夜遅くになって、また凛太郎が発狂・錯乱しました。タオルで身体を拭いてやろうとすると、予想どおりまたまた錯乱です。口先を紐でぐるぐる巻きにし、噛めないようにしてから、何とか全身を拭き終りました。ふー、一騒動です。
予期した通りの静けさだった。JR加茂駅の駅舎を出て、ローカルなパスに乗り込んだときから、現実を忘れることができた。行き交う車もほとんどない岩船寺までのアスファルト道は、何かしら別世界へ続いているような、うっそうとした樹林に覆われた山道だった。先生はとにかく、人の群れがなければ機嫌がいいのだ。
未だ青いもみじの枝葉に彩られた、岩船寺の三重塔がよかった。後でたずねた浄瑠璃寺の紅殻色よりも、古色蒼然としたたたずまいが山寺らしい趣きで、気持ちにしっくりと添うような気がした。
当尾の石仏を巡る道、昼食をとった鎮守の社の石段、森閑とはあのようなたたずまいをいうのだと思う。
浄瑠璃寺の印象は、やはりあの本堂と池と三重塔を結ぶ配置のみごとさにあったのではないかと思う。小高い三重塔の足下から、池をはさんで見下ろす本堂の景観は、いかにもこの世のものならぬ、見る者を陶酔させる感銘がある。
「そのなかでも一番印象ぶかかったのは、奈良へ着いたすぐそのあくる朝、途中の山道に咲いていた蒲公英や薺のような花にもひとりでに目がとまって、なんとなく懐かしいような旅びとらしい気分で、二時間あまり歩きつづけたのち、漸っとたどりついた浄瑠璃寺の小さな門のかたわらに、丁度いまをさかりと咲いていた一本の馬酔木をふと見いだしたときだった。」
堀辰雄が夫婦で訪れた頃からすると、馬酔木はずいぶん増えたらしい。参道の両側にずっと続いていたものね。それに、堀をして「廃寺」と呼ばしめた荒廃感もない。ずいぶん美しく整備されたものであろう。平和で穏やかな明るさだけは、今も変わらないようだ。
「最初、僕たちはその何の構えもない小さな門を寺の門だとは気づかずに、危うくそこを通りこしそうになった。その途端、その門の奥のほうの、一本の花ざかりの緋桃の木のうえに、突然なんだかはっとするようなもの、-ふいとそのあたりを翔け去ったこの世ならぬ美しい色をした鳥の翼のようなものが、自分の目にはいって、おやっと思って、そこに足をとめた。それが浄瑠璃寺の塔のさびついた九輪だったのである。」
緋桃の木はあったかな。気がつかなかった。それよりも先生は、寺の名の由来でもある九体の阿弥陀仏に圧倒された。ずらっと並んだ巨きな仏たちは異様でさえあった。堂陣の中に自分も取り込まれているからではないか。正面の明かり障子をすべて開け放って、池越しに見る阿弥陀たちはきっと、もっとやさしいにちがいない。そう思って縁に出て、明宏のお母さんにいただいた紀野氏の本を開いた。辺りは静かだった。吉祥天の解説を読みおえたが、指先は次々とページを繰っていた。……
次回で、この明宏くんとの奈良行を終わります。口先のビニール紐をはずすや否や、ごらんの通りの凛太郎もまた、早く終われと唸っているようです。はいはい、その次はまた、違うテーマで話していきますよ。おやすみ、凛ちゃん。
