今日、クリスマスツリーのイルミネーションを出しました。暗い部屋で光り輝くツリーに、凛太郎は狂喜乱舞しましたが、早速カミカミしに近づいて行きましたので、高い所へ避難させました。今、私の横でスヤスヤ眠っています。デジカメの附属品は、明日シゲがヨドバシカメラに買いに行くそうです。
子供らの明日
言うことが多すぎて 何も言えないとき 自分で嘘をついて 少しも気づかないとき
子供らの明日は未来で 私達の明日が ただの別の日で
閉じ込められた 路地裏さえも 子供らの舞台はまわる
待つことが多すぎて 何も見えないとき 夕暮れに寄りかかり 心寒いとき
子供らの明日は未来で 私達の明日が ただの別の日で
祭りの音に 太鼓 笛の音 子供らの心は踊る
知ることが多すぎて 何も知らないとき 時間がまた過ぎて 自分は進まないとき
子供らの明日は未来で 私達の明日が ただの別の日で
言葉を知らぬ幼な子さえも 数え唄 手を打ち唄う
(小椋 佳)
誤解を招くような文章をプリントにした先生がいけなかったのだ。そう、もう七、八年も前のことだ。先生はまだ若かった。その月の「凛冽の汗」の内容は、塾通いの少年を皮肉な調子で批判したものであった。当時、長岡校中二特進の女の子たちが、それを自分たちのことだと勘違いして、先生に抗議の作文を寄越した。先生は裏切り者だと、怒りと悲しみと不信が叩きつけられてあった。先生にそのつもりはなかった。こうあってほしくない人物像を描いたつもりだった。次の週の授業をつぶして討論にあてた。が、女の子たちは泣くばかりで埒があかなかった。男子生徒は先生を支持した。プリントの文章には何ら問題はないと回答した。それで先生は強気になり、増長し、翌月の「通信」を休刊にして徹底抗戦の構えをとった。女の子たちの方から折れてきた。月の作文を通して、自分たちに誤解があったと書いてきた。けれど卒園まで、彼女らとの気まずい心のしこりは拭い去ることができなかった。
一年経ち、二年経ち、先生はそのときの自分が見えてくるにつれて、自分を憎み、自分を殴りつけたくなった。素直に非を認めて折れるべきは、頭を下げて謝るべきは先生の方だったのだ。そして先生は、灰谷さんの作品に出会う。読むごとに砂を噛むような後悔にうちのめされ、いよいよ自分が許せなくなる。やがて、また先生は過ちを犯す。そして今度は、五条校中三特進のみんなの前で、「ごめんなさい」と頭をさげることができた。そのことを二年前、この欄に書くと、大人たちから指弾を受け、権威の失墜だと批判された。が、先生は、一旦掴み得た真実を手放そうとは思わなかった。五十歳になろうと六十歳になろうと、自分に非があれば君たちに手をついて謝りたいと思った。君たちは笞で叩いて脅しすかすべき「子供ら」でもなければ、「教え導いてやる」べき若輩者でもない。君たちはむしろ先生にとって、自らの増長と傲慢を戒めてくれる若き師であり、同じ時代を共に生き、共に創り出していく、すばらしい友なのだから。
同じ思いを今、凛太郎に対して抱いていることは、これまでのブログで綴ってきました。まさに、いま、我以外皆師なり、の心境です。
