お留守番の日です。帰って玄関を開けると、いやにおとなしく出てきました。廊下もそんなに汚れていません。が、しかし、リビングのドアがいやに簡単に開き、踏み込んでびっくり。もう、無茶苦茶。ドアがちゃんと閉まっていなかったのです。私たちが悪いので叱るに叱れません。チャンチャンです。


凛冽の汗
春の群像 ①

 「僕にとって、いや、みんなにとっても、この二か月がいちばん大切だと思います。そして、この二か月を乗り越えていく意志、原動力を僕は今みつめています。他人から見ればくだらないことでも、自分にはすばらしいと思える、そういうものが今の僕たちには一番必要ではないでしょうか。僕もそれがあるから、同志社へ向けて頑張れているんだと思います。あと二か月、その原動力を燃やし続けようと思います。夢のためにも……」

 寡黙で思慮深い松田◯君からの礼状の一部だ。伏見校特Aのトップグループの一人だった彼が、その年の秋、突然「離脱」を宣言した。自宅に近い同志社国際に入りたいのだと言う。何度か話もし、手紙のやりとりもした。それは、怠慢でもなく、逃避でもないことを知る。彼は既に、自らの確かな意志で、自らの人生を歩き出そうとしていただけだった。ほんとに一人歩きを始めるまで『キッズ』(私の文章などが載っている塾の機関誌)を郵送し、短いメッセージを添えて彼を励ました。何通かの返信の中の一部に、彼の真情が吐露されていた。今彼は既に高三生だ。

 五条校特Aから三年になるとき、家の引っ越しで本校に籍が変わった川合◯君も、多感なゆえに入試を前に苦しみ、様々な自己主張や反発をくり返しながら高校生になった。かつてのクラスメイトに熱いメッセージを送ることも、彼の精一杯なセルフ・エンパワー(自己激励)だったのだ。

 「授業中はうるさいくせに、本当のことは照れくさくって、とっても言えない僕です。やっぱり最後も、こそっとポケットから手紙を出して、お別れを言いたいと思います。僕は五条校中二特Aの生徒です。引っ越ししようが、高校へ行こうが、みんなといっしょです。何でって、僕は自習室で、教室で、近くのお店で、帰りのバスで、みんなから、いっぱい大事なものをもらったから。どこのお店へ行っても売ってないし、お金では買えないもの、人間にとっていちばん大事なものをもらったから。一緒に笑って、けんかして、競争したみんなとは、どうしたって離れません。だから『さよなら』は抜きにしてみんなとお別れしたいと思います。ありがとう。本当にありがとう。この一年間、手に抱えきれないほどの『やさしさ』をもらったけど、僕はちゃんとお返しできなかったみたい。だから精一杯の『ありがとう』でお返しします。先生、見ててください。今やっと僕はスタートラインに立ちました。もうピストルが

鳴ります。」

 「この前、元特進で同じだった五人で、ミニ同窓会をやりました。みんなでワイワイがやがやと、しゃべったり、野球をして遊んだりしました。遊びつかれて、ふっとみんなの顔を見ると、何だかもう二度と会えないんじゃないか、こんな楽しい日々はもうやって来ないんじゃないか、そんな気がして、むしょうにさびしくなりました。そして、塾で学んだ日々や、先生のことが懐かしく思い出されてきました。先生が僕たちを愛してくれたように、僕たちも先生のことを深く愛しました。みんなもっと早く素直になればよかったのに、受験に失敗したとき、先生の胸を借りて思いっきり泣けばよかったのに、それもできなかった僕です。本当はもっと先生に甘えたかった、本当はもっと気軽にしゃべりたかった。でも、何かがそれをさえぎっていました。それがこの上もなく悲しいです。けれど、今なら言えます。こうやって素直に言えるんですよ。先生。もう、窓の外は春の香りでいっぱいです。」

 受験を終えて、自分らしさを取り戻した生徒たちから、何通かこんな手紙がくる。五条校卒園の八穴◯◯君は、争うことのきらいな、心にしみるようなやさしさを持った生徒だった。彼が綴っている思いは、そのまま私の思いでもある。なぜもっと素直に、彼らと向き合わなかったのか、どうしてもっと気軽にお喋りができなかったのか。授業で偉そうに教えた『山月記』の李徴の、「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」が、そっくりそのまま私の性格であることに気づいて項垂れるばかりだ。


 思えばこのブログは、私と中学生たちとの来し方を綴りながら、凛太郎と私たちの今を描きながら、慙愧の思いで暗く沈んでいるようです。おもしろくないかもしれませんね。でも、それが還暦を過ぎた私の、嘘偽りのない本心なのです。たくさんの子どもたちに、哀しい思いをさせてきました。性懲りもなく小さな生命にも辛い思いをさせています。せめて、その小さな生命…凛太郎だけは幸せにしてやらねばと強く思っています。