恒例の春の狂犬病予防注射に行ってきました。フィラリアの薬ももらって…合計2万円…高い~、何とかならないのでしょうか。犬猫病院丸儲け…で、テレビでは依然として災害のニュースが続いています。犬猫病院が悪徳商法に思えてきます。阪神淡路大震災のことに触れた「…歳時記」がありました。人の死ということを考えてみた「…歳時記」でした。


凛冽の汗
進学歳時記 生きる

 みなさんは、人の死というものに出会ったことがありますか。例えば、おじいさんやおばあさんとお別れしたことはありのせんか。私は、祖母を亡くしました。二人の叔母を同じ病で亡くしました。そして、つい最近、長い闘病の果ての老父を亡くしました。出棺のとき、私は泣きました。亡くした人の在りし日のことを思い、周囲の人たちの涙に誘われて身も世もなく声を上げて泣きました。

 阪神淡路大震災のとき、見るも無残な瓦礫の街に近づくにつれ、走る列車の車窓の中でさえ、ぼろぼろ落ちる涙を止められませんでした。

 肉親や家族の不幸なら、同じ日本のそれも隣町の不幸なら、私たちはこんなにもやさしくなれるのです。そしてまた、台湾の震災の様子をテレビの映像で観ても、阪神淡路大震災のことが昨日のことのように思い出されて、目を真っ赤にしてテレビの前で手を合わせるはずなのです。

 わずか六歳で病死していく幼子に、母は怖がらなくてもいいと言い、母さんと一緒に行くから心配ないと諭しますが、死ぬことを知っている幼子は、「ママは死んじゃだめだ。ママが死んだらぼくが生まれないもの」と訴えます。そして、「ママ、ぼくをまた生んでね」と言って去っていきます。

 こんなにも様々な、悲しいことを見ながら、つらいことを聞きながら、私たちは何て鈍感なのでしょう。肉親や家族になら出来るだけのことをするはずなのに、どうして作文の末尾には君の出来ることを書いてくれないのでしょうか。家族の不幸には惜しみなく涙を流す君に、どうして物語の主人公の悲しい思いが読み取れないのでしょうか。

 私たちは、人の死を、不幸を、悲しみを、むだにしない生き方をしているでしょうか。移りゆく世紀のはざまで、そんな学び方が、生き方ができているかどうか、じっと見つめてみてください。


 凛太郎は、今日一日幸せだったと思います。3、4日前から血便が出て、ちょっとゆっくりしているシゲがお休みしましたから、三人水入らずの一日でした。明日からはまた、現実の生活に戻ります。シゲちゃん頑張れ。凛ちゃんガンバレ。