今日は日曜日でしたが、また、凛太郎を連れて出勤しました。一日、オフィスの床でトロトロとまどろんでいてくれました。行きも帰りも、車の中でいい子でした。


凛冽の汗

中二の日記から

昭和三十九年十一月十六日(月曜)朝

 暗い空間に白い息が「ハァー」と広がる。そんな冬の情景を、この日の朝、初めて味わいました。というのは、道徳の時間に問題になった、例の『魚つり』をするために、みんなといっしょに、南港へ行くためでした。

 まあこの日は、そんな風にして昼までを過ごしました。昼からは、明日から実施される実力テストのために、最初勉強しようと思いました。しかし、朝早く起きた為に少しねむたくなって、ふとんの中にもぐりこんで、じっと考え込んでしまいました。今朝、母にもらった百円、もう、一日の内に、何も考えず、ぱあっと使ってしまいました。母は今朝、少ない給料のそのまた少ない残りから、ぼくにくれたんです。会社には電子計算機が入って、母のような、事務をする人もだんだんいらなくなっているんです。若い人達の中にまじって、ぼくという、ただ一人のぼくというものを生きがいにいっしょうけんめい働いているのです。おろかな父と別れはしたものの、やはり女一人では、この世は淋しいものです。悲しいものです。そしてまた、わびしく、切ないものです。それらをみんなひっくるめた心、そういう心は、ぼくに接する時は、よけい激しくなり、ぼくに対して馬鹿なことをしてしまうと、その心が情けなさとなって、涙となって顔に現れるのです。それなのに、ぼくは母に、一時の感情で、どなったり、おこったりしてしまいます。ごめんなさい、お母さん。ぼくは、口では言えません。けれど、お母さん、心の中では、ごめんなさい、ごめんなさい、ほんとうにごめんなさい。そんな事が母への情となって、ぼくの心をじんとしめつけ、だれもいない部屋の中で、冷たいふとんの中で感情が涙となって現れ、ぼくはつい、小さな声でむせぶように泣いてしまいました。そしてまた、母に迷惑をかけた時の思い出がぼくの心の中によみがえって、よけいぼくの胸をしめつけたのです。でも昔のことはみんな美しい事となってぼくの心によみがえって来ます。あの時の、母の楽しそうな顔、母の表情を思い出し、ぼくの心はいくらかなぐさめられました。自分の内面生活における日記です。あまり、人に言いたい事ではないのですが、つい書いてしまいました。

担任の先生(男性・理科)の講評

 良く書いてくれました。君の気持もお母さんの気持も良くわかります。何故なら、私と同じ境遇だからです。お母さんの苦労がわかればわかるほど、あまえてみたくなり、ついおこりっぽくなる。また、お母さんはあなただけが頼りなので、困った事があれば、つい涙となるのでしょう。どうしても「ごめんなさい」とお母さんにはあやまれない……。私はそれで良いと思います。児玉君が、心の中でお母さんの事を考えてあげる機会が多ければ多いほど、お母さんは苦労のしがいがあるわけです。君がお母さんの苦労を思ってむせび泣く事は、やさしい人であると同時に、反面、男としては弱い心の持主でもあるのではないでしょうか。ここは一番つらい所だが、むせび泣く事を後廻しにして、しっかり勉強し、将来望む職業についた時こそ、そしてその時の君の背広姿を見た時こそ、お母さんは、君のためにふえたしわをのばして、心から、「私一人で頑張って良かった」と喜ばれるのではないでしょうか。奮起を望む。11/19


 「弱い心の持主」と書かれて、そのときのぼくは、担任の先生に反感を持った。しかし今、こうして引用しながら、ぼくの瞼はうるんでくる。今のぼくにないほんとうのやさしさを、崎山という担任の先生は持っておられたのだと、しみじみ思う。ぼくと同じ境遇でありながら、ぼくを厳しく戒めてくれる、自分を良く見られようとは微塵も考えない、ぼくを心から気づかい、ぼくのために敢えて厳しく諭してくださった崎山先生の心が、先生の年齢に近い今ごろになって、ようやく身にしみている愚かなぼくだ。いかにも、弱い心のぼくが、しかし、少しずつ逞しくなっていく。それは、すばらしい友人たちのおかげだった。


 いま、この日記を引用していて、しみじみ思いました。飼犬はほんとうに主人に似るのだと。凛太郎は47年前の私そのものなのです。強がっていても、ウーウーと唸っていても、心の弱い私と同じなのです。恥ずかしい限りです。