今日は凛太郎と一緒に家に居ます。ご飯やオシッコの世話はしますが、あまり遊んでやらないので、ケージの中で不貞腐れて寝ています。お陰でこのブログもゆっくり書けます。シメシメ…。


凛冽の汗
君たちの作文から シリーズ終 ①

 長い引用になるが、灰谷健次郎の「優しさとしての教育」という文庫本の中にこんな一節がある。

 園田さんのクラスに江島くんという「障害児」がいる。/耳鼻科の検診のとき、医者の態度におびえて泣き出してしまう。/園田さんは次のようにいう。/「……せつない瞬間だった。限られた時間の中で大勢の子どもを診なければならない医者の大変さは充分理解できる。しかし、入口から泣き続けていた江島くんの姿はお医者さんの目にもとまっていたはずだ。/ふだん、耳が痛くても鼻が痛くても自分でうまく表現することができない江島くんなのだ。そんな彼にとって、今日のような個人検診は、またとない機会なのである。/あの時、最初からお医者さんの方が椅子から立ち上がって、一歩でも二歩でも江島くんに向かって歩んでくれていたら、きっと事態は違っていただろう。/彼は天井の扇風機をじっと見上げて得意になっていた時なのだから…。/ところが、このお医者さんは、そうせずに江島くんの腕をつかんで自分の前へ引き寄せたのだった。そこで江島くんは激しく泣き始めたのだ。『泣く子は診られない。』と、お医者さんは言った。/それは事実と違う。江島くんは泣いたんと違う。お医者さん、アンタが泣かしたンや。/そう思うと、もうぼくはいたたまれない気持ちになった。/実は、ぼく自身が、このお医者さんの姿とオーバーラップしてしまったからだ。/子どもの方に向かって歩む一歩を忘れて、子どもを腕ずくで自分のもとに強引に引き寄せてしまおうとする医師・教師……それが子どもの前に立つプロのすることか!/ぼくも、これまで気づかぬうちにこのようにして幾人もの子どもを胸の内で泣かせてきたのだろう、きっと……。」


 シリーズがもう十四回にもなった、この文章こそそうなのだと思う。無理やりに提出させるシステム遵守、大人の都合のノルマ主義からは、ほんとうの「こころ」は生まれない。私自身、生徒には作文の重要性を説き、月間成績にも算入したりして点数化している。愚かである。全く書かないよりは、何とか書いてほしいがための邪道である。けれど、書いてさえくれたら真剣に向き合う。そういう約束を自らにも課しているつもりである。作文は、私と生徒一人ひとりとの往復書簡である。互いのこころの内を見つめ合う、大切な方途なのである。人間と人間との真剣なキャッチボールなのだ。どんなに大勢の生徒を受け持っていようとも、その一人ひとりと、心をこめてキャッチボールをしたい。投げてこない生徒を叱りつけて無理やり投げさせるよりは、その子の傍まで歩いていってまずボールを手渡す。毎月のクラス通信、折にふれたエッセーを生徒に手渡すのは、そういう思いからなのだ。少なくとも私は、ここ十年以上、生徒に作文提出を無理強いしたことはない。けれども、こうしてシリーズにして紹介できるほど、こころを打つ作文が集まってくる。三百個以上のボールが私目掛けて飛んでくる。受け損なって腹にずしんと食い込むものもあれば、横っ面を直撃する痛いボールもある。初めて見る真新しいボールだけれど、みぞおちの辺りに食い込んだものを紹介してみよう。四月の課題の「桜」の中で唯一私の目頭を熱くさせてくれた作品だ。


 次回、その作文を紹介しましょう。待っていてください。ぼちぼち凛太郎が、ふて寝から起きる頃です。また、オシッコ・ウンチとうるさいかぎりです。待っててやー、凛ちゃん。