昨日あたりから、凛太郎はいい子です。今日も十時間ほどお留守番でしたが、悪いこともせず待っていてくれました。待望の夕飯を食べて、ちゃんとお散歩でウンチもして、ケージに入って骨っこ食べておとなしくしていました。



凛冽の汗

 先生は子どもの頃から、ひとりでいることが多かった。詳しくは書かないが、現代用語で言う家庭崩壊を、小学生になってすぐに体験した。母と二人っきりのアパート暮らしになり、それまでの遊び友だちとは切れてしまい、おのずから本と向き合う孤独な少年になっていったようだ。感受性が鋭いとか、繊細な心の持ち主だとか、自分を良く言うつもりはない。むしろ小心で臆病な、意気地のない男の子だった。

 けれど、人間はみな、一人ひとりは小心で臆病な、そしてやさしく温かいものだとも思ってきた。経ていく体験が人間を強くする。逞しくもするし厚顔にもする。ならば、強くなるとはどういうことだろう。臆病で小心なままではいけないが、やさしいまま、温かい心のままで、どうして生きられないのか。生きてはいけないのか。

 

 一年生のA君は学校の英語の授業中、B君と喋っていて後で先生に呼ばれた。B君は以前から先生に目をつけられていて、授業も真面目に受けないし、勉強も全然しない。英語の先生のお説教はA君にのみ向けられたものだったが、放課後A君を呼んだ担任の先生はこう言った。

「もう二学期も半ばを過ぎた。いくらBに注意しても態度は改まらん。」

A君は書いている。

「ぼくはその言葉を腹立たしく思った。教師ともあろうものが生徒を見捨てるなんてと思った。」

 同じようなことが数多くある。転校した中三生のC君は、明るくて気さくなD君と友達になった。が、ある日、担任の先生がC君に言う。

「へえ、Dと友達になったんか。そら、もう君もおしまいやな。」

冗談であったとしても、C君は担任を許せないと言う。


 長文の主題が「工芸の美」であった。機械の氾濫を嘆き、手工芸のすばらしさを説き、手こそは自然が与えた最良の器具であると言い切る。指導していたE先生は、調子に乗って「手」の重要性を言いつのった。その後、月のおわりの作文を読んだE先生は愕然とした。

 「ぼくの手はまだ治っていない。指がちゃんと伸びない。早く治ってくれないと困る。力は入らないし、重い物も持てないからだ。今思えばどんくさいが、もう二度とこんなことのないようにしたい。頑張ってリハビリをしているけれど、まだ治らない。早くよくなってほしいと毎日思っている。」

 そう言えばF君は骨折をして、右手に白い包帯を巻いていたという。E先生は机に向かって、誰も見ていないのに何度も頭を下げて謝りながら講評を書かれたそうだ。

「そうでしたね。ごめんなさい。手の効用、手の威力、手を動かすことの重要性をくどいほど喋った先生。君はかなしかったでしょうね。ごめんなさい。許してください。早くよくなって、先生をポカリと殴ってください。」


 悩み……心の傷……中学生たちの深刻な思いを次回も綴っていきましょう。凛太郎にも、この私が心の傷を与えてしまったかもしれません。言うことをきかない凛太郎に、つい手が出てしまって、悲しい思いをさせたかもしれません。でも、凛ちゃん、それは愛しているから、その名のように凛とした柴犬になってほしいから……