シゲを迎えに京都市内まで行きました。車の中でもう、やりたい放題の凛太郎です。ちょっとコンビニに寄ってトイレ休憩している間に、あらゆる所を噛み放題。一応高級車なんですが、既にボロ車になってしまいそうです。


凛冽の汗
うたに寄せて シリーズ2の①

   西の空だけが

ああ 或る日 見えてくる とてつもなく 高い高い

塀の中で 走り廻る ぼくら

ああ 丸い 輪を描いて おしくらまんじゅう 汗にかすむ

塀の色は あざわらいの ぼくら

まるで空だけが 西の空だけが

かすかに 憧れ色を 見せているようだ

 小椋 佳「ほんの二つで死んでゆく」より


 高校三年生の夏、A君はまだ十八歳にもなっていなかった。和歌山県の温泉町、白浜の三段壁から、彼は西の海に向かって飛翔した。当時、A君とは面識のない高校一年生だった先生には、その葬儀に参列する術もなかった。ただ、学校じゅうに伝播されたひとつのストーリーは、今も昨日のことのように覚えている。

 誠実に、受験勉強に励んでいたA君が、或る日、古文の教科書を手に、職員室の若い国語の教師のもとへ質問をしに行った。教師はまともに話を聞きもせず、「お前『虎』持っとるやろ。『虎』見たらええやないか。」とにべもなく言った。それが初めてではなかった。以前からA君は親友のS君に、「俺ら、間違うた高校来たみたいやな。」と呟いていた。校長は、教育者ではなく幇間であった。◯◯モデル校指定、研究授業指定校、設備の拡充、斬新なデザインの制服、そんな外見ばかりに躍起になって、教育委員会や自治体に取り入ろうとしていた。

 葬儀の日、A君の棺に触れようとした校長に、棺の傍に付いて離れなかったS君が突進した。

「さわるな!」

と絶叫し、ぼろぼろ涙をこぼして校長を押し戻そうとした。A君のお父さんはS君を取りおさえながらも、「よう言うてくれた。」といっしょに泣いたという。泣いて二人で、A君の棺に稲の穂を入れた。早稲田志望だったA君のために、棺いっぱいの早稲を入れたという。

 そして、まだそんな葬儀の様子を生徒のほとんどが知らない翌日の英語の授業中、クリスチャンの女性教師がA君の自殺に触れ、

「自殺はいけない。自殺するのは弱い人間だ。」

と発言した。先生と何人かの級友が、憤然と席を蹴って教室を出た。炎暑のグランドをあてもなく歩いた。誰も口をきこうとしなかった。先生は涙ぐんでいた。この日を境に先生は変化していく。

 今の先生には、クリスチャンの信条はわかる。が、あの時、彼女はその信条を生徒に強いるべきではなかった。死者を鞭打つ教師という人種、きれいな手をした口だけの妖怪に、拭いがたい不信を持ったその日を、先生は今も忘れてはいない。


 その私が中学生に向き合って来たのですから、人生というのは不可解ですね。そして、自死ということを決してしない凛太郎が、今、シゲに叱られて二階へ逃げて来て、私の傍で寝ています。A君の、そして私より早く逝った生徒たちの生まれ変わりかも知れません。そう思うと、凛太郎の寝顔が、この上なく愛らしく見えてきます。