公安・警備の側面から捜査を進めていた中川部長刑事らの班は、その後現れた事件当夜の目撃者の証言から、襲撃グループの一人が、京都D大生で某セクトの幹部、牧田純一であることをつきとめたが、一方、被害者白石雄二の周辺からは、過激派グループとの関連は惹き出せないことも明らかになった。そのことは、事件現場に散乱していた機関誌類に、被害者の指紋が全くなかった事実と符号していた。さらに、現場に残された2・3種の指紋の中に、幾度かの逮捕で登録されている牧田純一の指紋がなかったことも捜査陣を落胆させた。が、公安・警備の係官に云わせれば、牧田らのような過激派が指紋を残さないことは、彼らがほとんど常時、軍手などを填めていることから自明の理であった。
 左京区岩倉の学生アパートで起こった、一見過激派による抗争絡みの殺人事件は、当初の楽観が苦渋の色に変わりつつあった。同アパート居住の学生は、京都興業大学が近いせいか同大学の学生がほとんどであったが、その後の聞込みで、京大生である被害者の白石、白石の友人でやはり京大生の大川という学生、そして、被害者の白石と同郷で私立R大の岩城という学生の三人が、別の大学へ通っていたことが分かった。さらに、この岩城敬次が事件当日から、被害者の白石と同じ新潟県長岡市へ帰っていることが捜査陣を緊張させた。
 風光明媚な鴨川沿いの住宅街を背景に、川面に瀟洒な建物を映している京都府警鴨川警察署に、本庁との合同捜査本部が置かれて二日後、本部は既に、参考人を牧田純一と岩城敬次二人に絞っていた。二日後、組織の合法会議に公然と参加していた牧田純一が本部へ連行された。向かい合ったのは中川部長刑事だったが、峻峭な性格で冷徹な考え方のこの刑事の尋問に、牧田は態度を硬化させた。彼らの常套手段である黙秘が続いた。拘留期限が切れる頃になって、牧田の血液型がA型であり、被害者の体内から検出された体液の血液型と不一致であることが明らかになり、釈放を余儀なくされるかに見えた。しかし、公安から牧田についての過去の傷害事件に関する別件が申告され、検事は拘留延期を許可した。本部としても、別々の犯人による重複した犯行という見方を取り始めた処だった。このまま、牧田を放すことは出来なかった。
 その日の夕方、橘警部補は新潟に向かった。京都発22:57分の寝台特急[きたぐに]のB寝台を、三崎主任が買っておいてくれた。橘には久しぶりの出張だったが、何時間も窮屈な寝台に閉じ込められているのは苦痛だと思った。慣れない汽車旅で眠れそうもないのは分かっていた。しかし、翌朝早くからの強行軍に備えて、少しでも眠っておかないと。そう思って、駅の売店でウィスキーのポケット瓶を買いこんでいた。狭い寝台に胡坐をかいて、ちびり、ちびり舐めているうちに、ほんのりと酔いがまわってきた。

凛太郎九州行写真、あと少しあります。
$凛冽の汗