今日もお留守番でした。ところで、かつてボクサー犬を飼っていた頃、その賢さに感心していましたが、柴犬・凛太郎にも感心するときはあります。我々が食事を始めると、傍に来てちょこんと坐り、悲しそうな顔でじっと待っているのです。ウンともスンとも言わずにただ、待っています。ボクサー犬は、タラーと涎を垂らして待っていましたが、凛太郎の方がその名の通り、凛としているぶん好感が持てるというのは、私たちの贔屓目でしょうか。
それはながい間 私たち女のまえに いつも置かれてあったもの、
自分の力にかなう ほどよい大きさの鍋や
お米がぷつぷつとふくらんで 光り出すのに都合のいい釜や
劫初からうけつがれた火のほてりの前には
母や、祖母や、またその母たちがいつも居た。
その人たちは どれほどの愛や誠実の分量を
これらの器物にそそぎ入れたことだろう、
ある時はそれが赤いにんじんだったり、くろい昆布だったり
たたきつぶされた魚だったり
台所では いつも正確に朝昼晩への用意がなされ
用意のまえにはいつも幾たりかの あたたかい膝や手が並んでいた
ああその並ぶべきいくたりかの人がなくて
どうして女がいそいそと炊事など繰り返せたろう
それはたゆみないいつくしみ
無意識なまでに日常化した奉仕の姿。
炊事が奇しくも分けられた 女の役目であったのは
不幸なこととは思われない
そのために知識や、世間での地位が たちおくれたとしても
おそくはない
私たちの前にあるものは 鍋とお釜と、燃える火と
それらなつかしい器物の前で お芋や、肉を料理するように
深い思いをこめて 政治や経済や文学も勉強しよう、
それはおごりや栄達のためでなく
全部が
人間のために供せられるように
全部が愛情の対象あって励むように
ー石垣りん「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」
この詩を何度も繰り返し味わうとき、私は文学の仕事の大切さを思う。そしてそれ以上に、教育の使命の重さに背筋を正したくなる。女性解放やウーマンリブの陣営に居たこともある私が、そこですっかり見落としていたものを、この詩に出会うことで気づいたと言ってもいい。そして、お母さんたちが、この詩の中の母のこころを取り戻すことで、ことばではなくその背中で、子どもたちを育んでくれればと思うのだ。
そして、私たち教師も、ティーチングマシーンでは断じてなく、少なくともこの塾ではみな人生の師でありたい。その上で、子どもたちと共に真実をみつめていきたい。テキストには決して載っていないことを、康生君はエアメールの末尾に淡々と書きまとめている。
「ステイして三月目ぐらいのある夜、おばさんと結構しんみりした話になりました。僕がもともと東京に居て、京都に引っ越したと言うと、おばさんは『じゃ、エンペラーに会ったことあるのね。どんな恰好してた? やさしい人だった?』と聞いてきて、思わず吹き出してしまいました。その後、東洋を旅行したいという話になって、京都のことなんか、まずい英語で話しました。ぼくが『いちばん行きたい国はどこですか。』と尋ねると、おばさんは『ベトナム』と答えました。そしておばさんは言いました。『スティーブとジョン、二人息子がいたけど、二人ともベトナムで死んだのよ。生きていれば今年、四十四歳と四十一歳になるわ。』ぼくは、その後、しばらく何も言えませんでした。」
一九九〇年十二月、卒園生の康生君がホームステイしている、その先の母は、二人の息子を二人ともベトナム戦争でなくしている。日本の中学や高校の社会科では、そんなことを授業中に教えてはくれない。
もう階下では、凛太郎は眠っているでしょう。その夢の中で、私よりも年上のスティーブとジョンに巡り会っているでしょうか。やさしく微笑みながら、凛太郎を撫でてくれる二人の青年に会ってくれているでしょうか。早世した人たちも含めて、全てを人間のために、その愛のためにペロペロと舐めてくれているでしょうか。
