凛太郎といつか行きます。奈良へ、大和路へ。そんな思いで、かつての卒園生と歩いた古都・奈良のことを綴ってみましょう。凛太郎も、そういうモードで澄ましています。
シルクロード博が始まった。先生は閉幕する十月まで奈良へは行かない。静寂あってこその、私の大和路である。喧騒と自然破壊のるつぼへは、行きたくもないし許せない気がする。春日の森、飛火野の景観、お祭り騒ぎのために切り倒された樹々を惜しみ、公憤を語ってくれたのはむしろ君たちの作文だった。
仏の前に立つと、半刻ほども動かない高校生がいる。本校の卒園生であり、君たちの先輩である明宏君だ。昨年一年、毎月一回先生は明宏君と大和路を歩いた。都合で行けなかった月があったが、それでも十回ほど、朝から弁当を持って二人は近鉄かJR奈良線に乗り込んだ。電車の中でノートを交換する。一か月の間、思ったこと、考えたことを、お互いが書き留めようと約束した。先生のほうは、前回訪れた大和の古寺や仏たちの印象を主に書いてある。数回シリーズにして二人のノートをここに転載しよう。掲載にあたって若干の手直しはしたが、そのとき、その場所での心情は、原文のままにしていじらなかった。
(秋篠寺の伎芸天には妖しい美を感じた。それは先生の感じ方であり、君たちに押しつけることはできない。だから話を端折って先へ進む。次の法華寺は近鉄西大寺駅の反対側になる。)
法華寺の印象は、このところ先生の関心事になっていることに尽きる。人を識るということ。自分のほうから心を開いて他者に向き合うということだ。受付に黙って坐っておられたとき、冷たい感じのしたおばさん(庵主さんだったかもしれない)が、本堂の縁で弁当を使わせてもらおうと声を掛けると、やさしく、温かい感じの人になったのだ。縁の埃をしきりに気にしながら、快く許可してくださった。おかげで、雨に濡れずに昼食を食べることができた。
おばさんの笑顔が胸にしみた。ああ、声をかけてよかった。心を開いてよかった。遠くから冷たい目で見ているだけでは、決して人の心はわからないものなのだと、およそあたりまえのことに感激した。古い時代の人々や、巷のおっちゃん、おばちゃんに話したら一笑に付されそうな普通のことを、こうして重々しく語ろうとする先生を、しかし、明宏もわかってくれるだろう。明宏もやはり先生と同じ時代、同じ都会に生きていて、嫌悪すべきはそんな自分自身であることを痛感している、哀しい都会人の一人であるだろうから。
授業や日進で出てきた「伊勢物語」の主人公とされる在原業平ゆかりの寺だという不退寺。明宏は気に入ったようだね。先生は和尚っさんが気に食わなかった。ことさらに事務的に振る舞い、訪れる者をすべてどうせ信仰心などない観光客だと決めこんだような仏頂面がかなしかった。そう思うと、荒れた風情が良いはずの寺の佇まいも、何かしら、ただ見苦しいだけのものに感じられた。
こんなふうに話してくると、寺へ、仏像へ向かいながら、やはり先生には、それらに対してひとかけらの信仰心も帰依心もないことがわかる。先生は仏の美と哲学のみ話して、仏の慈悲心については語らなかった。先生の関心は常に、生きてある人間なのだ。いつだって、それら他者についての好悪を語ろうとする。そのことの何よりの証拠に、唐招提寺と薬師寺について、先生には語るべき何ものもない。観光バスの駐車場を備えた寺について、先生は何ものをも語りたくはない。
明宏君のノートが次に続きます。こんなふうに、静かに過ぎにし日々のことを回想していると、凛太郎の背景の霞んだ緑が懐かしく感じられます。凛太郎にもまた、かつての日々を話して聞かせたくなります。
