凛太郎の様子が変です。この頃、私たちの脚にしがみついて、腰を前後に振るのです。反抗も激しいですし、狂気の唸り声も出すのです。もう、これは思春期、反抗期がきたとしか言いようがありません。
「……やめられるはずはなかった。僕の聞いていたのはPUNKとSLASHで、いわゆるうるさく休みのない音楽であった。大人におこられた時、腹が立った時、つまり心に傷がついた時に聞いていたものであった。音楽に心のやすらぎを求めたわけではなく、ただその傷に気づきたくなかっただけであった。今、考えるとそう思える。それをやめた今、すべての傷がさらけ出された。二、三日で発狂しそうになった……。それが今から一か月前のことである。
今、おちついてきて、ごまかさずに自分を見つめることができるようになった。もちろん傷をつけた大人のことはうらんでいない。今、なんとなくうれしい……。
最後に、僕の気に入っていたBANDの歌の歌詞の一部を書いておきたいと思う。
少年のうた
先生達は僕を、不安にするけど それほど大切な言葉はなかった。
…………
誰のこともうらんじゃいないよ
ただ大人達にほめられるような
バカにはなりたくない……。」
行間に秘められた潔癖がわかるだろうか。未だ和毛も生え揃わぬ少年の頬をつたう涙が見えるだろうか。そして投げかけることばの鋭さとは裏腹な、心にしみるような彼のやさしさを感得できるだろうか。「大人たち」と吐き捨てるように言う彼に、どう向き合っていいかわからず、戸惑いながら私はこんな講評を書く。
「傷つくのく俊◯だけじゃない。哀しいのはおまえだけじゃない。みんなが傷つけ合って生きている。ほんとは誰もがやさしいのに。先生だって同じことをやってるんだ。ギターを弾いて歌い始める。でも涙で歌詞が読めなくなって、声がつまって唄えなくなって。自分こそ憎い。自分がいちばん愚かだ。だから、ほめたりするんじゃなく、黙って愛していたい、俊◯たちを。」
俊◯は、受験を控えた学校の道徳の授業で、魯迅の「小さな出来事」を学んだことを、十二月分の作文に書いている。
「『受験をひかえていることはわかっているけど、今の君たちには優しさが足りないと思う。私はこの話で君たちに…自分の利害をこえて他人を思いやる心…というものをわかってほしい。』
先生は僕たちにそう言われ、一枚の感想用紙を配られた。僕はそれにこう書いた。
『だいたい、受験戦争をつくったのは僕たちじゃない。今、他人を思いやるのは無理だ。』
書いた後、すぐに後悔して消した。そして、ここまで心が病んでいたのかと思い、受験に対して恐怖を感じた。」
俊◯は受験と戦争の酷似を書き加え、友をライバルと言い換えることの偽善を指弾する。大人社会への拭い難い不信、追い込まれてゆく自らの無力への哀しみを、「だから、あと少し、なにもかもあと少しなんだ……。」と呟くことで癒そうとする。まるで傷ついた仔犬がチロチロと小さな舌で、傷口の汚れを舐めるように。
俊◯の哀しみは、いつも、友を思うやさしさと共にある。「いちばん言いたかったことは、今まで仲よくしてきた友人たちと、突然戦わなくてはならないことだ。そして、そう仕向けられていたことに誰も気づかなかったということだ。」と大人たちに糺しながら、学校での級友同士の喧嘩を静かに戒める。仲裁の是非を自問自答して、こんなふうにまとめている。
「……殴り合えばいいんだと思う。血を流せばいいんだと思う。本当はこんなことを書いてはいけないんだろう。しかし、僕は彼らを憎んでこんなことを言っているんじゃない。ただ、僕は、友達を失ってほしくないだけだ。一人ひとりの友達を大切にしてほしいだけだ。もうすぐ僕達は卒業する。みんな別れる。だから、憎み合うことなどやめてほしい。だから、すべてを大切にしたい。そして、大切にしてほしい。」
ほら、やっぱり階下では事件発生です。シゲと凛太郎が喧嘩したようです。凛太郎は、庭に放り出されたようです。寒空の下で、ちょっと頭を冷やしたらいいと思います。イッチョ前に思春期の凛太郎よ。そして、ほんとうはやさしい凛太郎よ。
