知ってはいましたが、今日、買ってみて、使ってみて、その威力に感激。凛太郎は…降参。身体を拭くときの錯乱状態に手をやいていましたが、「口輪」を使うと、ほぼ無抵抗になりました。古い器具ですが、その効果たるや恐るべし。大成功の気分です。凛太郎には気の毒ですが……。
二回ほどに分けて、作文教室を開いてみましょう。素材とモチーフについて、述べてみました。
「タカシ、七時やで」
「うーん、ムニュ、ムニュ……」
起きなければいけない。が、眠い。布団をはぐと、刺すような寒気だ。もう少し、この温かい布団にくるまっていたい。
「これっ、起きんかいな」
お母さんの声がとがってくる。まさに「一大決心」をして、ガバッと起き上がる。
寒い冬の朝のひとコマは、どこかしら、作文を書くということに、似ている。こうして、この文章を書いている先生も、できることなら書きたくなかったのだ。毎月の作文を書こうとするとき、君たちも同じ気持ちだろう。駄々っ子みたいに、ただ「いやだ」というのではない。書かねばならぬという義務感・使命感はあるのだ。その場合、点数を引かれるとか、鬼のように叱る先生の顔などは問題ではない。飽くまでも自分の内面、克己心の問題なのだ。素材やモチーフがあろうとなかろうと、いざ書こうという、その動作に一大決心を要するということなのであろう。
しかも「書く」ことを知っている人、どちらかといえば上手に作文を書く人のほうが、その決意に至る苦しみは大きい。誰が書いても同じような作文を書くわけではない。自分だけの感受性で、自分しか知らない素材で、まさに全力で作文用紙に向き合うのだ。生命を削るような、血を吐くような営みだといえば大げさだろうか。が、優れた作文には、そんな書き手の荒い息の温もりがある。もともと作文を書く、文章を綴ることは、そのように真剣な、生命の根源に触れる作業であるのだということは、ぜひわかっていてほしい。
点数や成績を上げようとするとき、その点数や成績だけにこだわって、それしか見ていないようでは、向上があったとしてもむなしい。生徒と先生が長い時間をかけて、人間と人間として向き合うかかわりの中で、おのずから芽生え、向上する人間的成長こそが、点数や成績をも向上させていく。
後半は次回にします。作文が書けないと悩んでいる中学生、多いですよね。凛太郎も悩んでいます。本来、室内犬ではない黒柴の凛ちゃんを、赤ん坊ということで室内で飼って、上下関係を混乱させてしまいました。「こんなはずじゃなかったのにな、くそっ」と内心大いに毒づいているであろう凛太郎も、もうすやすやと寝てしまいました。ちゃんちゃん。
