今日は、二人と一匹共通の休日です。といっても、朝から二人とも病院へ薬をもらいに行き、凛太郎はそのお供です。でも、おかげで、車の中で何回も、長い間寝ることができました。


凛冽の汗
中学生時代の一週間~

 中学一年生のぼくは、とっても忙しかった。学校では陸上部と文芸部に所属している変な奴だったし、必ず何かのクラス委員もしていた。半ドンの土曜、一旦家に帰って昼食をとるわけだが、母は会社勤め、祖母も買い物に出ていて留守にしていることが多かった。ぼくは、朝の味噌汁を温め、冷ご飯をそこへいれて、上手に雑炊をつくって食べた。レトルト食品も電子レンジもなかった。

 日曜の昼下がり、勉強なんかより、祖母の内職の手伝いが楽しかった。使い古した木のへらで、印刷インクの匂いがぷんぷんする紙を折っていく。近所の製本屋のおじさんに、「ボクらが使う教科書になるんや」と聞いて、よけいに一生懸命手伝った。

 月曜日、放課後遅くまで残って文集をつくり始めた。鉄やすり状の板の上にろうを薄く塗った紙を置き、鉄筆で文字を書いていく。カリカリと音がする。強くすると破れてしまうことがよくあった。

 火曜の放課後にはそのろう紙の原紙を、謄写板で印刷した。木のワクに絹布を張ったものに原紙を張り付け、上からインクをつけたローラーでこすりつける。一枚ずつ下の藁半紙をめくりながら、根気よく印刷していくのだ。

 水曜の夜、夕飯のときにぼくがおかずを残したことから、母がまた昔話を始めた。十年ほど前、祖母が駄菓子屋をしていたことから話は始まった。店前のかんてきで煎った大豆を袋に詰めて、母は大阪駅へ売りに行かされたそうだ。すぐ下の弟の手を引き、いちばん下の弟をおぶって、闇屋まがいの行商をしたらしい。窯業所が家の傍にあり、よくコークスを拾いに行ったという話もした。夢中で拾っているうちに軌道にすわりこんで当時の大阪の市電を止めてしまった。運転手に怒鳴られるとお転婆な母はスカートをめくり上げ、お尻を叩いてアカンベーをしてみせたそうだ。

 木曜は朝からチビの小屋を新築した。製材所でもらってきた木ぎれに、のこぎりと金づちで取っ組み合うこと半日、不恰好だが何とか犬小屋らしきものはできた。ペンキは買わなかったから、ニスを塗っただけだが、それでもチビはいやがって入らない。チビを新居に押し込むのに、さらに半日かかった。

 金曜の夜は、母が風邪ぎみで先に寝てしまったから、自分で針と糸を持って、靴下のつま先の穴かがりをした。ついでに洗濯して明日着ていくカッターシャツの胸に、名札も縫いつけておいた。布団に入ってから、芥川

の小品の続きを読もうと思っている。


 次回はその芥川龍之介の小品を紹介しましょう。懐かしくて涙が滲んできます。四半世紀前の私がそこにいます。そして、四半世紀後の凛太朗がここに居ます。中学生の私が凛太郎と出会っていたら、ほんとに仲良しになっていたでしょうね。チビと違って気性の荒い凛太郎には、たくさん噛まれて、引っ掻かれても、笑顔の私がいたでしょうね。