あけおめ 二日です。我々と凛太郎は、することがなくてデレーとしています。もう一着、買った服を着て澄ましている凛太郎です。私は60歳、シゲは41歳、凛太郎は0.5歳です。何か書いてることもデレーとしていますね。
しかめっ面の自分が嫌になるとき、周五郎の滑稽ものを愛読する。気の塞がるようなことがあったとき、まだ元気いっぱいの母と縄のれんで待ち合わせ、興が乗ればカラオケボックスにも繰り出す。戦時中、慰問団の歌手としてあちこち回っていた母は、確かに歌が上手い。その薫陶あってか、私もまた軍歌なつメロからニューミュージックまで、歌に関しては器用であると思っている。学生時代、某レコード会社のオーデションを受けたのだと言っても誰も本気にしないが。閑話休題、私たち大人はそうやって酒やカラオケでストレスを解消できる。子どもたちはどうだろう。現代の中高生の方が、暇な大人よりはずっとストレスがひどい筈である。春三月、同窓会が様変わりしてきた。去年あたりから、会合のあと、カラオケに流れる卒業生が多くなった。彼らもまた、そうやってセルフコントロールに務めているのだと思う。
カラオケを退廃だとか享楽だとか言うのはよそう。「楽しければいいじゃないか。」という発想からではない。そうした自己操縦が、むしろ私たちの日常、理不尽と矛盾に満ちた毎日の、放置すれば崩れてしまう破滅を制御しているのだとしたら、これほど健康で手軽な自律機能はない。それとちょうど同じものが、子どもたちのファミコンや漫画雑誌への耽溺だとはしかし言いたくない。子どもたちはもっと奔放な筈だ。その本性の中に楽天性を持ち、自在に滑稽な遊びを造りだしていく天性がある。勉強のみならず遊びまでも、既製品を強制してしまった大人たちの罪は重い。暗澹とした思いになる前に、どっこい生きてる彼らの本性を見直してみよう。教室ではむっつりと一言も喋らない生徒が、世界の悲哀を一身に背負ったような顔つきの生徒が、実は受験勉強なんかものともしない明朗さと、たけだけしい笑いをまき散らすゲリラ戦士であることを、救われるような思いで見つめてみようではないか。
無題 中学三年 大隅 ◯志
去年の十二月の終りぐらいから、押入れで寝ることにしている。理由はあるようでない。そこでまたしつこいようだが、独自の法則を生み出した。(筆者注…前回の作文で父の給料日と冷蔵庫の中身について相関関係を法則化し、給料日前になると髪の毛無茶苦茶の母親の似顔絵つきで笑わせてくれた)僕の将来の夢はエジソンみたいな人になることなので、この再度の法則発見が嬉しいような悲しいような、ダスキン呼ぶなら100番100番。あの百歳のばあちゃんら、いい歳して金稼いでる。うらやましい。さらにはCDデビューまで行った。
話を戻す。押入れの寝心地は悪い。でも約一か月そうしている。あほかもしれない。あほやないソースやでーっていうCMがあったが、あれはなかなか面白い。役一か月続くというのは、押入れに魅力があるからかもしれない。布団を突っ込んでぐちゃぐちゃにして寝るのがよい。前置きはここまでにして中身に入る。
僕が押入れに入り、眠りの世界へと第一歩を踏み出すとき、それほど窮屈だとは感じない。これを図式化してみる。(筆者注…押入れらしい長方形があり中に人がたがあって、夜は空間に余裕があるが、翌朝には頭と足とがぴったし壁にくっついている。)
朝、新聞配達のおばちゃんのボロっちいバイクの音が、眠りの世界から僕を呼び起こす。ここで一句。
腹が立つ ばばあのバイク やかましい
熱のこもった俳句である。朝、起きると同時に僕は窮屈さを感じた。フム、これはオイラの法則no.2として考えられる。夜より朝の方が背が高いという法則を、大隅が生み出し、実験し、証明をした。エジソンが近くなったと思った。
(付け足し)三学期の身体測定で伸長と座高の伸びを測ったら、すごいことが判明した。伸長が3ミリ伸びたのに対し座高は5ミリ伸びた。僕の下半身は縮んできている。そのうち野口五郎みたいになるのではないだろうか。
なつかしいCMや野口五郎が出てきますから、いつごろの作文かはお分かりかと思います。もうこの大隅君も、いいおっさんになっていることでしょう。そう思えば、これほどの時間が経過すれば、凛太郎はもういなくなって、私もこの世の人ではないでしょうね。シゲだけが、遺志を継いで、このブログを書いてくれているかもしれません。みなさん、それまでよろしくお願いします。
