洛北の冬の朝だった。一面に白く霜の降りたアパートの前の畑地から、身を切るような寒風が吹きつけてくる。鶴見俊三はコートの襟を掻き合わせた。二日酔いで重い頭を何度も手で叩きながら、9号室の自分の部屋を出た。廊下の角を曲がり、共同のトイレと炊事場を突き抜けて、彼の部屋の真裏になる4号室の前を通りかかった。『おやっ!』と鶴見は首をかしげた。この寒いのに鉄製の扉が半開きになっている。何か曰くあり気な様子だった。が、大した危惧もなく部屋を覗き込んだ鶴見は、一瞬息を呑んでその場に立ち尽くした。そして、一目散に管理人室のある崖上へ駆け上がりながら、
「えらいこっちゃ、殺人や!」
と叫んでいた。鶴見の宿酔いのぼやけた頭を殴りつけた4号室の状況は、凄惨を極めていた。ロープでぐるぐる巻きにされ、猿轡を噛まされた学生が、後頭部を血に染めて部屋の中央でうつ伏せに倒れていた。しかも、パジャマらしい夜着をつけているのは上半身だけで、下半身は全くの素っ裸であった。
 下鴨署の初動班が到着して間もなく、本庁から強力犯専門の一課の刑事が現場に到着した。立入禁止の札の掛かったロープをくぐって、大股に歩み入って来たのは、本庁捜査一課でも古顔の、橘警部補であった。少々肥満気味ではあるが、上背があるのでさほど太っているようには見えない。始終にこやかに微笑している顔は、刑事というよりも、表面人が良さそうで実は抜け目のない、金貸しの親爺のようであった。橘は、現場の状況を一瞥してから、部下の田川刑事の方へ声をかけた。
「でんちゃん、こら、おかしな具合やな!」
「そうですな、何で、ほとけは、下半身裸のままで…?」
と、ずんぐりした、あまり特徴のない、従って最も刑事らしい田川刑事が相槌を打った。室内の状況はむしろ、彼らに『畑違いだ』と思わせる材料ばかりであった。近頃の若者の部屋らしく、体臭と化粧品の入り混じったような匂いがしていた。畳の上に四散している新聞や小冊子は、過激派某セクトの機関誌の類であり、三和土から畳の上にまで踏み荒らされた泥だらけの靴跡と、現場に遺棄されていた鉄パイプから、最近頻発している過激派セクト間の抗争による殺人、という見方が最も妥当であったのだ。だとすれば、事件そのものの調査はもちろん一課の担当ではあっても、捜査の主力はむしろ、警備や公安の方であるのだった。そうした状況を唯一打ち消しているのが、被害者、京都大学1年、白石雄二の、下半身裸体という異様な有様であった。

凛太郎九州行写真、添付します。
$凛冽の汗