2回目の休日出勤で、凛太郎を連れて勤めに行きました。今日は、行きも帰りも、車の中ではおとなしくしていました。駐車場からオフィスまで100メートルほど、トコトコと凛太郎と歩きました。何だか太って大きくなった凛太郎、これからはちょくちょく歩かせなければいけないなと感じました。



凛冽の汗

 春日大社から若草山へ。原生林めいた山麓を北行しながら、先生は、自身のことをすべて明宏に話した。秘めておくべきだったことも敢えて明らかにした。明宏と並びたかったからだ。おぞましい二面性を持った汚らわしい大人のままで、明宏の前に立ちたくなかったからだ。先生もまた少年に戻りたい。明宏のことを誰よりも理解る親友でいたい。でも、同時に、やっぱり先生は人生の先達であり、明宏に自らの背中を衒いなく示し得る苦労人でもなければならない。

 馬酔木の森を目の前に、そんなことを話しながらお茶を飲んだね。観るともなく眺めていた土産物屋の店先のテレビが、いちばん印象に残っている。花紀京と岡八郎のかけ合い。つくりものの乾いた笑い。馬酔木の白い小さな花が、ちりちりと風に揺れて、ものがなしい感情が鼻の奥をくすぐったよ。

 法華堂の諸仏は……諸仏と言ってしまうほどたくさん羅列されているのが興醒めだったね。何とかならないものだろうか。辛うじて、東側からの光線の入り具合だけが趣深くて、先生はわざとその弱々しい光の中で、紀野一義氏の本を開いて活字を追ったりした。

 戒壇院も光はよかった。下方からの採光で、戒壇が浮き上がり、四隅の四天王は荘厳このうえなかった。しかし、引率の教師からして軽薄な、修学旅行生らしい一団の騒々しさには辟易した。よほど怒鳴りつけてやろうかと思ったが、明宏がかなしい顔をするだろうと思ってよした。古寺巡礼、その日のおしまいの古寺に至って試練があったわけだ。怒るまい、憎むまいと、清浄な心で歩き始めた一日であったはずだ。こらえねばならない、そう思った。

 堂の中が息苦しくなって、先生はひとり先に縁へ出た。北裏の縁から、雨に煙る大仏殿の大屋根が仰がれた。金色の「しび」が鮮やかだった。後から出てきた明宏に教えようとしてやめた。その鮮やかさは、清々しさは先生の心の中のものだったから。明宏は明宏で、多聞天や広目天への感動に打たれていたであろうから。何かしら、敬虔な気持ちになっていた。いちばん大切なものは変わらない。どこまでも変わらない。が、生きていく場面、場面では、必要ならば頭を下げよう。腰を低くしてさわやかに笑っていよう。そんな謙虚な思いに包まれていた。


 凛太郎のために、ペット用のホットカーペットを買いました。親ばかと言うか、甘やかしていますでしょうか。凛太郎のためにお金を使うことを惜しいと思いません。バカたれですね。魚眼カメラのように大きな鼻と瞳をして、凛太郎も澄ましている、いや笑っているようです。