ぼちぼち凛太郎の歯が抜けだしました。五ヶ月になりますから当然なのですが、抜けたときはやはり痛いのか、機嫌の悪いことこの上なしで、ご飯も食べないし、水も飲まない始末です。今も、私の座っている椅子の脚をガリガリやっています。また、次の歯が抜けたら痛いくせに、ガリガリ・ガジガジやっています。

凛冽の汗
うたに寄せて シリーズ3の②

 僕達の進軍

ルルルル……うすもやに包まれて 何も見えなくなる

そんな日が 誰にでも一度はある 一度はある

ルルルル……立ち止まり振りむいて 呼びかけてみても

思い出は ちぎれ雲さまよい飛ぶ さまよい飛ぶ

ラララ……気がつけば遠くから 足音が聞こえる

さわやかな轟は 子供らの歌だ 子供らの歌だ

ラララ……ためらいもとまどいも 疑うこともなく

足並みも 足どりも思いのままに 思いのままに

ラララ……時をうつ鐘の音を はるか通りぬけて

透き通る歌声が 今僕をおおう 今僕をおおう

ラララ……うすもやに包まれて 何も見えなくなる

そんな日に なつかしい子供らの歌が 子供らの歌が

ラララ……

 強い雨足にとまどいながら、興福寺への石段を登った。聳え立つ五重塔の足下で、蕭々と雨に濡れそぼって、鹿の群れが草を食んでいる。二年ぶりの宝物館は、高い湿度のために息苦しいほど蒸し暑かった。もちいどの通りから足早に歩いてきて、全身から汗が吹き出している。真っ直ぐに阿修羅像の前へ行った。八部衆のうちの三体が南側のケースに並んでいて、沙伽羅の右、ケースの中央に阿修羅は立っている。

 凝視する。その哀しげにひそめた眉根のあたりをじっとみつめる。二分、三分……流れる汗を拭うこともせず、阿修羅に向き合った。理不尽な叱責に驚いて目を瞠り、やがて俯いてしまう君たちが、かなしそうに眉根を寄せた数多くの生徒たちが、次々と目の裏に浮かんできては、目前の少年神阿修羅に重なる。語りかけている。つらいだろう、苦しいだろう。快活に飛び廻り、自在に走り廻りたいのをこらえて、やりたいことを我慢して、そんなにもひたむきに机に向かう君たちよ。未だうなじ清く、おとがい幼い、十四や十五の君たちなのにと、ひとり合点に語りかけていた。

 傍らに立った人の白いシャツがケースの硝子に映って、はっと我に返ると、頬のあたりには、汗とも涙ともつかぬものが流れていた。手の甲で押し拭って、照れたようにぐいっと顎を上げ、沙伽羅の方へ移動する。雨は未だ激しく降っている。七月四日、授業のない木曜日に雨の奈良で先生は、授業のために並んだ君たちの幻を見ていた。またひとり合点の涙をにじませながら、君たちの歓声を聴いていた。そして、君たちのおかげで、何とかここまで歩いて来ることのできた今の先生を、既に大学を卒えるはずのかつての女の子たちが、にっこり笑って許してくれそうな気がした。合歓の木の赤い花が、そぼ降る雨の中で色鮮やかな奈良のみ寺にて。

  雨が降り時が流れて

高原をゆく 子馬たちよ まどやかにそして強く駆けて行くんだ

目かくしされた 馬車馬の 親たちをあわれみながら 追い越して行くんだ

雨がふり 時が流れて 忘れ物をせぬうちに

今年生まれた 渡り鳥よ まどやかにそして強く翔けて行くんだ

同じ旅路に あきもせぬ 親たちをあわれみながら 追い越して行くんだ

雨がふり 時が流れて 忘れ物をせぬうちに

(今回の歌はすべて 小椋 佳のアルバムより)


 ほら、見てください。前の歯が一本欠けているでしょう。しかし、これでやっと私たちの手も傷だらけにならずに済みます。今はもう、四十路に近くなっている、あの女の子たちもそうなんでしょうか。今度は、自分の子どもの鋭い乳歯に気をつけなければいけないときなんでしょうか。