シゲちゃんが帰ってきました。凛太郎大喜びです。跳ねて、跳んで、噛みついてじゃれます。夕べから、水入らずの一晩を過ごしました。


凛冽の汗
進学歳時記 シリーズ14 ニライ・カナイへの道


 夏が逝きます。間もなく炎が下火になって、静かな語りの秋(とき)になります。小さくなってゆく火を囲んで、好きだった人とも、敬遠していた人とも、真剣に真正面から向き合う時間がおとずれます。騒いだり、斜に構えたり、群れになってごまかしていた本音を、歪んでゆく表情とともに吐き出していきます。

 夏、能登島でのキャンプは、最終日の夜のキャンプファイアーでクライマックスを迎えます。一人ひとりが三泊四日のあれこれを振り返り、互いの手を握り合って泣き笑いの時間を過ごします。キャンパーの子どもたちも、カウンセラーの大人たちも、とっても素直で、ピュアな気持ちになる時間です。

 そんなとき、私はじっと、一人ひとりの子どもたちを、支えてきた大人たちを見つめてみます。そして、一つの事実に思いあたって、私自身、襟を正したくなります。キャンプのようなピュアな行事では、自ずからその人柄や性格がガラス張りになります。大人たちの経歴や性格を私はよく知っていますが、その来し方に辛い体験や苦労のあった人は、横柄な物言いをしたり、他人を面罵したりはしないのです。逆に、その人の罪ではないにせよ、ただ普通に生きてきて、何の苦労も知らない人は、ともすれば傲慢な言動をとりがちです。そして何より痛切に思うことは、それらはその人の生活史や家庭環境に由来するものであって、教養や学歴とは何の関係もないということです。

 向き合ってくれた子どもたちも、また、そんなふうに二通りの人間になってゆくのだろうか。あんなにも笑顔のきれいな、キラキラと黒目がとの美しい瞳の子どもたちもまた。そんなふうに思い巡らす私に、何かができると考えることこそ傲慢でしょう。けれど、祈ることは、お父さまやお母さまと共に、せめて祈念することぐらいはできるのではないかと私は思うのです。収穫の秋(とき)を経て、辛酸を糧に越冬した子どもたちが、見事な大輪の華を咲かせることを、私は心から祈っています。


 いくつかの神学歳時記を削除して紹介していますから、少し季節が速まってしまいました。かつて勤めた塾の宣伝や、経営者の傲慢な言辞を省きましたのでこうなってしまいました。ともあれ、凛太郎はそんなことには無頓着に、今も少し陽光のさし始めた裏庭で、あちこち掘り返すのに余念がありません。鼻先を泥だらけにして、かつての生徒たちのように凛太郎は屈託がありません。