今日はお休みで、昼ごろから近くのスーパーへ出掛けました。全員で歩いて往復です。お天気もいいし、凛太郎も元気です。先になり後になり、気ままにリードを引っ張って行きます。帰ってきたらしかし、バタンキューですぐ寝てしまいました。私は還暦過ぎてこんなに歩けることに、感謝です。それほど長距離を歩きましたよ。


凛冽の汗
君たちの作文から シリーズ終 ③

 竜◯くんの作文には、心こめた他者への思いやりがある。自分の好みや桜の観察話ではない。やさしかったおじいちゃんの死と、約束を果たせなかったことでその死をさえ傷つけたのではないかという心配りがある。ここには竜◯くんという個があり、おじいちゃんという生命と真剣に向き合うことで自己の生命のいとおしさ、かけがえのなさに気づいていくみちすじがある。おじいちゃんの「教え」「導き」「躾け」は、作文を無理やり提出させるような在り方とは似て非なるものである。学問を通して自己を鍛える。が、それは戦闘ではない。生命は競い合うためにあるのではない。生命はもっといとおしいものなのだと気づいてくれる生徒の一人でも多いことではないだろうか。灰谷氏の引用には続きがある。


 似たような事件が起こる。/一週間後、入学記念の写真を撮る。ストロボがたかれたために、驚いた江島くんは、また、激しく泣き出す。/写真屋さんは駆けてきていう。/「先生、たいへんショックだったようですね。この子の顎がガクンと上にあがりましたからねェ。」/写真屋さんはしゃがみこんで江島くんに何やら話しはじめる。/やがて機嫌を直した江島くんは、みんなのところに戻るのだが、誰かがいい出して、みんな、肩を組んで写してもらったというのだ。/この二つの事件に触れて、園田さんはこういうのである。/「一人ひとりを診てもらうはずの個人検診で『泣く子は診られない』といったお医者さん。学級の全員を写してもらう集合写真で『たいへんショックだったようです』と駆け寄ってきた写真屋さん。/個人検診で個がだいじにされず、集団撮影で個がだいじにされた今回の二つの出来ごと。/それは、江島くんからぼくに贈られた貴重な示唆なのだと思っている。/あの青年写真家は、集合写真を撮るとき、ファインダーをのぞきながら、いつも一人ひとりの子どもを生かそうとシャッターチャンスをねらっているのだろう、きっと。」

 「子どもの方に向かって歩む一歩を忘れて、子どもを腕ずくで自分のもとに引き寄せてしまおうとする医師・教師……それが子どもの前に立つプロのすることか!」

 「生命というものは競い、競わせるために存在なんかしていない。それは、いとおしいものとしてあり、かけがえのないものとしてある。」

 灰谷さんから教わったこの二つのことばを、いま私は大切にしていく。


 この意味深い灰谷さんの記述を、私は今でも大切にしています。凛太郎という健やかな生命をこの老いた生命もろとも抱きながら。