駅までシゲを迎えに、車に凛太郎を乗せて行きました。駅で待っている間、おとなしく腕に抱かれている姿は愛らしく、守るべき小さないのちなのです。しかし、足元でゴミ箱を漁るので、やめさせようとして手を伸ばすと、一ちょまえにウーと唸ります。ああ、小さな愛の戦士よ……
三年前、五条校のあるクラスの生徒たちを、先生は愛の戦士と呼んだ。志望校めざして懸命に励みながら、決して孤立したり、利己的になったりせず、いつだって支え合い、励まし合ってクラスがひとつになっていたからだ。
今年、二月、続々と合格発表が行われている最中、先生はこんな手紙をもらった。
「先生、今から僕が書くことは、二月二十日の後段の英語の時間にあったことです。比較的寒い日でした。全員の合否が校に貼り出される日だから、そう感じたのかもしれません。校に着いて、友達と一緒に事務所へ掲示を見に行きました。洛南ⅢA三人、ⅢB三人、Ⅰ三人……。A君の名前がない。僕は驚き、とまどいました。『俺と日進の成績がほとんど同じだったあのA君が……。』僕たちはほんとに驚きながら教室に入りました。
前段の数学が終わり、休憩をはさんで英語が始まりました。みんなリラックスして席に座りました。僕は後段から来たF君(注・A君と同じ中学、東大寺・洛星に合格)の隣に座りました。F君の様子が変です。泣いています。最初僕は、ここへ来るまでに寒風にさらされて、目がうるんでいるのかと思いました。しかしそうではなさそうです。しきりに何かつぶやいています。『Aが何で落ちよったんやろ。』僕は胸の奥から何か熱いもののこみ上げるのを感じました。F君の眼鏡の下には一人の人間を超えた、僕の理解し得ない世界がありました。ただ単に友が落ちたことを悲しむ心ではなく、友の傷を自分の体に移し、同じように苦しもうという心がありました。自分と友との結果の違いに、F君がどれほど苦しんでいるか。僕はF君の大きさに驚くとともに、F君にそれほど愛されたA君をうらやましく思いました。
先生は<世の中捨てたもんじゃない>と言うけど、やっぱり現実は悲しいと思います。一緒に勉強した友と目に見えない力で戦い合った僕たち。そんなみんな、いや受験生全員が<愛の戦士>ではなく、<哀の戦士>であるような気がします。友情があっても結果には必ず<哀>があるからです。でも僕たちは作らねばなりません。哀の戦士がいない世界を。
先生、今いちばん苦しいのは先生かもしれません。けれども、今のみんなの哀しみを、閉ざされがちな心を開くのは先生しかいません。合格した僕が言うと、みんなから反感をかうかもしれません。けれど、わかってください、先生。これからやる同窓会を楽しいものにしたい僕の気持ちを。」
そして、日付を変えて次の便箋にこう続けている。
「前の三枚の手紙で言ったことが正しかったかどうか、学校で考えていたら、A君を助けることのできるのは先生ではなくて、F君であることがわかりました。そして、クラスのみんなであることがわかりました。三年間培ってきた熱い友情で結ばれたみんな、そして僕だったのです。」
手紙の主であるT君も、洛星高校に合格している。こんなにも心をこめて綴ってくれたT君の手紙に、先生の返事は短かった。短くてよかったのだ。「Tよ、やっぱりおまえたちは愛の戦士だったよ。」とだけ伝えればよかったのだから。その一言にこめた先生の共感、感謝を、そして何もできなかったふがいない先生自身をわびる気持ちも、T君はきっと、受けとめてくれたにちがいないと思うのだ。
多くのT君がいる。たくさんのT君がいる。君たちのまわりに、君のそばに。そして君自身が、愛の戦士なのだ。
もうすでに、そこはかとない哀愁を漂わせた凛太郎のかっこいいショット……次回も掲載してみましょう。で、そのトーンで次回からは、教え子と巡った古都・奈良のシリーズです。
