かねて、臨時雇用ながら彼女の職を保障する型にはしたのだった。
 芳江は歯を喰いしばって頑張った。敬次だけが唯一の生き甲斐になった。雨の日も風の日も休むことなく工場へ通った。敬次に父親のない貧しさと引け目を覚えさせたくない、という一徹な芳江の気持ちが、母一人子一人の生活を支えてきた。
 敬次が中学に入る頃から、芳江の生活も少しずつ落ち着いてきて、工場の仕事にもすっかり慣れるようになっていった。ところが、その頃から、敬次の邪悪な翳が芳江を愕然とさせ、心痛の種子にさせた。時折、掃除のために整理する敬次の部屋から、芳江は、何葉かの写真を見つけたのだ。彼女は驚愕した。頭から冷水を浴びせられたような、それでいて妙に悟りきったような気持ちを味わったのだ。人目を憚るようにベッドの敷布団の下に挟まれていたそれらの写真は、性器まで露にした男同士の絡み合いの図だった。

凛太郎九州行写真でーす。
$凛冽の汗