日曜出勤でしたが、京都市内はマイカーがいっぱいでもう散々。駐車場がどこも満車で、慣れない所へ入れたら、ガリガリ、ズンと愛車を擦ってしまいました。かなり酷いことになりました。また10万ほどかかりそうです。凛太郎はどこ吹く風と楽しげに会社のビルへ歩いていきます。


凛冽の汗
同窓会にて……わたしが源です

 授業のときに先生が話した「弁証法」という哲学の話から、「合の会」と命名し、「明日に架ける橋」を会歌にし、この春は四章十七条からなる会の規約までつくったすばらしいクラスが、六十一年度五条校特進卒園生だ。シャイな先生も、この同窓会では誰とでも肩抱いて話ができる。先生がお膳運びを手伝ったりすると、「そんなんぼくらがやります。」とあっちからもこっちからも手が伸びる。皆が細やかに気を配り、きびきびと動く。前田剛◯が東大でのこの一年のことを遠慮がちに話し、白土秀◯が会規約の説明をやっている。そこへ、「ごめーん」と遅れてやってきた板尾誠◯を先生はつかまえて、「おまえ、五日の開講式に出てくれへんか。」と持ちかける。すばらしい集団である。どこを切っても「合の会」である。一人ひとりが確かな自主性を持った青年として成長しつつあるのだ。

 一方、某クラスの同窓会は、午前中から昼にかけてボーリングなどをして遊び、午後からはとある会場を借りて喋ろうということだった。菓子をつまみながら一時間ほど喋って、会場を出なければならない時間になった。床を箒ではき、机を並べ直して元通りにする。それをすべて幹事の生徒が一人でやった。彼は「手伝ってえな」と言いながら机の上を雑巾で拭いている。が、ほとんどの奴は壁の方に寄り集まって、ただ見ているだけだった。徐々に怒りがこみ上げてきて、先生は早々に一人引き上げた。路上に集まって「この後どうする」ということになったようだが、すぐには決まろうはずもなかった。

 合の会にしろ、後者の会にしろ、中学生の頃の彼らを思い出してみると、いずれもそういうクラスだった。そのときから既にそれぞれの傾向があった。有名高校の合格率について、どちらかが勝っているわけではない。しかし、後者のようなクラスの人が大人になったときのことを考えると、先生はかなしくなる。「私が源です」という立場をとれない者は、どんなにエリートであろうと創造的な生き方のできるはずがない。


 そう言えば凛太郎なんか、決して壁の花にはなりません。いつでも、なんでも、みんな、わたしが源です、という態度をとっています。そして、やり過ぎて叱られてばかりいます。愛すべきかな、凛太郎くんよ。