毎回、題名をつけるよりも、「凛太郎通信 その1」とします。もう、間もなくネタ切れですし、文字通り今の自分の文章を書いていかなければと思っています。ああ、昨日葉書が来ました。狂犬病の予防注射のお知らせです。ちゃんと「凛太郎」と名前が書かれてありました。いよいよ、凛ちゃんも市民権を得たのですね。


凛冽の汗
進学歳時記 シリーズ12 生きがいとは


 酷暑のグランドも、厳寒のロードも、私には少しも苦にならなかった。むしろ酒も煙草も人並みに嗜む私は、正直なところ持久力に限界を感じていた。でも私は走った。ときには大事な職員会議を抜け出してまで。そこに生徒たちがいたからだ。毎日、一緒に走るのが当然だという、信頼しきった顔つきの生徒たちが、澄んだ瞳をきらきらさせて待っていてくれたからだ。そうしたからといって、私の給料が上がるわけでも、偉くなるわけでもない。ただ、私は、生徒たちの笑顔を見ていたかっただけだったのだ。未だ声変わりのしない甲高い生徒たちの声を聞いていたかっただけだったのだ。そして願わくは大きな大会で、得意そうに優勝の表彰を受ける、ほんとうに嬉しそうな生徒たちの横顔を見たいと思ったのだ。淡々と苦しみの続く、報われることの少ない練習の中で、日々たくましく日灼けし、ひたむきな汗の尊さに気づいていく生徒たちを見るとき、私の心はどれほど晴々と高揚していたことだろう。

 もう二十年余り前の或る日の日記に、陸上部の生徒たちのことをこんなふうに記していた。顧問として出来る限りのことをと、熱っぽく生きていた若い日の私がいた。そしていま、この塾の講師たちもまた、同じ思いでいることに思い至って、何かしら胸が熱くなった。疾走する生徒たちの姿がそのまま、目の前の園生たちに重なる。えらそうに先生ですと教壇に立つ、私の先生は目の前の園生たちだ。いつも大切なことを教えてくれるのは子どもたちなのだ。そして生きがいとは、報酬を求めぬ澄んだ心の中にしか棲まないものなのだということを、子どもたちがその姿で示してくれている。

 根回しもせず乱暴に移植した庭の山桜の木に、今年もかわいい花がついている。寂として、凛として、一刻値千金の春宵が更けていく。


 凛太郎通信その1…ということで、数回前に使った写真をもう一度使いました。大人になった凛太郎の、いちばんいい写真だと思うからです。また、前書きで間もなくネタ切れ、と書きましたが、改めて調べてみると「進学歳時記」はまだ、三十回ぶんぐらいあります。被災地が復興する頃まで、このままいけそうです。そのくらいの早い再建を心から願っています。