さあ、凛太郎、長編の文章になりますよ。おまえを凛太郎と命名した、原点とも言うべき生徒との出会いです。聞いてくれますか。


凛冽の汗
私の出会った生徒たちーー白土秀◯君の巻①

 黄色い声のとびかう小六日進教室で、彼はさほど目立つ生徒ではなかった。時折、クラスのベストテンに入ることはあったが、その頃の彼は私の印象には残っていない。未だ幼くて、おとなしい少年の一人だったのだと思う。やがて、痛々しいほどの幼く小さな胸に、歓喜と落胆のわかれ目がやってくる。彼は、その落胆組になってしまった。けれども彼は、希望にみちた表情で、新しい中一特進クラスの教室に席を並べた。中学生になり、何もかもが目新しく変貌した環境の中で、彼は周囲の仲間たちと同じように張りきっているようだった。真剣に前を向いて、よく手も挙げ、活発な生徒のように見えた。作文も上手だったし、国語も得意なようだった。その頃もまだ、彼はそれだけの存在だった。私の目を惹く生徒ではなかった。

 じめじめとした梅雨どきになった。いつものように私は教壇に立ち、起立、礼、合掌、黙想で授業が始まる。生徒たちは漢字の小テストに取り組む。シンと静まり返った中を、前回のテスト類を返してまわる。と、そのときだった。教卓に一人の生徒が近づいて、返したばかりのテストを示した。

「先生、これ、合ってますけど。」

正解がバツになっている。私はこだわりなく、すぐにつけ直して謝った。もう一人つけまちがいがあった。その生徒のことは、すぐに忘れてしまった。

 翌週、その生徒は、また教卓の前に立った。私の中に疑惑が芽生えた。が、私は何も言わずに、すぐにつけ直した。謝る気にはなれなかった。その日集めたテストの採点を終えて、私はその生徒の答案にだけ「チェック済」と朱筆した。

 それから後、その生徒は二度と教卓には近づこうとしなかった。授業中も私の方を向かなくなり、目を伏せて鉛筆を動かしている。居直ったような態度ではない。何かしら、そうやってうつむいて、じっと何ものかに耐えているような様子なのだ。私は哀しくなった。また陰険で下手くそな指導で生徒を傷つけてしまったと思った。その生徒の一挙一動が気にかかるようになった。やがて、その月の終りに、その生徒が提出した作文は、暗い色に塗りつぶされていた。自分をも含めたすべてのものへの嫌悪にみちていた。自身のまずい指導ゆえに、私はしきりに彼を弁護しようとしていた。『君の罪ではない。君の幼かった心に、点数、成績、点数、成績とくり返しくり返し、呪いを吹き込むように教えたものの罪なのだ。君はそれらの心ない大人たちを憎む術を知らず、一切が自分の罪なのだとそうしてうずくまってしまった。』講評にこそ書かなかったが、私は彼にそう言ってやりたかった。私もまた、その生徒にそんな行為をさせてしまった共犯者であったにもかかわらず。ともあれ、その生徒を、もうそのままにはしておけなかった。

 年度が変わろうとしていた春まだ浅い或る日曜日、私はその生徒をサイクリングに誘った。拒むかもしれないと恐る恐る告げたのだが、彼はむしろ明るい表情で承知してくれた。お母さんにこしらえてもらったお弁当を持って、桂川の堤防で待っていてくれた。どんよりとした花曇りの中を、桂川沿いに羽束師まで下り、長岡へ出て長岡校の威容を見せてやった。

 粟生光明寺に近い広大な竹藪の中の、小さな池の畔で昼食にした。静かだった。池の向こう側で小学生ぐらいの男の子が二人、楽しそうに遊んでいるだけで、他に人影はなく、鳥のさえずりが竹藪の奥から聞こえてきて池の面に広がっていく。私は、「つけまちがい」のことについては何も言わなかった。いや、言えなかったのだ。その場の空気をとげとげしくするのが怖くて哀しかったのだ。彼の学校のこと、塾のこと、特進クラスの仲間の噂、他愛ない話で時間を過ごした。そのうち、重く雲の垂れ込めていた空からとうとう小雨が落ち始め、二人は腰を上げた。荷づくろいをして、それぞれの自転車にまたがる。雨具は、私が簡単なビニールの合羽を持っているだけだった。何気なく私はそれを鞄から取り出し、大きくひろげて、すっぽりと彼の肩から着せかけてやった。その一瞬、彼はハッとしたように身体を固くし、泣き出しそうな顔をして、

「すみません……」

と小さな、掠れた声で言った。そのことばにはすべてがこめられていた。私の中に彼を受け容れるスペースができた。胸のうちで泣きながら、私は彼の肩を叩いた。この瞬間が、その生徒、つまり秀◯とのほんとうの出会いだったのだ。互いの心の屈託が、降りつのる雨によって洗い流されていく。向日市からまた桂川に出て、二人は雨の中を濡れねずみになりながらも、来るときよりも楽しげに大声で話しつつ、自転車を並べて帰った。秀◯の方がはしゃぎ出したようだった。こだわりをプッツリと断ち切ったように明るくなったようだった。


 私のこれまでの生き方の原点とも言うべき、心に沁みるような少年との出会いです。三十年近く教壇に立ち続けてきたのも、彼との出会いがあったからだと言えます。彼の凛とした印象こそが、今もなお、私の心の中にはっきりと残っているのです。凛太郎という命名は、彼を偲ぶ私の琥珀色のエレジーなのかもしれません。