今夜の身体拭きは、夢のようでした。口輪はされたものの、凛太郎は一度も唸らなかったのです。じっと立ち尽くして拭かれるのを待ってくれていました。こんなことってあるでしょうか。素晴らしい凛太郎。終わって骨っこをあげたときも、一度もウーと唸りませんでした。感激!
河が流れている。黄金色の濁流渦巻く大河である。おびただしい数のきれいな船が流れを下っていく。華美で堅牢な船ばかりだ。しかもみな、どこか似通った規格品のようだ。札束で人の顔を逆撫するようにしてそれらの船の持ち主になった人たちが、悠々と、あるいは猜疑深い眼をしてデッキに立っている。高慢ちきにふんぞり返っている人がいる。自堕落に寝そべっている人がいる。所かまわず塵芥を投げ捨て、唾を吐き散らす無神経な人、他人のことなんか知らないと自分の船だけ飾り立てて先へ行く人、そしてそれらの誰もがエゴイスト。犇めき合いながら貨幣の濁流を下っていく。
この大河も、もとは清流の端っこの淀みにすぎなかった。つぎはぎだらけの貧しい船に、大勢の人が抱き合うようにして乗っていた。つんと澄ました豪奢な船は、向こうの方に数隻見えるだけだった。或る日、物売り船のうちの一艘が、錬金術をやってみせたのだ。我も我もと真似る者が、河床を荒らし、河岸を壊し、大騒ぎしてこんな濁流にした。良心の光であった蛍が消え、ひたむきな生き方を教えてくれた遡行魚も姿を見せなくなった。
そして今、愚かな騒ぎの続く中、船の後継者である子どもたちは、かなしげな顔をして戸惑っている。無反省な親たちの生き方を、真似れば楽にはちがいない。が、純真な魂は逡巡する。船から跳び降り、濁流を泳ぎきって岸にとりつき、流れを変えよう、もとの清流に戻したいと涙する、幼い魂の真実に恥じ入る者はいないのか。
先生はまず、お母さんたちにお願いしよう。受験生(という言葉自体不可解だが)をお持ちのお母さん、どうか彼らを特別扱いしないでください。彼らはあなたの息子であり娘であって、「受験生」などという特殊な者ではないのです。「勉強しろ」とだけエンドレステープのように繰り返さないでください。裕福を当然とする無思慮を、自堕落を、それゆえの居直りや白けを戒めてください。人間として、厳しく、凛として生きよと、あなたがまず、その背で示してください。かく言う私も努力しますから。
そして、君たちに呼びかけよう。この裕福をこそ疑え。富裕に慣れきった自らを省みよ。不足を知り、不遇を自らが求めるとき、現在の不安や焦燥が、いかにぜいたくなものであるかがわかるだろう。
いま、勉強に辛苦するのは当然のことなのだ。勉強に限らず、何かひとつ事のために辛酸をなめるのは当たり前のことであり、一度しかない自らの今を、精一杯燃焼させて生きることは無上の喜びなのだ。テレビ・ビデオ・CD・ウォークマン。学問の礎である読書を、これらのものが阻害しているのではなく、それらを無反省に氾濫させている日本の社会全体の愚かしさが、君たちの精神を肥満させ蝕んでいるのだ。聡明な君たちだ。そんなことは百も承知だろう。ならば立ち上がれ。まず歩き出せ。自らの人生だ。他の誰でもない自らが主人公の自らの生涯だ。いま、喜びも悲しみも、そしてこの将来への確かな目標を持った懸命な学問も、すべてが私のものである。私が生きていくための、大切な私の闘いなのである。
わがものと おもへば軽し 笠の雪 一茶
そうですね。一茶のこの句の通りです。シゲも凛太郎も、みな私のものなのです。所有ということでは勿論なく、私がすべて責任を負うべき、大切なわたしのものなのです。
