今日も、一日お留守番でした。帰ると玄関ドアから飛び出してきて、しきりに甘えてきます。ご飯をあげて、おウンコに連れて行って、シゲの帰りを待つ間、おもちゃをもって来たり、私の脚に飛びついてきたり、甘噛みしたりして、とにかく甘えて甘えて、凛太郎はまだまだ甘えん坊なのです。
「去年の春、京大だめやったあと、合格した人に電話したんです。『よかったね、おめでとう。』って話してると、急に向こうが泣き出すんです。『どうしたん。あかんかったん俺やで。何で泣くのん。』って言っても泣きやまへんのです。一緒に泣いてしまいました。」そして、この一年、ぼくは、そんなすばらしい友人たちに支えられて、頑張ってこれたんだと、彼は目をうるませた。そう言えば彼は九州大学受験の直前、まるで心を整理して闘いに赴く人のように、長文の手紙を先生に託してくれた。
「これまで沢山の、ほんとうに沢山の人に愛され、支えられてきました。でも僕の方からは一体どれだけの人の力になり、幾人の人を勇気づけてきたのでしょうか。振り返れば何か釈然としないものが残ります。何故でしょうか。……」
そんな自問で始まる彼の手紙は、少しずつ、その解答を引き出していく構成になっている。それまでの価値観の崩壊、自己存在への懐疑、浪人して五ヶ月目にぶつかった壁について解析し始める。
「中学生のころ、いや、もっと前からだったかも知れませんが、僕にはずっと大切にしてきたものがありました。一つは『月』のような部分で、一つは『石』のような部分でした。」
「月」は太陽の光を受けて、闇の夜をやさしく明らめる。「月」については何となく理解してもらえるだろう。彼は「石」のような部分の分析に入っていく。それは自己存在を証明するダイヤモンドのようなものだったと言う。中三日進でも、洛星入試でも、そして昨春の京大入試まで燦然と輝いていたと言う。「誰でも自分の能力を秘かに自己承認しようとするものです。そして或る者はひどく劣等感を感じたりします。僕は常に前者たらんことを望んでいたのです。」
しかし、浪人五ヶ月目に遭遇した壁を経て、前者どころか後者も誤りであることに気づいたと言う。その気づきをひとことで言えば、
「ありのままの僕を素直に受け入れること」だと彼は言い、その具体化が「石」の下の自分を発見することなんだと言う。
「ともすれば合格(成功)の陰で『石』をそのままにしがちな僕たち。誰でも『無能力の容認』は逃れたいとです。でも、光る石の下には、まだ見たことのない自分がつまっているのです。その一つが『感謝の心』であり、『約束』です。」
読み進めながら、彼の論理が、いや倫理と呼ぶべきすばらしいものが見えてくる。みごとに少年期を脱した彼の魂が見えてくる。おしまいに彼はこうまとめている。
「『約束』といっても具体的なものではありません。でもそれは、どんな人であろうと、生涯心に持つべきものです。命という天の恵みの種を懸命に大きく育てる約束です。めいっぱい人を愛すると同時に、めいっぱい自分を愛する約束です。それは『輝く石』のようなものではないけれど、常に変化し、常に成長します。何とすばらしいことではないでしょうか……。先生へ。あと五日で『僕』を賭けた日がきます。大きな世界がもうすぐそこにあります。」
先生は、これから三、四か月に一度は福岡へ行き、彼と話したい気がする。彼をこそ、七年来の「教え子」と尊敬と愛情をこめて、心から呼び得ると思うのだ。
いちの日か、凛太郎をもそう呼べるときが来るでしょうか。尊敬と愛情をこめて、私のかけがえのない愛犬と呼べる日が……。
