今日もお留守番でした。しかし、凛太郎は喜んで帰宅した私を迎えてくれました。もう、自分のペースができているのですね。もちろん、その後は噛み魔凛太郎になりますが。
退職の日
公園のDー51は/退職したあと/ほんのわずかばかりのレールをもらって/もう/動かなくなった
父は特別他人と違った生き方をしてきた訳ではない
ただ黙々と/むしろ平凡に/歩いてきたのだ
戦争のさなかに青春をすり減らし/不幸にも生き残った彼は
だから生きることも/それに遊ぶことも/あまり上手ではなかった
そういう彼をぼくも一度は疑い/否定することで大人になった気がした
けれど
男の重さを世間に教えられて/自分の軽さを他人に教えられて
振り向いて/改めて彼をみつめたら/やはり何も答えぬ不器用な背中
退職の朝、彼はいつもと変わらずに母のこさえた弁当を持って
じれったいぐらいあたり前に/家を出ていった
母が特別幸せな生き方をしてきたとも思えない
ただあの人と長い道を歩いてきたから
何時もとちがって彼の帰りを待ち受けて/玄関先でありがとうと言った
長い間ごくろう様と改まって手をついた
そういう彼女の芝居じみた仕草を/笑う程ぼくはスれてなかった様で
そして
二人が急に老人になった気がして/うろたえる自分が妙に可笑しくて
おとうさん/おかあさんなんて懐かしい/呼び方をふいに思い出したりして
父は特別いつもと変わらずに静かに靴を脱いだあと
ぼくを見上げて照れた様に/ほんの少し笑った
公園のDー51は/愛する子供たちの/胸の中でいつでも力強く/山道をかけ登っている
白い煙を吐いて/力強く/いつまでも/いつまでも
(さだ まさし・LP「夢の轍」より)
母が三十五年間働き続けた造船所の事務員を退いたのは、もう十五年も以前のことだ。思想だとか主義だとかを口にして、好き勝手なことをしていた先生が、ようやく自分の手で自分の口を濡らさねばならぬことに思い至っておちついた頃だ。大阪の下町の長屋の端っこの家を処分し、宇治の今の家を建てて、祖母と三人で移り住むことになった。そんなとき、たまたま買って聴いたさだまさしのLPレコードに入っていたこの曲の歌詞は、先生を苦笑させ狼狽させた。
小学校二年生から父を知らない先生には、この歌の「父」がぴったりと母に重なるのだ。母はこういうふうに、この歌詞の通りに生きてきた。但し、自分でこさえた弁当を持って毎朝出勤したわけで、気負いも何もなく父親の役目をも演じていた母が哀しい。
メロディーを覚えて、ギターを弾きながら歌ってみた。段々と頭が前に垂れて、苦いものが胸底からこみ上げてくる。涙ではない。むしろ砂を噛むような自己嫌悪であり、自らの過誤を言い当てられた羞恥であったろう。
「そういう彼女をぼくも一度は疑い否定することで大人になった気がしたけれど/人が生きるということの重さを世間に教えられ/自分の来し方の軽さを他人に教えられて/振り向いて改めて彼女をみつめたら……」
かなわないな。負けだなと思ったのだ。ひとつことを誠実に、ひたむきにやり続けることを、先生が身をもって実践できるようになったのはそれ以降であったかもしれない。
祖母と母。すばらしい人生の師がすぐ身近にあったことに、今、先生は涙をにじませている。
その母も今は亡き人です。脳溢血で逝った祖母。胆管癌で逝去した母。私は祖母に似た体質です。恐らく祖母のように逝くでしょう。二人ともちょうど同じ享年七十七。私は、それまで生きるでしょうか。きっと、長生きした凛太郎と同じくらいに死ぬのじゃないかと思っています。あと、十年ほどですね……。
