たかが犬だとバカにしないで゜ください。ボクにだってちゃんと感受性があるのです。気難しいときの凛太郎は、そう言って唸っているようです。……単に眠たいだけですか……


凛冽の汗
白土秀◯君の巻 ③

 今日はひどく疲れた。授業の間もずっと睡魔に襲われていたし、とにかく退屈な日だった。その上、凍るような冷たい木枯らしが昼間から吹いていて、指の先が真っ赤になってとても痛い。何ともやり切れないような倦怠感が身体じゅうに渦巻いていて、ため息のひとつも出てしまいそうな、そんな日だった。

『雪になるかもしれない。』

そんな気がしてならなかった。何もかも白い色に塗り変えてくれたらいいのに……。

 胸の中が熱くなり、瞼が勝手に閉じた。薄目を開けてみると、夜の街の灯りが、対向車線のテールランプが一本の細い線になった。

 駅のホームで列車を待っている間、わざと眼鏡を外して、ぼんやりとした視界を楽しんでみる。特別な意味は無いのだけれど、どうしようもない今の自分の気持ちと似通った所があって、とても心の和む思いがした。遠い日のことが、二つ、三つ、頭の中に浮かんでは、消えた。

 その歌が聞こえてきたのは、ちょうど駅員が出発の合図をした直後だった。ゆっくりとたどたどしく、しかしあったか味のある、四、五十代のおじさんの声だった。

「金襴緞子の帯締めながら 花嫁御寮は何故泣くのだろ……」

はっと振り返ると、人の良さそうなそのおじさんは、うつむき加減でメロディを口ずさんでいるところだった。うわ背はあるようだが、列車のシートに埋もれるように腰かけているその姿は老人のようだった。

「チャララ、ララララ、ラン。チャララ……」

あちこちから笑い声が聞こえてきた。僕も、はじめは笑いをこらえていたのだが、列車が動き出して、窓ガラスに映るおじさんの顔を見て、ドキッとした。おじさんは泣いているのだ……。僕は列車を降りた。いや、降りていたのであろう。気がつくとホームに居た。

 あの、おじさんの顔、しわがいっぱいあって、酒のせいで赤くなって、でも、どこか子どもっぽい横顔。

 ああ、これなんだ。やっぱりこれなんだ。僕なんか、まだ持ち合わせていないもの。これから手に入れてゆくべきもの。夢を語ってきた昨日と、夢を夢で終わらせないようにするために目指すべき方向。

 おかしかったら笑い、腹立ったら怒り、悲しかったら大声で泣き、インテリでございますいうて澄ましてんのが一番あほや。おっちゃん、おばちゃん、そんなもん見とらへんで。ほんまはな、みんな苦しんどるんや。しんどいんやで。ほれでも見てみい。おっちゃん笑とる。おばちゃん逞しいで。生徒らキャーキャー言うて走り廻っとる。それで、それでええんや。そういう地平で、愛を、正義を、誇りを考えよ、語ろやないか……。

 感受性=ボルテージが高い人間って得なものだと、ずっと信じていた。中学時代、運動会で、応援の最中に皆の目の輝きを見て、ひとり涙が出そうになったり、道端の小犬を撫でて、「きっ」として目を上げて、世の中の理不尽をにらみつけたり、青い空の日に、人知れず土堤に出て寝転んでみたり。思えばそれは、楽しい「空間」だったようだ。


 私が秀◯を愛したのは、その鋭い感受性のゆえでした。彼に連なる珠玉のような生徒たちは、それからも大勢いました。秀◯はその先鋒であり、三十年続いた私のモチベーションの原点でもあったのです。今、その夢を凛太郎に託しています。この小さないのちに。

 次回、秀◯の文章は佳境に入り、まとめとなります。