前回、凛太郎の登場を中止すると言いましたが、シゲが許したので、その後の処置はおざなりになってしまいました。我が家へやって来た頃の、頑是無い、しかし、やんちゃ坊主の凛太郎を懐かしく思い出します。
しんどいことを避け、つらいことから逃げようとする者は、いつも安易なほうへ流れようとし、金銭や物品で問題を処理しようとし、人間関係だって一度いやなことがあると、もうすべてを他人のせいにして、人は信じられないと逃げ腰になる。自らの世間知らずを棚に上げて人の批判ばかりし、安逸な自分の生きざまを弁解する理屈ばかりが上手になる。
人前では作り笑いをしてぺこぺこ頭を下げ、後ろ向いてぺろっと舌を出すような、実に卑しい大人の真似してる自分に気づかないのだ。企業利益という自分勝手な理屈の怪物に絡めとられて、手を足を、身体を動かさなくなった大人たちの愚を見抜けずに、金もうけという目的から溢れ出す膨大な情報にすべてが分かった気で白けてる大人たちの真似をして、どんなことをもやってみもしないで、できない、あほらしいと投げ出し、敬遠する。君たちは、いつからそんな腑抜けになったのか。
傲慢な怠け者を叱る
欲しいものは「熱」である。誰もがその身内に秘めている燃えさかる情熱である。それがどんなにしんどいこと
であっても、逆に、やりたいことに全力投球できない者に、勉強だって必死にやれるはずがない。まして、やりたいことがない、みつからないというのは何をか言わんやである。人は鎖につながれたり、ひとつの枠にはめこまれるものでは断じてない。生き生きと、全身から光を放つがごとくに生きるべきなのだ。ただし、やりたいことを勝手気ままにやって、しんどいことは怠けるというのはもっとも許しがたい。情けない者のすることである。そうではなく、あらゆる可能性を求めて様々なことに限界まで挑み、しかも誰に指さされることなく潔癖に自己を管理して、それらをひとつずつ、丁寧に自らの血とし肉としていくのだ。君たちの誰もが、そのように凛として励んでくれることを、先生は心から願っている。そして、そのためになら、先生はどんな助力も惜しみはしない。頑張れ、頬豊かな、心熱き君たちよ。
階下は静かです。時折、凛太郎の鳴き声がしますが……外は豪雨です。遠い地響きのような音が、雨音と共に広がってきます。秋の夜が津々と更けていきます。次回からは、「先生が君たちの年齢だった頃」と題して、シリーズで語っていきます。
