ようやく写真に写ってくれました。今までにも、何度もこういう仕草はしていたのですが、今日やっと写真に撮ることができました。凛太郎は実は、おふざけ好きなお茶目な柴犬なんですよ。


凛冽の汗
君たちの作文から シリーズ7 ①

 母が言う。

「賢い人と遊びや。そうせな、あんたにとって全く進歩ないで。」と。

 僕のことを思ってのことなのだろうが、そんなことを言う。でも、何か、許せないような言葉だ。確かに、賢い人と遊べば、いろんなことを学べるだろう。でも、ひどい。母が偏見の目で友達をみているのだ。僕が言うのも変だけど、母は、優しくていい人だ。友達を家に呼んだときは、快く迎えてくれる。それなのに、そんなことを言うなんて。そのことで、この前、もめたことがあった。

「今日、来た子、賢いんか? あんたより賢くないんやろ。なんで、もっと賢い子と遊ばへんの。それではアカンわ……」

一瞬、ムカッときた。プッツンした感じだった。だから僕は、

「うるさい! 友達と遊んだら、なんでアカンねん。なんで、そんなこと言うんや。ひどすぎる。」

 母に対して、きたない言葉を使い、反省している。ここまで大きくしてくれたのに、なんてバカなことを言ったんだろう、そう思う。一瞬、冷静さがなくなり、カッとしてしまった。いつもの自分とちがうような出来事だった。母も怒ったらしく、しばらく口をきかなかった。

「だから、いつまでたっても頭悪いんや。」

と聞こえてきたりもした。腹もたったけど、やっぱり自分が悪いんだと思った。成績も良くないし……。少し考えた。友達を、もっと賢い人に……。いや、みんな仲間だ。友達だ。だから、いろいろな人と遊ぶ。みんな、いいところ持ってるし、それでいいと思う。友達というのを意識し始めた。けど、そんなの関係ない。人を意識して遊んでいたら、心の狭い、人間関係の貧弱な人になると思う。母を見返すつもりで、そして自分のためにも勉強を頑張ろうと思った。

 次の日、母のほうから、

「昨日はゴメンね。お母さんがまちがってた。」と言って謝ってくれた。僕は照れくさくて、何も言えなかった。

 友達ほど大切なものはない。だから、今のうちに、たくさんの人とめぐり会いたいと思う。そして、心の広い人になりたい。


 お母さんに迷惑がかかるだろうから、名前は伏せておこう。一年生の頃から、上手な作文を書く彼だった。ただ、その巧みさには、表面を繕うようなところがあった。いわば、優等生のそれだった。いま、一年以上、作文を通した彼との心の遣り取りの中で、彼は確実に変貌を遂げつつある。お母さんがおっしゃるように「いつまでも頭の悪い」彼ではない。それ以上に心の美しい、硝子細工のような魂を持った、やさしい彼なのだ。二年生になって彼は、「先生の心の中に入ってもいいですか。」と思わず私が戸惑うような好意に溢れたことばを綴ってくれた。そうやって少しずつ本来の自分を見つけ始めたことが、既に互いの心を交流させていることに他ならないのだというような意味のことを、私は心こめて講評に書き綴った。お母さん、彼は既に「賢い」ということばの意味を十分知っているのかもしれませんよ。そして、友を思って千々に心惑う彼のやさしい感性を、お母さんもまた心から慈しんでくださっていますね。ありがとうございます。彼のようなすばらしい少年を育ててくださったお母さんに、私がこうして言い募るべき何事もない。


 写真が小さいので見にくいかもしれませんね。大きくして見ていただけると、リードを鼻にひっかけて、ふざけている凛太郎がよくわかります。件の少年も、実はそんな中学生でした。だから、やさしく、心に沁みるような彼でした。