今日は朝からポカポカ天気で温かいですね。今冬初の小春日和です。凛太郎も朝から機嫌がいいです。今、これを書いている私の傍で、気持良さそうに寝ています。写真を新たにアップすべきなのですが、カメラが見当たりません。シゲがどこかへ持って行ったのでしょうか。古い写真で辛抱してください。
何よりも嬉しかったのは、かつてこのページで紹介した中三生のY君が、翌月の作文にはっきりと胸の内を書いてくれたことだ。少しとまどい、ちょっぴりブルーになっていた私に、彼は「先生、何勘違いしてんの」って笑って語りかけてくれているようだ。またしても、嬉しいシッペ返し。ありがとうY君。
受験の直前になって今僕が考えていることは、今までの勉強の仕方で本当に良かったのだろうかということです。多分この時期になると誰もが感じることだと思いますが、今の雰囲気が嫌なのです。
この雰囲気は去年の十二月、二学期の終り頃から始まったと思います。どんなことかというと、全てのものに「受験」を関連させることです。何をするにも「受験」を念頭において行うという雰囲気です。この雰囲気はたまらなく嫌いです。
どうしてこんなことになったのですか。誰も好きでやっている訳ではないのに、一体誰のせいでしょうか。以前は「受験」という言葉を意識せずに勉強もできたし、模擬テストも受けられました。それが今では、高得点を取ると白い目で見られます。
「勉強できる奴はいいよなあ。」
とか、
「お前は俺たちとは違うもんな。」
などという声が聞こえてきます。時には、少しばかりできるからといって特別扱いされたりします。いつから友達は敵になってしまったのか、受験戦争というものを初めて知った思いです。
原因を考えてみると、多分、自分の勉強の仕方ではないかと思います。今まで一人で合格への階段を駆け上がってきました。振り返って遅れている友達を引き上げることもせずに。心の中に友達を信じる心がなくなったときどうなるか、考えてなかったと思います。
あまりに一人で急ぎすぎたことを後悔していますが、僕は決して特異な人間ではないはずです。(洛星を受けると言うと、何か特別の目で見られますが)、どこを受験しようと、テストで何番であろうと、「すごいなあ」と言われることがいちばんの苦痛です。今、いちばん求めているものは、皆と一緒であることの確かな証拠かも知れません。
早くこの、一人ひとりが自分の殻に閉じこもった雰囲気をなくしてほしいと思います。◯◯の授業なんて最たる物です。でも、国語の授業には必ず出ます。このような雰囲気を忘れられる唯一の授業として。(その授業でも最近、受験の話が多くなってきましたが。)
変わってはいけないのだ。「頑張ってきた自分を信じて、自信を持って」なんて、彼らを励ますべき私が、ふらふらと動揺してはいけないのだ。巣立ちゆく若い彼らから、そう教えられた不甲斐ない私だ。けれど、またそうやって、同じとまどいを、試行錯誤を繰り返しながら、ともかくも一つだけ確かなことは、まだ当分彼らと一緒に歩いていけると言うこと。そう信じたい。
あれから、二十年になるでしょうか。今、たった一人(一匹)の凛太郎という幼い魂を、私は持て余しています。いや、共に成長していけばいいんだと信じて、ともかくもこの足で歩いていきます。
