凛太郎がちょっと大人になりました。小さなことですが、少しずつ言うことが分かってきているように思います。噛み癖は直りませんが、端々の行動で成長の証を見せてくれます。さて、七月が来たら一歳です。どうか、立派な黒柴になりますように。
或る高校の先生から、夏の林間学習での出来事を聞いて、私はこんなふうなお説教を授業の中で生徒たちにせざるを得ませんでした。
「君たちが逆に、お母さんに言えばいい。『まだ使える物を何で捨てるの』、『どうして食べ物を残しても叱らないの』、『残飯なんて出さないでよ』と」。
「利己的であるな、一人で生きてるわけじゃない」と、三日間の集団生活を通してその学校の先生たちが口を揃えて指導したその最終日に、生徒たちが示した答は、クーラーの効きが悪いぞとぞんざいに言い募る少年と、心をこめた寄せ書きに暴走族なみの殴り書きをした少年であったそうです。少年たちの幼稚さと自分勝手は全国的な傾向だと、東京の高校で教えておられて、全国の教育事情に明るい別の或る先生はおっしゃいますが、国語の教材を通して生徒と共に利己的な自分の内面を見つめている私には、いかにも辛くかなしい現実でした。子どもたちをそんなふうにしたのは、他ならぬ私たちです。机に縛りつけて家の手伝いなどさせず、すべてが疑似体験でしかないという彼らの成育歴をつくったのは、そしてそれゆえに彼らの精神性を停止させたのは、私たちなのです。
成績や点数は学習の励みにこそなれ、人間の真価を決めるものでは断じてないと、言ってきたつもりのこの塾です。そして言い続けるつもりのこの塾に、どうか力を貸してください。もっともっと子どもたちに体験をさせてください。考えて考えて人間が人間になる道を、子どもたちに示してやってください。大人になるのでなく、人間になる道を。
そうですね、凛太郎も黒柴になるのでなく、犬になるのでもなく、そのうち死に絶えるものになどなるのではなく、生きとし生けるものにこそなってほしいのです。その名に込められたダマとシゲの願い通り、凛として生きていってほしいのです。
