明けましておめでとうございます。凛太郎もシゲも私も元気です。今年もがんばって、「凛冽の汗」を発信していきますので、どうぞよろしくお願いいたします。あちこちに雪が残る宇治の街で、大晦日は宇治上神社へ、二人と一匹でお詣りにいきました。犬は入ったらダメと言われて、シゲはブーブー不満そうでしたが、こんな服着た凛太郎は楽しそうについてきました。


凛冽の汗
君たちの作文から シリーズ3 ①

十年後の私   中学二年 大沢 ◯子

 小さい頃から怖がりだった。『トム・ソーヤの冒険』というテレビマンガを見ながら、悪者のインジャンジョーが怖くて怖くて、布団を被って見ていたのを覚えている。そんな頃は小学生三、四年の人がすごく大きく見えたし、怖いものなんてなさそうに思えた。でも、実際私が四年生になったときでも、全然変わってはいなかった。人間は、自分と顔、体つきのまるで同じような人、三人と会うと死ぬと聞いたことがあった。ちょうど四年生ぐらいのとき、朝、集団登校をしていたら、向こうから車が来た。何気なく車の中を見ると、父だと思うくらい、父とそっくりな人が乗っていて、「やばい!」と思ったことがある。父にこの人を会わせたらあかん、と思って怖くて生きた心地がしなかった。五年生ぐらいのときだって、中学生ってなんて大人なんだろう、と思っていた。しかし、今だって、「◯◯さんが手術しはって……。」と聞くだけで「やめて、怖いから……。」などと言い、全然大人になった気がしないのだ。大人になんてなれないのではないかという気もしてくる。

 最近風邪をひいた。ミニ弁論大会の作文を書いた日から、熱が三十八度を越した。次の日も熱は続いたのに、「明日は学校行く。」と言いだし、母の見ていない所でシャワーを浴び顔を洗ったもんだから、熱は三十九度を越してしまった。母には迷惑をかけたくないと思いながらも、「何か食べたいものある?」と母に聞かれると「お寿司とジョリマダムの焼きプリン。」などと口走っていた。

 こんな私だから十年後、石にでも蹴躓いて死んでいるかもしれない。(たとえブルドーザーに轢かれてもあんたは死にそうにない、と家族、知人は声を揃えて言うが…。)

 言いたいことは一つ。人に迷惑をかけないよう一歩一歩、歩いていけば、十年後も、今と変わらず、いやもっと怖がりで泣き虫で、わがままで、ええかっこしいで……。だけど青春していられるだろう。


 「達者な作文」である。かぎ括弧で括ったのは言外に含みがあるからで、決して皮肉ってる訳ではない。ここには正統派の「含み笑い」がある。思わず頬の緩む文章には、自ずから確かな余裕が感じられる。「笑み」はその余裕から湧いてくる。芯のしっかりした、聡明な生徒である。無償の仕事に惜しみなく自分を持ち出して励む生徒でもある。決して不用意な生き方はしていないのだ。人の悩まないことを煩悶し、人の見ていないものを凝視している。繊細でやさしい少女である。

 生き方はそのまま、その人の書くものに表れる。読み手を微笑ませるような文章をものせる人は、漱石の「猫」を挙げるまでもなく、闊達で聡明な人である。


 私も闊達に生きたいと思います。しかし、如何せん聡明ではないものですから、ときにベタベタとしてしまいます。そういう意味では、凛太郎が私の先生なんですね。彼はいつも溌剌として生きています。ほら、今も……もう、そんな所でゴロゴロ不貞寝してばかりで、こりゃー、凛太郎!