今、シゲが散歩に連れて行くと言って玄関を出ようとしましたが、扉に腕を挟んだらしく、凛太郎が激しく鳴きました。すぐに戻ってきて、心配してみてみましたが、大丈夫なようです。散歩から帰ってきた凛太郎は、いつになくおとなしく、痛い目にあったことを訴えているようでした。小さきいのちよ、か弱きものよ、凛太郎。
まず加藤さんが引用した同じ山科校中一の増田君は、翌月の作文の一部でこう書いている。
「……学校の先生だって幼い人が少なくないです。やたらと勉強しろと言うだけの先生がいますが、勉強とは、高校へ入るためだけでも、大学へ入るためだけでも、就職するためだけのものでもありません。僕たちのためを思っておっしゃっているのだとは思いますが、僕たちのためなら、もっと大きな声で、もっと大事なことを叫んで欲しいと思います。」
学校の先生を批判したことを自省しながらも、彼はさらに「大事なこと」について作文を続けている。それは、「自己存在の凝視」だと彼は言う。君はどう思うだろう。彼の言うことが正しいとして、ならばなぜ、自分をみつめることがそんなに大切なのだろう。
「事前の取り組みは、小六と中一の春休み。いざスタート。中一の入学式。誰もが友達のことを考えながらやる一年間。地獄坂では、一人ひとりがバラバラになってしまい、頼れるのは自分だけ。みんなとの競争。そして栄光のゴール。こんな受験はしたくない。けれどいつかはそうなってしまうだろう。ある程度、自力で頑張らねばならない。そして、いつかは、悩みにぶつかる時がくるはずだ。そんな時、いつでも相談にのってくれる友達がいれば、どれほど心強いことか。でも、やっぱり最後は一人になる。それは仕方がない。仲間のことを考えすぎて、自分の勉強がおろそかになったりはしないか。先生、こんな時、どうすればいいのか教えてほしい。」
長岡校中一の高橋◯◯君は、適応試走のことを書いた作文のおわりで、揺れる心をこのように問いかけている。そう言えば、同じ長岡校中一の山田◯子さんは、友を愛し、人間を肯定しながらも、日常、その友が、人間が犯すいじめやシカトに対して、凛としてこう突きつける。
「鏡の前に立ってください。世界でいちばん汚い動物が立っています。」
凛太郎に言われたようで、私は慄然としています。二十数年前の中学生たちの作文に、恐ろしい言葉が書かれていたことを、今更ながらに思い出しています。凛太郎が、それみたことかと嘲笑っているようで、また数日前の写真を見て凛太郎の視線に自らを晒してみます。
